金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「自分にとっては正義でも、別の人から見れば理不尽な振る舞いかもしれない」:出会った言葉(一昨年~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(161)

(1)2年前の今日
「書き写す」から<かき込む>へ
日能研の広告 2019年1月9日付日本経済新聞から)
*本日の言葉:「『書き写す』から<かき込む>へ」ってどういう意味なのかな?と一瞬分からなかったので書きとめておきました。
1つの答えを言われたとおりに追い求めるのではなく、自分なりの答えを自分で考えよう。そういう時代が来ているのだ。というメッセージの広告。「『塾』。だからこそできることがある」というコピーも、事の是非(これって学校が目指すべきことだろう、とは思いますが)はともかく、宣伝文句としても理解できる。そう考えれば、「与えられたものをただ書き写すのではなく、自ら書き込め」というメッセージなのだな、とちょっと時間がかかって了解した次第。

ただ僕は、そういった理念が必要なことを認めた上で、(新井紀子先生ではないけれど)今こそ「自分の手で書き写す」時代が来た、とは思っています。入学試験(大学の求めている正解に到達すること)に受かることが目的の「『塾。』だからこそ」、書き写しに取り組ませることが大事ではないかな、と。最初に感じた違和感は僕がそう思っていたからかも。

それともう一つの疑問。この広告、なぜ朝日には載らなかったのかな?とも思いました。読売、産経には載せたのかな?それとも予算かしら?などと余計なことを。

(2)3年前の今日
 僕は、リスクを背負って立場を明らかにし、これからも言いたいことは言わせていただきます。  坂本龍一さん
(「沖縄を考える――『袋だたき』気にせず発言続ける」 2018年1月9日付朝日新聞

(3)4年前の今日
自分にとっては正義でも、別の人から見れば理不尽な振る舞いかもしれない。
(2018年12月28日付朝日新聞天声人語」より)

『基本文法から学ぶ英語リーディング教本』は初心者向きにあらず(2022年1月。読み始め)

以下は、今朝ふと思い立って書いたツイッターへの投稿である。ちょうど半分ぐらい読み進めたところなので、今段階の感想を書いた(一部加筆修正しています)。

(ここから)
『基本文法から学ぶ英語リーディング教本』は、英語の上級者(準1級程度)が中学レベルまで戻って学び直すには非常に優れた教材だと思います。基本的なことでもこれまで曖昧だったところが明確になるなど勉強になり、私は毎日楽しく読み進めています(現在はp235まで)。

ただし本書は読者を選んでいます。本書を読み進めるためのハードルは高く、英語が中学生レベルの人が本書を読み始めても、意味がまったくわからずに100ページもいかないうちに投げ出すというのが僕の印象です。

その意味で、本書の帯にある「誰でも原書が読めるようになる」や「はじめに」の「これから英語を勉強する人でも大丈夫です」はミスリーディングだと判断します。初心者の方は帯や「はじめに」、アマゾンの書評を盲信してすぐにクリックするのではなく、書店に出向いて実際に本書を手に取り、できれば30分~1時間ぐらいかけて最初からLesson2(p20)ぐらいまでを立ち読みした上で、買うか買わないかを決めるのがよいと思います。(ここまで)

なお、現時点(2022年1月8日)でのアマゾンの書評は、上級者と思われる皆さんの感想しか見当たらない。本書が(帯の示唆するように)本当に初級者向けなのであれば、英語初級者の感想がいくらかはあっても然るべきだがそうなっていないのは、まさに本書が初級者向けではないことを証明しているのではないだろうか。

以上を踏まえると、本書のタイトルは『基本文法から学び直す英語リーディング教本(上級者向け)』の方がその性格を正しく表していると思う。

1週間ほど前には否定的な書評があったが、なぜかすでに削除されている。この手の書評によくある『俺はお前より英語ができる』ことを誇示する表現が差し挟まれた(要するにマウンティング大好きおじさんによる)、ややキツい書評だったけれども、内容的には僕が昨日書いたツイッターの書き込みの後半部分に近い見解が示されていたと思う(つまり言い方はともかく、僕は彼の意見のうち半分ぐらいはまともだと思っていた)。

繰り返しになるが、『基本文法から学ぶ英語リーディング教本』は、上級者向けの英語学び直しテキストとして大変優れていると思う。読めば読むほど面白い。しかし初心者向きではないと思う。ところが本の「見せ方」には違和感を覚える。タイトルや帯に引き込まれて、本書を手に取ることもなく「中身をよく吟味し、自分に合うか合わないかをよく考えずに買ってしまう」人がいるのではないかとの危惧を拭いきれないのだ。否定的な書評もなくなったことだし、バランスを保つためにもその違和感だけは書いておこうと思った次第。

(注記)毎朝、新聞2紙(日本経済新聞朝日新聞)を30分程度、『TIME』誌を15分程度、『基本文法から学ぶ英語リーディング教本』を15分ほど読んでから翻訳ストレッチをやっているので、『基本文法から学ぶ英語リーディング教本』は厳密には翻訳ストレッチ教材ではないのだが、英語学習の延長ということで「翻訳ストレッチ教材から」に分類しておく。

tbest.hatenablog.com

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「(哲学は)真理を知ったと思い込む者が教壇で語るものではない」:2013年~2020年の今日に出会った言葉

(1)2020年の今日
中学生のころ、「真摯」という言葉に出会った。真面目でひたむき。「謙虚」という言葉も同時期だった。控えめで素直。言葉にふさわしい心と、ふるまいができなければ、とても恐れ多くて使うことができなかった。後に、他人の心中を推しはかる「忖度」という言葉も知って、感銘を受けた。家事手伝い 原田みち子さん(茨城県 72歳)
(「真摯・謙虚は損」の印象を危惧 2020年1月8日付朝日新聞「声」欄より)
*本日の言葉:本日の朝日の「声」欄へのご投稿、もちろん「謙虚な姿勢で、真摯に取り組み、丁寧に説明していく」と繰り返す某国首相の言葉使いを痛烈に皮肉ったご意見だ。「こうした姿を子どもたちはどう見ているのだろう」とも。僕はこれが真っ当な常識と理性をもった、普通の人の感想だと信じたい。しかし現実はどうなっているのか?こういう方をのさばらせておく他の政治家の責任は重い。マスコミの責任も。もちろん、そういう政治家たちの輩出を許している我々(民意)の責任はもっともっと重い。
よい1日を。

(2)2019年の今日
 最も偽造の少ない貨幣への信頼は、日本でキャッシュレス決済が普及してこなかった一因といわれる。行き過ぎた現金主義は、訪日外国人客の消費拡大や店舗の生産性向上にマイナスだ。これまでの強みが、一転して足かせに。成功体験が大きいほど変化への対応の容易ならざることも、インキの技術に透けて見える。
(「春秋」 2019年1月6日付日本経済新聞

(3)2018年の今日
哲学は誰も答えを知らぬ問いをめぐり延々と続けられる対話であり、真理を知ったと思い込む者が教壇で語るものではない。
(2018年1月8日付朝日新聞「折々のことば」より)
(感想)哲学だけじゃないよね。昨日の今日だから余計にそう思う。

(4)2013年の今日
・・・日本で「保守」というと、「墨守」と同じ意味合いになる。昔のものをそのままに、昔通りのやり方で守り抜く、といった感じが強い。だから「保守」すなわち「頑迷固陋(がんめいころう)」だ。
 イギリスの「保守」とは、変わらざるを得ぬ状況では変わること、だが慎重に、最小限に変わることをその内容にふくんでいる。理念に忠実であることを誇るだけでは、現実に置いてけぼりにされる。変化に対応し、現実に処理する必要のためには変わらなければならぬこともある。
  しかし急激に変えると、マイナスが大きかったり、ゆり戻しがくる。だから「変化」の必要は認めるが、「革命」の必要は信じない。歴史の酸いも甘いも知り尽くしたようなこの保守哲学は、黒白、是非、曲直でさっぱりいきたいわれわれの苦手とするところだろう(昭和49年5月1日) 
「保守哲学」『深代惇郎天声人語

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英『エコノミスト』誌のウェブ(無料)版と紙(雑誌)版の微妙な差

英『エコノミスト』誌の1月1日号にどうしても読みたいページがある。知り合いが定期購読しているのでポイントを尋ねたところ記事のウェブ版のコピーを送ってくれた。ただ、ご厚意に感謝しつつも仕事で使うので自分で買わなければまずいと思い昨日丸善丸の内本店に電話。「早くても10日か、11日には・・・」「13日にそちらに出向く用事があるので(飲み会ですとは言わなかった)間に合いそうですね」。

今日のお昼「丸善丸の内本店の〇〇です。ご注文いただいた雑誌届きました」「ありがとうございます。では遅くとも13日までに取りにお伺いします」で電話を切ったが、記事内容はわかっているとは言え、ウェブ上に掲載されていても紙で読めるのかどうか、もしかしたら次号ということはないのか、記事内容は同じなのか(僕は定期購読者ではないので、引用するとしたら紙版しか使えない)・・・気になってしようがない。そこで午後5時に仕事を切り上げて家を出る。大手町で降りて丸善の4階へ。雑誌を買って開き、記事を確認してホッとする間もなくまっすぐ地下まで降りて帰宅しました。18時半。

今日の経験で分かったことが二つある。

①少なくとも『エコノミスト』誌は、ウェブ版(無料で見られる場所)と紙版のタイトルが微妙に違うという点。無料版のタイトルは私の知りたいポイントが微妙に外れていた。これは意図的だなと同誌のビジネスセンス(というより商売根性?)に感心した。

②自宅から丸善本店に行って帰ってくるのに90分でした。

いずれにせよ、紙版を買って記事の内容を100%確認できたのはよかった。これで堂々と使えます。

僕の不躾な問い合わせに即応えて必要な記事のコピーをお送りくださった友人のKさんに感謝。丸の内丸の内本店の迅速な対応にも感動(なにしろ昨日の今日でしたから)。

「嘘つきは、戦争の始まり」:出会った言葉(一昨年~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(159)

(1)2年前の今日
「そもそも多様性とは自分にとって都合の悪い人の存在を認めることだと思います」
永井陽右(ながい・ようすけ)さん(NPO法人アクセプト・インターナショナル代表理事
(「多様性って何だ?―「わかり合う難しさ前提に」2020年1月7日付朝日新聞
*本日の言葉は、テロリストの脱過激化に取り組んでいるNPO法人の方の言葉。「自分にとって都合の悪い人の存在を認める」という表現には一瞬ドキッとしたが、要するに私たちは、「一見、自分が受け入れられないと感じた集団の人に対する不安感、不快感をいったん素直に認めた上で、相手を理解しようと努めるべきだ」と理解した。
決して簡単なことではない。

例えば、「近くに来たらいつでも遊びに来てね」と社交辞令で言ったつもりが、もし本当に来たら「なんて図々しいの?」と感じる日本人は少なくないと思うが、「言われたから行くのが礼儀だし、私はあなたに好意を抱いていることを示すよい機会」と考える文化もある。「どこまでが親密で、どこからが図々しくて、どこからが冷たいのか?」てな問題は、それこそ違う文化の人と接してみないと分からない。

「自分自身や自国の文化を相対化する環境に身を置く経験は貴重ですね」。元旦の朝日新聞の対談記事「誰からも否定されないこと 多様性って何だ?」(ブレイディみかこさんvs福岡伸一さん)で福岡さんが語られていました。まさにその通りだと思う

(2)3年前の今日
嘘つきは、戦争の始まり        宝島社
(2018年1月7日日付朝日新聞に載った宝島社の全面広告)

tkj.jp

(3)4年前の今日
言葉の真価は、誰が言ったかではなく、誰が聴いたかで定まる。
(2018年1月6日付朝日新聞天声人語」)より

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「つらいって気持ちに、順位なんてないよ」:1月6日に出会った言葉

(1)2020年1月6日 
「つらいって気持ちに、順位なんてないよ ― 中学校の担任の先生」
折々のことば コンテスト2019 鷲田清一賞 高校部門 広島市舟入高2年 野津日向子さん(2020年1月6日付朝日新聞

広島)鷲田清一賞など受賞 折々のことばコン:朝日新聞デジタル
*心がやや投げやりになっていたこともあり「私よりつらそうな人の話を聞いてあげてください」と言った野津さんに担任の先生からかけられた言葉だそうです。

鷲田さんの選評に「有名人の名言ではなく、家族や先生などのことばを選ぶ傾向が強まった」とありました。一人歩きする「言葉」というよりも、暖かい「個人的な状況」とワンセットになった、それを発してくれた相手の自分への優しい気持ちをすくい取れるような、素敵な一言だと思いました。
よい1日を。

(2)2019年1月6日 
ジョブズの最大の功績は、ジョブズの本当の天才は、電話がアプリの一つでしかなかったあの器具に『スマートフォン』『iPhone』、つまり末尾に『・・・フォン(電話)』という名前をつけたことですよ」堀江俊文さん
NHK番組「平成ネット史(仮)後編」の番組中)
*今日の「言葉」は、昨日夕食後に録画で見たNHK番組から。同じ流れの中で、「実は日本にもスマホ的な進化型携帯があった!」とPDAなどの情報端末が紹介され、「日本は実はいいところまでいってたのでは?」と司会者が問いかけると、

落合陽一さんが「それは勘違いです」と即答。

堀江さんが「この延長では絶対iPhoneにはたどり着きません。技術オリエンテッドだとうまくいかない」

と述べて「ユーザーからみて『何があったら便利か?』という発想がなかった・・・・、当時(2001年ぐらい)そのことに気づいた僕は、当時技術は世界一だったソニーを買収しようとしたんですけど・・・(事件が起きて)」といった自慢話的、自虐的なエピソードも次々と出て、感動しました。で、その後に「ジョブズの天才は・・・」となったわけ。

「『スマートフォン』なら田舎のおじいちゃん、おばあちゃんでも『何か、電話っぽいな』って分かる。でもさ『PDA』なんて名前つけても誰も買わないよ!」の一言は痛快でした。

tvpalog.blog.fc2.com

(3)2018年1月6日 
全力で恥をかけ
 ー 井上真梨子さん(中学生)
(私の折々のことば コンテスト 2018年1月6日付朝日新聞天声人語」より)

SNSは年賀状を毎日やり取りしているのと同じ

年賀状は段々減ってきていますが、それでも今年は50枚ぐらい来たでしょうか。それらをしみじみと眺めながら、

「お父さん、SNSって毎日年賀状を交換しているみたいなものかしら?」とぼそっとつぶやいた。元々SNS懐疑派で、その傾向は『スマホ脳』を読んでから一段と強まりました。

「確かにそうかも」と応える私。

「年賀状ってのはさ、『自分はこんなに楽しくやってます』『私(たち)の生活はこんなに充実してます』『私(たち)はこんなに幸せです!』っていうのを、年に1度報告する手段だよな。正月って、年に一度のお祝い、『ハレ』の日なんだから、『僕はこんなに不幸です』とは書かないし、例えば親族にご不幸があった人は年賀状を送らないわけだ。その意味では、確かにSNSにも似た要素はあるかも……実際、SNSを年賀状代わりに使っている人もいるしね・・・」

「でも、年賀状は年に1回なのよ」

「そうだね、そういう意味では、確かにSNSって年賀状を毎日交換しているのに近いかも。人によっては1日に何回も。コメントもつくし。時たま『それは違うと思います』てだれかの書き込みに反論するバカな奴がいるけども(僕も時たまやらかして反省することもあってね)・・・まあ、ネガティブなコメントをするのはエチケット違反だな。『見て見て、私はこんなに充実した生活を送ってます』『わあすごい』『素敵ね』「素晴らしい』『羨ましい!!』って感じだよ」

「それが毎日?」「そう毎日」「1日に何回も?」「そう、何回も」

「毎日年賀状の交換会が続くのね~。さっきSNSを年賀状代わりっていってたけど、『あけましておめでとうございます』みたいな挨拶を一つ作ってフェイスブックに載せて見てもらっておしまい、というのもあるの?年賀状で言えば、写真を貼って定型の文章をつくって皆さんに見てもらう。見てくれる人へのメッセージがない・・・そんな感じかしら?」
「そうだろうなあ」「それって完全な手抜きよね~」

「お父さん・・・やっぱりSNSって『向き』『不向き』があると思う。少なくともアタシには向いていないわ。年賀状を年に1回つくって送るだけでも気力、体力ともにものすごく消耗するのに、毎日やりとりするなんて、絶対に疲れると思う」

元々は毎年手作りの木版画で年賀状を送っていた人である。結婚後、プリントゴッコの時にも絵柄を凝りに凝って作成、印刷になったここ数年も、本屋で数時間を過ごして年賀状の本(?)を1~2冊選び、ほぼ1日かけてデザインを選ぶ。しかも年賀状の裏側に(もちろん印刷部分はあるのだが)一枚一枚違ったメッセージを入れる人。「だってそうしないと、相手に対する気持ちが伝わらないじゃない」と言う。ちなみに私は、その「おこぼれ」を頂戴して印刷し、裏側にはちょこちょこっと「元気?」「飲みに行こう!!」で済ませるタイプである(恥)。

「そうだなあ。俺みたいにサッサッと書いてパッと出しちゃって後は気にしないタイプとちがって、お母さんは一通一通気を遣っているもんね。・・・たしかに(SNSには)向いてないかもね」

「向いてないっていうよりも、耐えられないと思うの、私」

そうだなと納得した。