金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「自分に自信がない人は、……知り合いの有名人の名前を差し挟む:出会った言葉(昨年~6年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(80)

(1)昨年の今日
歴史を記すことは、歴史から逃れて再構築することではない。問うべきは、歴史を記すまでにどれだけの時間(とき)が過ぎなければならないかではなく、それまでに何が起こったのか、また、記述後に何が起こると予想されるかである。
(『暴落―金融危機は世界をどう変えたのか』(上)アダム・トゥーズ著、江口泰子、月澤理李歌子訳(みすず書房)pp23-24)
*歴史は、事実が起きてからそれが書かれるまでの間に「何が起きたのか」を振り返り、将来を考えることに意味がある、という引用文は眼から鱗だった。

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(2)2年前の今日
小学校では……まずは自分の気分や力加減をコントロールしながら作業に集中できるようになることを目指した方がいいのです。その中には、筆算の桁をそろえることや、板書を正確にある程度の速さでノートに写すことや、手順どおりに実験をしてその結果を見たとおりに記録することが含まれます。こういうと多くの人に「そんな単調で創造性がない作業を子どもに強いてどうするんだ。そういうことこそAIやロボットに置き換えられる」と言われます。
それは違います。……人間がコンピュータと本質的に異なり、そして優れている点は、「意味が(なぜか)わかること」と「欲求があること」と「全力で怠けようとする」というところではないかと思います。
(『AIに負けない子どもに育てる』p192 新井紀子著、東洋経済新報社

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*昨日の 「何らかの力」の答えが次のページに書いてあった。毎日5分程度の音読なので、日々発見しながら、驚きながら読んでいます(これも一種の「遅読」の効用かも)。それにしてもAIを研究し尽くしているように見える新井さんがそういうことに気づく、ということにただただ感銘するばかり。RSTを地道につくっていく作業の中で会得されたのかなあ。

(3)3年前の今日
 好奇心(Curiosity)、勇気(Courage)、挑戦(Challenge)、確信(Confidence)、集中(Concentration)、継続(Continuation)
(本庶さん「6つのC。学びも遊びも」2018年10月2日付朝日新聞

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(4)4年前の今日
自分に自信がない人は、話の折に知り合いの有名人の名前を差し挟む。もちろん私もだ。もちろん私もだ。
(柴田耕太郎著『決定版 翻訳力錬成テキストブック』(日外アソシエーツ)、p80)

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「産業翻訳イントロダクション」(上智大学文学部英文学科 2021年春の講義)を公開します。

本日より、上智大学で私の行った授業(Youtube)を次の要領で公開いたします。

科目名 上智大学文学部 英文学科Translation Theory 1 (輪講)(2~4年生が対象のオンデマンド授業)

開講学期 2021年度春学期 6月10日(木)講義分の授業動画(96分)

担当教員 鈴木立哉(非常勤講師)

タイトル「産業翻訳イントロダクション」

内容:産業翻訳の知識がない学生向けの「産業翻訳入門」授業です。私が金融翻訳者なので金融/経済寄りの内容になっていますが、産業翻訳全般を紹介しています。後半は「経済英語入門」として経済金融英語の基本的な訳し方や姿勢について説明もしています。

公開期間:3カ月(2021年12月末まで)

受講料:無料です。

条件:①本講義のダウンロードはお断りします。
②授業で使ったテキストは配布しません。私は6月10日分以外に17日も同じ形式での授業を行いましたが、第2回(17日)講義については公開の予定はありません。

なお今回の授業公開にあたって、上智大学文学部英文学科の関係者の皆様には、公開の趣旨を十分ご理解いたき、公開の手続きやご承認プロセスにおいて大変お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

*既に公開を終了しております。延べ477名の皆様にご覧頂きました。ありがとうございました。なお、今後ご覧になりたい方は私宛に個別にメールをいただければ、個別対応させていただきます。

 

「小学校を卒業するまでに板書をリアルタイムで写せるようにする。」:出会った言葉(昨年~6年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(79)

(1)昨年の今日
特にネット空間では、短時間でわかりやすく情報を発信する人に価値がある、知性があるとされる。でもプレゼンテーションのスキルは「自分を賢そうに見せる技術」であって、何度スピーチをしても話者自身は賢くならない。……本当に知性的な人は、他者との対話を通して、自分の「情報の見方」自体を変えることができる。内田樹さん
(「知識より直感 『野蛮人』たれ」2020年9月30日付朝日新聞
*2020通訳翻訳フォーラムで2年ぶりにパワポを使った。シート単位でまとまった情報やコンセプト入れ替えたり見せたりするのにはとても便利だったが、それ以上うまくなる必要があるのかな?とは思いました。「パワーポイントはクソ仕事の元凶です。人を『仕事してる気』にさせてしまう」という出口周さんの感覚に近かった。大事なのは対話だという引用文に大いに共感した次第。

(2)2年前の今日
「小学校を卒業するまでに板書をリアルタイムで(書き)写せるようにする。小学校のうちに穴埋めプリントを卒業する。そして、中学校ではプリントを使わないことを目標にする」…… それは、私たちがテクノロジーの導入によって、20年あるいはもっと長い時間をかけて失った能力を回復する作業です。……スマートフォンの普及は、幼児が接する大人たちがSNSやゲームに集中する時間を増やし、大人同士の会話を聞く時間や自分に話しかけてくれる時間を劇的に減らしました。それが子どもたちから「何らかの力」を急速に奪いつつあると考えるのが妥当でしょう。
(『AIに負けない子どもに育てる』pp191 新井紀子著、東洋経済新報社

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(3)3年前の今日
 ……ああ、これは向田さんのエッセイと同じだと思った。格調高い文章の間に交じるさりげないユーモア。ご自分のささやかな弱点を誇張し、読者を楽しませるサービス精神が溢れているのだ。
山根基世向田邦子の『愛』」『向田邦子を読む』(文藝春秋編 (著))p135より)

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(4)4年前の今日
ことばには、他人の言い方が誤用だと思ってしまうと、なぜかそれを黙って見過ごせないという、おかしな魔力がある。 神永曉(さとる)
(2017年9月29日付朝日新聞「折々のことば」より)

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「嫌なお方の 親切よりも 好いたお方の 無理が良い」:出会った言葉(昨年~6年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(78)

(1)昨年の今日
誰にだってまちがうことがある。危険なのは、まちがいを犯すことではなくて、自分の見方に固執して事実を無視することだ。前へ進むにはつねに事実に立ち戻り、まちがいを認めなければならない。前を向くのはそれからだ。
(バナジー&デュフロー著『絶望を希望に変える経済学』村井章子著(日本経済新聞出版)p18)

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(2)2年前の今日
人工知能(AI)が普及し、デジタル化が進むにつれ、逆に暗黙知の存在が意識されている。
野中郁次郎私の履歴書―研究テーマ 今こそスミスの原点に 共感する他者 知の共創は続く」2019年9月30日付日本経済新聞

野中郁次郎(29)研究テーマ: 日本経済新聞

② 私は、大学時代、阿部謹也先生が授業中にこんな苦言を呈したことを思い出しました。「一橋大学の学生の知的レベルが劇的に下がったと感じたのは、生協にコピー機が導入されたときだった。……君たちはノートを写す、ということなど極めて退屈で無意味な作業だと思うのだろう。だが、皮肉なことに、君たちが侮る作業を機械に頼ることによって、実は君たち自身の質を低下させることに気づいていない」
(『AIに負けない子どもに育てる』pp184-185 新井紀子著、東洋経済新報社

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本日の朝刊を開いて①は漠然と分かった気がしたが、偶然②を読んでその意味が明確になったような気がしました。阿部謹也先生の授業は、教養部にいた2年間採ったがほとんど出席しなかった。朝早かったこともあるんだが、阿部先生、確か最初の授業でこうおっしゃったのだ。

「諸君、君たちには恐らく今、一番の自由な時間がある。大学に来て、そこに座って、私の下らない話なんか聞いている暇があったら、もっともっとやること、考えることがあるはずだ。それを探せ!」でも今は阿部さんの授業に出なかったことを心から悔いている(なお、成績は持ち込み可の試験またはレポートだったと思います。出せばAだった)。

もう一つ。大学2年の夏休み、当時僕が入っていた政治思想史のゼミ(当時は教養部にもゼミがあった)との合同合宿で飲みながら伺った話も忘れられない。「これから君たちが人を好きになった時のために必勝のアドバイスを教えよう。いいか、誰かを本当に好きになったら、一心不乱にその人を見つめ続けろ。片時も目を離すな。そうしたら相手はどこかで君たちと目を合わせる時がくるだろう。その瞬間にその人は君に恋をする。これは真理だ」。

余談ですが、野中郁次郎先生は阿部学長のアドバイスを受けた話が今月の「私の履歴書」に出ています。
(以下引用)旧知の間柄だった一橋大学学長の阿部謹也先生に、教員の候補はいないかと相談した。阿部先生は、1986年の学長選後、学生たちを批判するビラを配って学内で浮き上がってしまった私たちに「尊敬に値する」と声をかけてくれた唯一の人であり、恩義を感じていた。(野中郁次郎私の履歴書 ―北陸先端大へ 「場」で生まれる知を提唱 一橋大を退職、知識科学研究科長に」2019年9月24日付け日経新聞

野中郁次郎(23)北陸先端大へ: 日本経済新聞

(3)3年前の今日
 僕たちは上場した頃から道を誤った。いい店である前に、「優良企業」になってしまった。会社というのは大きくなると壊れる。だからある時点でいったん足を止めないといけない。外食人生50年。「経営って難しい」というのが率直な感想だ。
横川竟私の履歴書」本日付日経新聞より)

横川竟(29)再出発: 日本経済新聞

(4)4年前の今日
小説の楽しみのひとつは、全体の流れや構造とは関係のない細部につまずくことにある。
堀江敏幸「傍らにある人」より。2017年9月30日付日本経済新聞

(5)6年前の今日
嫌なお方の 親切よりも 好いたお方の 無理が良い 
(「折々のことば」 2015年9月30日付朝日新聞

 

「人生は何回成功するかじゃない」:出会った言葉(昨年~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(77)

(1)昨年の今日
佐藤優「翻訳の中には、必ず解釈が入ってきます。この解釈が重要なのです。ただし、解釈は人によって違う。ですから本当のことを言うと、基本的な書物、重要な書物に関しては、複数の翻訳が存在することが望ましいのです」
松岡正剛佐藤優『読む力―現代の羅針盤となる150冊』(中公新書ラクレ)p174)
*ある翻訳が信頼できるのか、ではなく翻訳者によって翻訳が違うのが当たり前なので、むしろ同時に複数の翻訳が存在したほうがよいという(翻訳者以外の方の)意見を初めて見た。示唆が多いと思う。

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(2)2年前の今日
本来、学校は、子どもたちが安心して何度でも間違うことができる場所でなければいけません。間違うことは恥ずかしいことではない、と保証されることこそ、学校が学校であることの意義なのです。間違う経験は買ってでもするべきです。間違うから後概念を修正できるのですから。
(『AIに負けない子どもに育てる』pp180-181 新井紀子著、東洋経済新報社
*新井先生のこのご意見には全面的に賛成するのだが、この文章の入った節の小見出し「『みんなちがって、みんないい』は罪作り」は、読者の注意を惹こうという狙いがあったとしても、ミスリーディングだと思った。

引用文の直前に「多様な考え方があるのは良いことですが、それも科学では困ります」とおっしゃっていて、

①(分野にかかわらず)考えるプロセスは多様であってよい(むしろあるべきだ。以下同じ)
②科学以外ではさまざまな見方や結論があってよい。
③科学においては真理は一つなのだから、結論部分についてはは「間違い」「正しい」という白黒をはっきり付けるべし。
④ただし、安心して間違える環境づくりを、ということをおっしゃりたいのだろう。

いずれも大きな問題だが、基礎的読解力をつけるために必要な要素として③の重要性を強調しすぎるあまり、①②があまり重要ではないという誤解を読者に与えかねないと思った。僕が編集者なら(と他人事だから言えるんだけど)小見出しはせめて「『みんなちがって、みんないい』はミスリーディング?」ぐらいにしてほしかった、かも。

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(3)3年前の今日
 人生は何回成功するかじゃない。何回はい上がれるかだ。
三浦知良「サッカー人として」2018年9月28日付日本経済新聞より)

「なんでもあるという本屋には、なーんもない」:出会った言葉(昨年~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(76)

(1)昨年の今日
「なんでもあるという本屋には、なーんもない」京都・三月書房の三代目店主、宍戸立夫さん
(「交遊抄 騙し絵 」永江朗 2020年9月26日付日本経済新聞
*スペースが限られているからこそ店(のオーナー)の色を出すべきだ、という宍戸さんの仰りたかったことはよくわかる。その上で、「何でも揃える」というのも(資本力さえあれば)一つのポリシーであるとは思いました。

(2)3年前の今日
人生の階段から転げ落ちても、「自分は何を大切にしなければならないか」に思い当たれる人は強い。
三浦知良「サッカー人として」本日付日経新聞より)

(3)4年前の今日
俺たちは会話して、心に刺さった小さい棘を抜いているんだ。 イスタンブールの運転手
(本日付朝日新聞 「折々のことば」より)

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「民主主義国家である以上、本質的にすべての責任は選んだ国民が背負わねばなりません」:9月27日に出会った言葉

(1)2020年9月27日 
多様性とは、肌の色、宗教、性の違いに配慮しろ、ということではありません。むしろ同じ肌の色なら同じ考え方をするはずだ、という考え方こそ危険です。本質的に一人1人が異なる価値観を持って生きることが許される企業(社会)にすることが多様性です。
(「優しい経済学 不易流行の経済学③」大阪大学准教授 中川功一2020年8月21日付日本経済新聞

*引用文の趣旨には賛成するが、前半は誤解を招きそうな表現だと思った。社会的に長く無視され、貶められる傾向の高い層があって、そういう人(たち)に配慮する必要はあると思うからだ。後段の企業(社会)を実現するために、「肌の色、宗教、性の違いに配慮しろ」ということではないかと思う。

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(2)2019年9月27日 
志村(けん)さんがスポーツ紙のインタビューで、もしこの仕事をしていなかったらという質問に、「そんな根性でやってません」って。驚きましたね。言えます?僕なら、やっぱり好きだから、映画関係の仕事かなとか言ってしまいますよね
(「語るー人生の贈り物―志村さんと、あうんの呼吸で」俳優 柄本明 2019年9月27日付朝日新聞
*志村さんの言葉には痺れたんだけど、2002年に独立した時には僕にそれだけの根性はあったのだろうか?2003年以降、「これで食って行けそうだな」と思った以降は志村さん的なマインドで頑張っていたとは思いますが・・・

ただ志村さんの言葉には悲壮感があるけど、僕にはそんなものはなかった(ただし家族は悲壮感が漂っていると言っていました)。楽しくて食えりゃいいじゃんという乗りでした。とは言えこの点は、柄本さんもそれは同じではないかな。謙遜しているだけで・・・などなど色々なことを考えさせられた短い一節。いずれにせよ深い言葉と観察だと思った。 

(3)2018年9月27日 
 思うに、文章力・国語力のエッセンスとは、文脈のリズムに沿って、適切な言葉を選び取るセンスではないだろうか。つまり言葉を探し、削ること。短歌や俳句を作ることに似ているかもしれない。
(「福岡伸一動的平衡」2018年9月27日付朝日新聞より)

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(4)2017年9月27日 
端的に言えば、都合の悪い話は聞かなかったことにするという無頓着な国民性でしょうか。ちょうど2年前、あれだけの大騒動をへて成立させた安全保障関連法ですが、南スーダン自衛隊日報破棄問題によってずさんな運用の実態が明らかになりました。対北朝鮮という大きな問題が深刻化するであろうなか、不安しか残っていません。森友・加計問題にしてもなんの結論も見ないまま、追及を打ち切るかのように国会再開冒頭での解散総選挙の流れです。

もっとも、いまさら政治家のウソや二枚舌を非難するのもナンセンスかもしれません。彼らが放置したり隠蔽したりするのは「自分にとっての都合の悪い問題」であって「国民にとって都合の悪い問題」ではないことは往々にしてあります。政治家の責任を追及するのは簡単ですが、民主主義国家である以上、本質的にすべての責任は選んだ国民が背負わねばなりません。深刻な問題ほど無頓着に接し、自分には無関係だと放置してしまう。この国民の本性が先の大戦で大きな悲劇を招いたことを、私たちは心に深く刻んでいるはずです。
(日本という「裸の王様」 丹羽宇一郎 伊藤忠前会長、2017年9月27日付日本経済新聞

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(5)2016年9月27日 
貧乏暮らしが長かったけど、飯は本の次っていうのは正しかったと思う。でも本より優先しているものがあったって最近気がつきました。僕は家に花を絶やしたことがなかったんだ。
(「花、本、飯が優先順位」浅田次郎、2017年9月27日付朝日新聞3「人生の贈り物」より)