金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「2つの規範が、民主主義を機能させるために必要不可欠のものとして君臨している――相互的寛容と組織的自制心だ」:1月5日に出会った言葉

(1)2020年1月5日  
「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」ブレイディみかこ
(「折々のことば」 2019年9月24日付 朝日新聞

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*今日の言葉は、今年元旦の朝日新聞の記事「誰からも否定されないこと 多様性って何だ?」という題の対談(ブレイディみかこさんvs福岡伸一さん)から。念のためGoogle検索をかけてみたら、昨年の4月の「折々のことば」で紹介されていたので、そちらを出所とした。ここで多様性とは「民主主義」と置き換えることができると思う。
そんなことを思いながら今朝の新聞を眺めていたら、「経済発展には個人の自由が不可欠と言われてきたが、中国は必ずしもそうでないことを証明している」(「自由より国家、走る中国 民主主義の未来守れるか」2020年1月5日付日本経済新聞)という記事が目に入った。「政権が安定していて、株価が上がっているからいいじゃないか」という安倍政権に対する見解を僕も知り合いから聞くことがある。あれだけのことがあって政権への支持率が下がらないという事実は、今の日本の民意は、民主主義を否定する政党指導の資本主義」を容認する方向に傾いているのではないか、と暗澹たる思いとともに感じてしまう。僕は諦めるつもりはありませんが。

(2)2019年1月5日  
(規範とは)特定の共同体や社会のなかで常識とみなされている共通の行動規則である。それらのルールはメンバーによって受け容れられ、尊重され、遵守されている。……(アメリカでは)なかでも2つの規範が、民主主義を機能させるために必要不可欠のものとして君臨している――相互的寛容と組織的自制心だ。
……相互的寛容とは、対立相手が憲法上の規則に則って活動している限り、相手も自分たちと同じように生活し、権力をかけて戦い、政治を行う平等な権利をもっていることを認めるという考え方である……言い換えれば、相互的寛容とは、政治家みんなが一丸となって意見の不一致を認めようとする意欲のことである。
……
(民主主義の生き残りに不可欠の二つ目の規範である)組織的自制心とは、「法律の文言には違反しないものの、明らかにその精神に反する行いを避けようとすること」と言い換えることもできる。自制心の規範が強い環境下にいる政治家は、たとえそれが厳密には合法であっても、制度上の特権を目いっぱい利用しようとしない。なぜなら、そのような行為は既存のシステムを危険にさらす可能性があるからだ。
(『民主主義の死に方』レビツキー/ジブラット著、濱野大道訳、池上彰解説、新潮社、pp132-137)
*本日見つけた「言葉」。「憲法は万能ではない」「憲法は常に不完全」であって、常に「解釈」という問題がつきまとう以上、それを支える「規範」こそが重要だ、と著者等は説いています。読みやすいのでおすすめです。 

(3)2018年1月5日  
翻訳というものは、経年劣化からは逃げられない宿命を背負っている。僕の感覚からすれば、おおよそ半世紀を目安として、ボキャブラリーや文章感覚のようなものにだんだんほころびが見え始めてくる。僕が今こうしてやっている翻訳だっておそらく、50年も経てば「ちょっと感覚的に古いかな」ということになってくるだろう。
(本日付日経新聞「準古典小説としてのチャンドラー 村上春樹氏寄稿(下) 長編7作の翻訳終えて」)

準古典小説としてのチャンドラー 村上春樹氏寄稿(下): 日本経済新聞

「人間は誰しも生きてきた年月だけ『自分自身』を演じている」:2018年~2021年の今日に出会った言葉

(1)2021年の今日  
人間は誰しも生きてきた年月だけ「自分自身」を演じているので、自分を演じる限りあらゆる人間は「名優」になり得る。……是枝はおそらく、このことに極めて自覚的だったのではないだろうか。(相田和弘「是枝映画におけるドキュメンタリーの手法」『総特集 是枝裕和―またここから始まる』p105))

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本日の言葉は、是枝裕和監督作品『ワンダフルライフ』論。これを読んでDVDを借りて正月休み中に観ました。是枝さんはこの映画のために600人に「これまでの人生で最も幸福だった瞬間」についてインタビューした後何人かを選び、改めて彼ら彼女にインタビューし、その様子を映画の設定(亡くなった人が天国の入り口で『自分の人生で最も幸せだった思い出』を語る)に組み入れてしまったのだという。ARATA、寺島晋、伊勢谷友介木村多江香川京子などプロの俳優が何人も脇を固めているので、ご覧になっていない方は是非。

(2)2019年の今日
才能や知性は平等に分配されていないのだから、個人の自由は必ず不平等を生む。自由社会ではこの出生の偶然から起こる不平等をどう軽減させるかが問われている。ニーアル・ファーガソンさん(ハーバード大学ベルファーセンター上級フェロー)
(「逆境の資本主義 ファーガソン氏「金融危機からの回復、注目すべき」2019年1月1日付 日本経済新聞

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皆が同じ条件で生まれている訳ではない。だから社会はその不平等の縮小に向けて手立てを講じるべきだ、その意味からの自由の抑制はありだ、というファーガソン氏の主張には考えさせられました。

今年の目標はただ1つ。「生活に空白をつくること」。
「絵も同じ。私は絵を描くときにはかならず空白を作るようにしているの。空白のない絵はつまらない。深みがないのよ」という相方の言葉に触発されました。
よい1年を!

(3)2019年の今日
「使う言葉をだんだん少なくしていって、最後はただ座っているだけ。黙ってニコニコしていると、なにやらお客さんも楽しくなってきてニコニコする。そこにいるだけでいい、てなことですかねぇ」。 (理想の高座について尋ねられた桂枝雀さんのお答え)
(「春秋」 2019年1月4日付日本経済新聞
*多くの皆さんは今日が仕事始めでしょうか。年初ですから気を引き締めて!と言いたいところですが、ついつい「緊張しい」「しすぎ」の自分を今年は改めたいと思っているので、「気を緩めて」行きたいとおもっています。

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(4)2018年の今日
発想力、広い枠でのパターン認識、極めて複雑なコミュニケーションは、人間が(注:コンピューターに比べて)比較優位を持つ認知能力の分野であり、この優位はしばらく動かないと考えられる。だが残念ながら、こうした能力が現在の教育において重視されているとは言いがたい。(『ザ・セカンド・マシン・エイジ』ブリニュルフソン&マカフィー著、村井章子訳(日経BP社 2015年)p313

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「個性は技術へのこだわりから生まれる」:出会った言葉(昨年~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(155)

(1)2年前の今日
感想戦は敗者のためにある」
……将棋は勝者と敗者がハッキリ分かれるゲームです。厳しい勝負の世界だからこそ生まれた文化なのかなという気がします。藤井聡太七段(「将棋に関してこれまで接した中で心を打たれた言葉は?」と尋ねられた時の答え。
(「藤井聡太さんに木村草太さんが聞く」 2019年1月3日付朝日新聞
*Youtubeが残っていまして、↓では3分20秒から。

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(2)4年前の今日
個性は技術へのこだわりから生まれる。江夏豊
(「私の履歴書」2017年12月31日付け日経新聞

外国に住んでいる親子間コミュニケーションの一コマ

昨日の夕方、年賀状を買いに近所のセブンイレブンに行った折のこと。店を出ると向こうから、インド人の父親が歩いてくる前を4歳ぐらいの女の子が自転車に乗って走っていた。父親はスマホに何か話していたが、恐らくヒンディー語で、何を言っているのか分からない。すると私がコーヒーを持っていたせいなのだろうか、娘が父親に向かって

「パパ~、私にも何か買って!」と言った。見事な、可愛らしい日本語で。

電話から娘の方に顔を向けたお父さん、「〇◆※◇X・・・」(僕には全くわからず)

娘さん「は~い」(これも日本語)。
娘さんは、もちろんお父さんの言ったことを完璧に理解しているのだろう、お店の外でお父さんの買い物をおとなしく待っていました。

外国に住んでいる時の親子間コミュニケーションの一コマということで。

訳文を暗記する②(使える表現と、使いづらい表現)

翻訳書の中から「参考になりそうだな」と思った訳文を、原文と一緒にメモして残している翻訳者の皆さんは多いと思う。

その作業自体には意味がある。しかしそれをノートにして残しておいても、意外と役に立たないのではないか、というのが僕の実感である。

その理由の一番大きな理由は、その訳語、または訳文が周辺の1,2文で収まりきらない文脈によって定まっているので、部分だけ切り取っても後で振り返った時にポイントがつかみにくくなっている、という点にある。

「鋭い訳」「美しい訳」は、前後関係があるからこそ光っているのであって、前後関係がないと、あとで振り返った時に非常にわかりにくくなることが多い。逆に言うと、文脈を無視してその表現だけを真似しようとしても、暗記用文書としてはあまり使えない。以前「マッチ率はナンセンス」(下記参照)で「翻訳メモリ」の限界として説明したのとまさに同じ理屈がここに当てはまるのだ。

そういう点からすると、大学入試問題や英文解釈の参考書で「抜き出されている」英文は、比較的少ない段落でまとまった主張なりストーリーであることが多い(稀にその文章の背景が説明された上で引用される英文もあるが、ここでは無視する)。したがって前後関係がなくても引用カ所だけで内容が分かるものが選ばれているので英文解釈や翻訳の練習になるし、そこに使えそうな表現が見つかれば(もちろんその一文だけではなく)、そこに抜き出された文章をそのまま抜き出す限りでは、かなり使いやすいのだ。

冒頭で、訳書等で見つけた訳文は使いづらいと書いたけれども、例外はある。例えば僕は『絶望を希望に変える経済学』の原文と訳文を、1ページ目からずっとノートに書き写し続けている。1年半かかって現在は(訳書の)97/497ページまで来た。その中で、「将来どこかで使えそうだな」「自分では思いつかないな」と思った表現は「抜き書き」するのではなく、原文と日本語の周りを赤線で囲んでいる(ノートの余白には目立つように、その表現を抜き書きする、といった工夫はしている)。実はこれが結構役に立っているのだ。仕事で英文を訳していて「あれ?」と思った時にノートをめくると、その「シャレた表現」を文脈の中で確認できる。その表現がどういう場合に使えて、使いづらいかもわかりやすい。

ただ書き写していれば何かが身につくだろうと思い、それ以上の期待を抱かずに始めた作業ではあるけれども、100枚(200ページ)の大学ノート2冊めまで続けてきて、実はその蓄積が他の翻訳に生きるのではないか、と感じ始めている。

それが実感です。

tbest.hatenablog.com

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強情を以て今年を終るなり 藤田湘子:12月31日に出会った言葉

(1)2021年12月31日
人間は、不便に戻れる。
(株式会社幸楽苑の全面広告 2021年12月31日付日本経済新聞
幸楽苑は今日、朝日新聞にも全面広告を出している。そのコピーは「0億円事件」。朝日と日経の広告コピーを入れ替えた方が「合っている」感じがするが、「人間は、不便に戻れる」の方がはるかに優れたメッセージだと思いました。
望むらくは、コピー以外の会社の(元旦休日に対する)説明文は不要だった。コピーと営業時間案内(元旦を休むという案内)だけの方がインパクトが強かった。
でも、働き過ぎに対する警告にとどまらず、AIの行きすぎか、と思われる時代にアナログへの回帰を促すかのようなよい広告だと思います。

www.kourakuen.co.jp

(2)2018年12月31日
私は職人という言葉が好きなんです……で、職人と芸術家の違いって「これで採算がとれるか」を考えるかどうかだと思うんです。
(『一切なりゆき~樹木希林の言葉』p34)

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(3)2017年12月31日
強情を以て今年を終るなり 藤田湘子
(『第六 折々のうた大岡信 岩波新書 p161より)

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年末の風景(2012~2020年の今日(または年末)の私の生活)

(1)2020年の今日
昨晩録画したSASUKEを早朝に見たら(祝完全制覇!)何やらモリモリやる気が出てきて翻訳ストレッチをしてしまった・・・今日は仕事しないんやけど。

(2)2019年の今日
今日1日仕事して明日年賀状と思っていたら「もういい加減にしなさい!このウチはあんた一人で回ってんじゃないのよ!!」と天の声が降ってきたのでカミナリになる前にいったん打ち切ります。

(3)2017年の今日
今日の午後2時頃(遅いランチタイム)の会話。
「お~い、冷蔵庫に目玉焼き1個残ってたな」
「ああ、あれHが今朝食べなかったのよ。午前にお医者さんに診てもらったらウィルス性の急性腸炎だって」
「ふ~ん、そりゃ大変だが、一昨日から腹の調子が・・・て言っていたのが診断ついてよかったじゃんか」
「お父さん、まさかあの目玉焼き食べたいって言うんじゃないわよね」
「そうじゃねーよ。この分なら明日の朝は1個焼けばいいんだなと思っただけさ」
「1個?」
「そう1個。だって冷蔵庫に残ってる奴を朝俺が食べるだろ?Hは食えないんだから、焼くのは1個でいいわけじゃんか」
「そんな明日の朝の卵焼きのことなんて考えなくても・・・」
「いやいや、それは僕の任務だからね。常に先々のことを考えておかんとね」
僕は我が家の卵焼き焼き係なのだ。ついでにゴミ捨て係も兼任しており、我が清新中央ハイツのゴミ置き場は今日の午後2時から1月4日まで閉まるので、それに間に合うようにすべてのゴミも片付けたのはこのオレ様なのさ。
「お父さん、明日の卵焼きの個数のことを考える暇があるんだったら、今やらなきゃならないことを考えた方がいいんじゃないの?」「え、今?」
「今日、何日?」「え~30日」
「年賀状は?」「え~明日の午後の予定で・・・」
相方はすでに1週間前に出し終わっている。
「明日午前10時からお買い物付き合ってもらうって言ってあったわよね」「あ、そうだった」
「いろいろ回るから夕方になるかもしれないって言ってたよね」
「そ、そうだったかも・・・」
「年賀状、今やりなさい」「へ・・・?」
「お父さんの『先々・・・』てのはね、『自分の先々』なの。自分中心なのよ。わかる?その他のことはすべて頭から抜けてるの」「そ、そうかも」
「昨日、大掃除だったの、知ってる?」(あ、そっちから来た)
「あ、そうだったかも」
「あんたね、『これこそ自分がすべきことだ』とあんたが考えていることだければ世の中が回るって考えてちゃダメなのよ」
「はい・・・」
「今日中の締め切りあるの?」「あ、ありません」
「じゃあ、今から年賀状始める!」「は、はい・・・」
というわけで2時間程前に個人用、会社用の年賀状約100枚を出し終わったところです。
お疲れ様でした!

(4)2015年の12月31日
昨日は午前中仕事の後年賀状書き。

「年賀状『書き』」と言ってもプライベート(約50枚)の方はすでに妻が作成した裏面に簡単な挨拶を買いて、表面は筆王からプリント。
仕事関係(約50枚)はWord2013ではがき大にフォーマットして文章を作成し「さあできた!」と思ったら「お父さん、これじゃ味もそっけもないじゃん」と言われ、相方が書店で数時間費やして厳選した「年賀はがき本」(ソフト)のデザイン候補の中から適当な図柄を組み合わせること1時間。「はい、できたわよ」もちろん出来合いのものの組み合わせではありますが、同じ文章なのに周りに装飾を施しただけで見栄えの全然異なる年賀はがき(裏面)が仕上がる。

午後7時に投函しました。毎年そうですが年賀はがきを投函すると胸のつかえが降りた気がします。それで今朝は4時半に起きて家族の中で私以外にはド嫌われているボクシングの世界戦(井上強かった)を早回しで見て削除し、こちらもスッキリ。

本日は午前中仕事で仕事納め。昨年はどうだったかなと思ってこの日記を振り返ったらやはり31日だった。昨年は(昨年の)昨日の夜にボクシングを見ていた。「井上尚弥の強さは衝撃的だった」と書いています。

今年は1月4日から働き始めたので、今年全く仕事をしなかったのは1月1日~3日と、あと3日ぐらいあったろうか?半日休みが10日ぐらいあったから、2015年のお休みは延べ10日ぐらいだったような気がする。

もちろん、好きな仕事だからこそできるわけで、良い子(サラリーマンの皆さん)は決して真似してはいけません。ただ来年はもう少しのんびりしたい・・・とかなんとかいいながら本2冊の翻訳が大遅れでやばい・・・と考えちゃあいけないんだ。「お父さん、心に余裕をもって!」はい。とにかくあと3日は休みます。

・・・というわけで、本日も皆さんにとって素晴らしい1日となりますように。来年が皆さんにとって素晴らしい1年になりますように!!

(5)2014年の今日
昨日は夕方まで仕事をして買い物、散髪の後、4家族が集まり忘年会。元々は長男の幼稚園のクラスメート4家族でバーベキューパーティを開いたのがきっかけ。その後は毎年、子どもたちが中学に上がった頃から2~3年に1度になった(妻同士は毎年何か理由をつけて会っている)。未だに西葛西に住んでいるのは2家族。前回までは子ども(たち)もいたが、さすがに昨日は全員親だけとなる。集まって話しているだけで思い出のような会です。

本日午後は大掃除とのこと。「お母さん毎日のように掃除しているんだから大掃除の必要ないでしょ?」と一応聞いたら「窓ふきが残ってるの!それとお父さんの部屋」と言われました。さすがに年内は今日と明日なのでもう逃げられないと覚悟を決めた。

(6)2013年の今日
さっき納品した先(ソースクライアント)から納品確認のメールが来たので、年末のご挨拶の電話した。
「・・・本当に今年もお世話になりました-。来年もよろしくお願いします」
「いえいえ、鈴木さんのご予定わかってて心苦しいんですけど・・・よろしくお願いしますね」
(あれ?ちょっと話がずれているような気が)
「私は明日までで4日から動きます・・・で、年末年始のご予定は・・・?」
「私6日からフルスピードで動きますので、大丈夫ですよ。よろしくおねがいします」
「え、あれ、、、では・・・?」
「あら、まだメール届いていませんか?1本あるんですけど」
ちょうどそのタイミングで「翻訳依頼」のメール着信。
(心の中で「じぇじぇじぇじぇじぇじぇじぇじぇじぇー!!!」)
「あ~有り難うございますぅ~!!!」(心なしか声がかすれている)
(やっと「ズレ」の意味を了解する)
しどろもどろ、スッタモンダのやり取りがございまして、8日からの分納ということになった(全部で3000ワードぐらいですけど)。
和英案件(こちらはネイティブ担当者が奮闘中)もあるし、来年の仕事がもう入っているなんて涙があふれ出るほど嬉しいわ。

(5)2013年の今日
昨日は昼間に葛西のイトーヨーカドー葛西店へ。はなまるうどんで「コクうまサラダうどん」(これ1杯で1日分の緑黄色野菜が採れる!が売り)を食べた後は家庭菜園用の土2袋を自転車に積んで帰宅(私は単なる運び屋)。自転車で片道15分ぐらいの道のりだが、天気もよい中で人通りの少ない、「静かな」と形容できるような街並みの中を走っているとやはり世の中は年末だなと実感する。
午後6時から、26日にオープンしたばかりのイタリアンレストランで食事会。

帰りにTSUTAYAに寄って「舟を編む」を借りる。帰宅後に見始めたのだがふと気がつくと「お父さーん」と妻の声。15分ぐらいで寝てしまったらしい。原作も読んでいて出演者も好きなので決して退屈したわけではないものの、ビールを2杯飲んで、床暖房の効いた部屋でソファに寄りかかっているうちに寝てしまったらしい。映画は20分ほど進んだところで停めてくれていた。「明日見直そうよ」ということで今日再び見ます。

日も私以外は全員年末年始の準備(掃除)。昨日管理組合の広報担当の方から「鈴木さん、4日の午前までね!」と督促。管理組合便り年始号の理事長挨拶本当は20日が締め切りを引き延ばしていたのだ。これもやらなきゃ。明日の仕事収めの後に(午後から)。

(7)2013年の12月31日
昨日は基本は仕事。家族は大掃除。私の貢献は布団干しだけだった。夕方に書籍の編集者さんと年始のスケジュールについて電話で打ち合わせ。
「1日から3日までは休みますのでよろしくお願いしますね」(前から言ってあった)
「大丈夫です!」
「Sさんのご予定は?」
「私は1日から3日までは稼働していますので、コメント等あればこの期間中に入れておきますね」「わかりました!」
彼女は4~5日はお休みするとこのと。正月中も働いている人がいるんだ~と改めて感慨を覚える。
夕食後に一昨日寝てしまった「舟を編む」を見る。何かの番組で是枝監督が「映画はキャストで決まる」と言っていましたが、あのキャストで原作の印象をそのまま再現されたら感動するだろう、という見本のような映画だった。若い時の宮崎あおいはスッピンだったのだろうか?
今日は書籍を区切りのよいところまで進めて午前中早めに翻訳は仕事納め。管理組合の理事長「年頭のあいさつ」書きを午前中に終わらせるのが目標。午後は年賀状書きでその後実家(家から5分)に移ります。明日は初詣。2日は妻の実家。3日に西葛西に戻って実家で母と妹家族と我が家で新年の挨拶。4日から始動が年末年始の予定。例年通りです。
・・・というわけで次にこれを書くのは1月4日(土)になります。
朝起きてパッと思いついた前日のエピソードを切り取って15分以内で書く、という自分の訓練(その意味ではこれも朝の「翻訳筋トレ」です)は今後も続けていきます。
皆様、本年もお世話になりました。なお私の年賀状の到着は3日以降になると思います(何しろ今日の午後に書くので)。ゴメンね。
皆様にとって来年も素晴らしい年になりますように!

(7)2012年の今日
たった今「大掃除!」コール。
というわけで2012年の仕事関連はここまで。また来年。
皆様、よいお年をお迎え下さい。