金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

SNSは年賀状を毎日やり取りしているのと同じ

年賀状は段々減ってきていますが、それでも今年は50枚ぐらい来たでしょうか。それらをしみじみと眺めながら、

「お父さん、SNSって毎日年賀状を交換しているみたいなものかしら?」とぼそっとつぶやいた。元々SNS懐疑派で、その傾向は『スマホ脳』を読んでから一段と強まりました。

「確かにそうかも」と応える私。

「年賀状ってのはさ、『自分はこんなに楽しくやってます』『私(たち)の生活はこんなに充実してます』『私(たち)はこんなに幸せです!』っていうのを、年に1度報告する手段だよな。正月って、年に一度のお祝い、『ハレ』の日なんだから、『僕はこんなに不幸です』とは書かないし、例えば親族にご不幸があった人は年賀状を送らないわけだ。その意味では、確かにSNSにも似た要素はあるかも……実際、SNSを年賀状代わりに使っている人もいるしね・・・」

「でも、年賀状は年に1回なのよ」

「そうだね、そういう意味では、確かにSNSって年賀状を毎日交換しているのに近いかも。人によっては1日に何回も。コメントもつくし。時たま『それは違うと思います』てだれかの書き込みに反論するバカな奴がいるけども(僕も時たまやらかして反省することもあってね)・・・まあ、ネガティブなコメントをするのはエチケット違反だな。『見て見て、私はこんなに充実した生活を送ってます』『わあすごい』『素敵ね』「素晴らしい』『羨ましい!!』って感じだよ」

「それが毎日?」「そう毎日」「1日に何回も?」「そう、何回も」

「毎日年賀状の交換会が続くのね~。さっきSNSを年賀状代わりっていってたけど、『あけましておめでとうございます』みたいな挨拶を一つ作ってフェイスブックに載せて見てもらっておしまい、というのもあるの?年賀状で言えば、写真を貼って定型の文章をつくって皆さんに見てもらう。見てくれる人へのメッセージがない・・・そんな感じかしら?」
「そうだろうなあ」「それって完全な手抜きよね~」

「お父さん・・・やっぱりSNSって『向き』『不向き』があると思う。少なくともアタシには向いていないわ。年賀状を年に1回つくって送るだけでも気力、体力ともにものすごく消耗するのに、毎日やりとりするなんて、絶対に疲れると思う」

元々は毎年手作りの木版画で年賀状を送っていた人である。結婚後、プリントゴッコの時にも絵柄を凝りに凝って作成、印刷になったここ数年も、本屋で数時間を過ごして年賀状の本(?)を1~2冊選び、ほぼ1日かけてデザインを選ぶ。しかも年賀状の裏側に(もちろん印刷部分はあるのだが)一枚一枚違ったメッセージを入れる人。「だってそうしないと、相手に対する気持ちが伝わらないじゃない」と言う。ちなみに私は、その「おこぼれ」を頂戴して印刷し、裏側にはちょこちょこっと「元気?」「飲みに行こう!!」で済ませるタイプである(恥)。

「そうだなあ。俺みたいにサッサッと書いてパッと出しちゃって後は気にしないタイプとちがって、お母さんは一通一通気を遣っているもんね。・・・たしかに(SNSには)向いてないかもね」

「向いてないっていうよりも、耐えられないと思うの、私」

そうだなと納得した。