金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

負けは負け(翻訳者の実力不足と飜訳会社の怠慢②)

昨日の翻訳チェックをしながら、つい3日前のウチの次男とナメちゃん(卓球道場の仲間)とのゲームを思い出して、段々腹が立ってきた。

次男は

1ゲーム目:11-8の勝ち
2ゲーム目:10-12の負け
3ゲーム目:9-11の負け
4ゲーム目:9-11の負け

のゲームカウント1-3の負けとなった(卓球は11点で1ゲームが勝ちとなります。2ゲーム目はジュースとなったわけです)。

次男は相当悔しがっていた。「勝てた」と言っていたし僕も「そうだよな」と相づちを打った。確かに道場での試合はいつも0-3負けで完敗だったのだからこの1年でかなり追いついたとは思ったのだが、やっぱりまだナメちゃんと次男との実力差はかなりあると思った。

要するに、最後の1,2点を取り切れるか、しのぎきれるかどうかが「実力」なんだ。ナメちゃんはそれを勝ってきている。次男もそういう試合で勝ってきてはいるが、少なくともナメちゃんには勝てなかった。これが実力差なんだ。この差を次男が埋めるにはまだまだ練習が必要である。そしてその事を次男はわかっている(と思いたい)。

翻訳チェックをしながら思ったのは、この翻訳者は「9点」の翻訳者なんだなということ。2点を凌ぎきれる力がない。

9点でも負けは負けなんだ。0勝、無価値なんだ。

そんな選手を個人戦ならまだしも、団体戦(対顧客でのプロジェクト)で起用しちゃったわけですよ、監督(翻訳会社)は。

プロジェクトを進める時に最も大事なのは(最終的には訳し切れる)QA(品質管理)だと思う。その必要性を僕は何度もこの会社に言ってきているんだが、なかなかわかってもらえなかったみたいだなあ。

訳文をパッと見た瞬間は「よく見えた」。最初の1段落あたりはサンプルよりも適切な訳語を使っていたので、コリャ30分ぐらいで終わるぞ、とほくそ笑んだのである。

ところが、原文と対照しながら読み進めていくウチに、ちょっとした調べ物をしていないことに気づいた。原文の書き手と読み手にとってはわざわざ説明しなくてもよいある単語を、そのままそれらしい訳で訳していたのである。

一見するとスルーしそうなのだが、「それって何?」と改めて聞かれるとわからないっていう知識があるじゃないですか。そこを調べていなかったことがわかったわけ。そして、そいういう箇所が何カ所もあったのだ。

もちろん調べてもわからないことはある。それはコメントすればよい。ところが私が気がついたいくつかの事実は、Google検索一発で確認できるものばかり。

次に、マクロ経済の常識(日経新聞読んでりゃだれでもわかる)を踏まえていない訳文(つまり、それらしく訳してあるけど完全な誤訳。勘違いではなくわかっていない。いや、わかっていないことすらわかっていないかも)が数カ所。ケアレスミスが数カ所。そしてそれらを踏まえて念のため音読してみると、英文をきちんと解釈すれば容易に意訳できるにもかかわらず、あまりの直訳でわかりにくくなっている日本語の箇所が数カ所見つかった。

所見でざっと見た時の印象はよかったんだ。

ところが一つ一つ前から詰めていくとボロボロと見つかる調べ不足と理解不足。全部で20 ~30箇所ぐらいだったかなあ。基本的には訳文を直せば翻訳者ならどこを間違えたかがわかるのだけれど、それでも十数カ所に「なぜ直したのか」のコメントをつけた。

所詮、「9点」までしか取れない翻訳者だったのだ。

この手の人はトライアルなら通るかもしれない。少なくとも僕が数ヵ月前に依頼された翻訳候補者よりはレベルは格段に上だ(数ヵ月前の時は、2行でダメ出しできたもん)。でもさ、1000ワード超えると相当シンドイ。そこで、そこを補う作業を翻訳会社がしなきゃならないわけだ。9点を11点にする努力、それを翻訳会社はしていなかった。

私が昨日怒りを覚えたのはこの点です。相手は翻訳者というより翻訳会社だったかも。

翻訳の品質管理に時間を取られる(翻訳者の実力不足と飜訳会社の怠慢①) - 金融翻訳者の日記

(後期)つい数カ月前にも同じようなことがありました。「翻訳者になる前にチェッカーで勉強したい」という声を聞くことがあるし、そういうアサインメントを為ている翻訳会社もありますが、間違いだと思います。翻訳チェックこそ実力者がやるべきだ(2021年5月15日記)。