金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「先進国」という名の幻想

僕が編集者なら次の本の企画を考える。

『「先進国」という名の幻想―30年間の"バブル”を高度成長と誤解してしまった国の悲劇』

テーマはもちろん「日本」だ。

決して自虐的にそう言っているのではない。 

さまざまな観点(国民一人当たりGDP国民所得、政府債務、貧今度、多様性等々)から、客観的な日本の「今」をまず把握する。どうしてここまでの道程を歩んできたのかを冷静に分析する。そして我が国はすでに「後進国」であることを認めた上でここから進むべき道筋を決め、実行していく。そこまでの発想の転換が必要なのだ。

それには少なからぬ国民が戦争の悲惨さを忘れず、そして多くの国民が過去の栄光を引きずらずにまったく新しい発想で謙虚に物事を考える必要があるのではないだろうか。

そのためにはまず、戦争の悲惨さも親たちの生活苦も知らず、楽して美味しい思いだけして周囲からおだてられ「21世紀は日本の時代だと」脳天気にも調子に乗ってしまい、凋落が始まってもいつか元に戻ると根拠のない楽観主義に陥り、いつまで経っても過去の栄光を忘れられない1940年代前半~1960年代前半の「ド勘違い」世代(年齢にすると50代後半~70代後半)が現場からさっさと退場することがベストかもしれない。

残念ながら、そこには僕も含まれるが。

「小説は作文とは違う」:出会った言葉(昨年~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(74)

(1)昨年の今日
① 私たちは萎縮の海に「率先して溺れている」のではないか。
鷲田清一「折々のことば」2020年9月26日付朝日新聞

plaza.rakuten.co.jp


② (ブラック・ライブズ・マターという運動は)暴動や掠奪を煽っているのではなく、むしろ、積年の人種差別に対する怒りや憤りに、社会活動や政治運動としての出口を用意し、知性を与えている。
後藤正文の朝からロック「暴動・掠奪許せぬなら」2020年9月23日付朝日新聞
*①も②も、間違っていると思う社会の動きに声を上げたり何らかの形で関わったりしていこうとしないと、世の中は暴力的な為政者の都合のよい方向に流れてしまうことへの警告。残念ながら、同調圧力の高い日本では特にこれが当てはまる。

(2)2年前の今日
③ 働き手や企業にとっては、何が問題ですか。
「最大の問題は仕事の消失です。仕事はロボット、自動運転車などに奪われる。新たな職業は生まれます。問題は、仕事の絶対量の不足ではなく、自らを再訓練できるかです。例えばバス運転手が、自動運転車のせいで仕事を失ったとします。車のデザインやソフト作成の仕事はある。では、40歳の運転手をソフト開発者に再訓練できるでしょうか」
(「AIが支配する社会」 ヘブライ大学教授/歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリさん 9月21日付朝日新聞

ameblo.jp


④ たしかに技術の変化が、ある種の仕事を消滅させることはまちがいない。だがありがたいことに、雇用そのものを消滅させることはない。……もちろん、技術や経済情勢の変化で深刻な影響を受ける労働者には、何らかの公共政策で支援を提供する必要がある。となれば、こうした突然の変化は、短期的には社会にとってコストを生じさせる。
……(しかし)よく聞いてほしい……雇用を創出するために労働時間を減らすべきだとか、定年を早めるべきだとか、移民の流入を阻止すべきだとか、保護貿易を行うべきだといった主張は、理論的にも実証的にも根拠がない。
(「労働時間の短縮は間違いだ」ジャン・ティロール著『良き社会のための経済学』村井章子訳、日本経済新聞社)P290

https://www.amazon.co.jp/dp/4532357829
*大づかみで言うと同じ現象について、ほぼ正確に語っているのだと思いますが、視点の違い、立場の違いによって読む印象がかなり違うなと思ったので引用しました。自分でちゃんと読めるような基礎読解力をつけよという新井紀子さんの『AIに負けない子どもに育てる』(この本、恐らく売るために「子どもに・・・」と書いてあるけれど、我々大人こそ読むべきだと思います)も合わせて、今こそ、書かれたものを正確に読みながら、自分の視点を明確にして考えることが重要なのだなあと思った次第。

(3)3年前の今日
 小説は作文とは違う、文章が書けさえすれば小説も書けるというわけではない、テノール歌手やフィギュアスケート選手と同様、小説家も一種の才能職なのだ。幾つかの先例が示す通り、音楽や美術、芸能の分野で活躍する人々の中にも、優れた小説を書く才能は間違いなく存在する、だからこそ編集者や出版社には、目先の話題性などに惑わされずに、その真の才能を見極める力が求められている。
磯崎憲一郎 文芸時評「書きたい」人々 2018年9月26日付朝日新聞より)

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(4)4年前の今日
国よりも党を重んじ党よりも身を重んずる人の群れかな 尾崎行雄
(2017年9月26日付朝日新聞天声人語」より)

「寄り添う」:出会った言葉(2年前~5年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(73)

(1)2年前の今日
「寄り添う」という言葉をよく聞く。
……そばにいて対話をしながら、その人が本当にしたいことを見いだしていく「過程」に寄り添う。「これが必要でしょ」と傍らから言うのではなく、本人が自分の手で必要なものをつかむのがミソだ。お仕着せは、それがどんなに適切でも当事者には元気を与えない。…
こう考えてみると、「寄り添う」には勇気がいる。(「親」「支援者」などの)社会的立場というよろいを脱ぎ、一人の人間として、傷つきやすい人間に向き合うことだから。
貴戸理恵の十人十色―勇気を持って「寄り添う」 2019年9月25日付朝日新聞
*「寄り添う」ときには向かい合うな、隣に座って同じ方向を向け、というアドバイスを受けて、かつて自分が「寄り添っている」つもりになったこともあるけれど、その時の自分は相当思い上がっていたんじゃないかな、と反省させられた今日のエッセイでした。

(貴戸理恵の十人十色)勇気を持って「寄り添う」:朝日新聞デジタル

(2)3年前の今日
 意味や理屈やストーリーで理解するのが知性だとしたら、「山を見てため息をつく」のも紛れもなく知性の一つだと、絵本作家(五味太郎)は言う。意味から離れて「絵的に考える」。これ、翻って文章についても言え、「論破したり結論出したりっていうのと違う文章の書き方」もきっとあると。
(「折々のことば」2018年9月22日朝日新聞より)

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(3)4年前の今日
同じ「代わり」を言うなら、「きみができないんなら、誰かが代わりにやってくれるよ」と言いたい。その誰かは「代理」であって「代替」ではない。
(2017年9月25日付朝日新聞 「折々のことば」より)

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(4)5年前の今日
本日は新聞から書き写した言葉が多かったのでそれをご紹介。「落ち語拾い」の長尺版です。いずれも本日付朝日新聞から

①「進む速さを変えると見えるものが変わる」(「天声人語」)

(天声人語)トコロジストという発想【朝日新聞デジタル2016年9月24日】: BirdNewsJapan


②「自信に満ちた人は子どもに信用されない。むしろ自信がないことを隠さない方が耳を傾けてもらえる」(多和田葉子「折々のことば」から)

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③「多くの人が勘違いしているのですが、「やりたい仕事」というのは、好きな物事の延長ではなく、自分の力で社会に貢献できる仕事だと僕は思います。取り組んだら5年後に社会をどんな風に変えられるのか、それを自分ができるか、ビジョンを明らかにておくこと」(「脳に汗をかき、一心に考えよ」森川 亮が語る仕事―2)

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「ピンチの時こそ笑える余裕をもて」:9月24日に出会った言葉

(1)2019年9月24日  ·

(岩田さんは)任天堂という大きな会社の社長になってからもある面では弟役だったんじゃないかなぁ。……自分を後回しにして、みんなに配慮している感じ。だから、なにかを提案するときも、命令したり、号令をかけたりするんじゃなくて、「自分も考えてみたんだけど、こういうふうにやってみるのはどうだろう」とか、そういう気持ちがいつも混じっている。
……
思えば岩田さんはずっとそう言い続けてるんだけど、みんながハッピーであることを実現したい人なんですよ。
(「糸井重里が語る岩田さん」『岩田さん―岩田聡はこんなことを話していた』p199-200、ほぼ日刊いとい新聞編、株式会社ほぼ日)
*短いサラリーマン人生の中で、僕は岩田さんのようなタイプの上司に会ったことがない(尊敬できる先輩はたくさんいます)。自分がそういう上司になれなかったのはそのせいかも、そう思っていた。

ところが『ティール組織』を訳したご縁で、「この人は岩田さんみたいな上司なのではないかな」と思える人に何人も出会えた。しかもその多くの人たちは、誰かに教わったというよりも、ずっとそうだったらしい。僕よりも10歳も20歳も若い人たちだけれど、こういう人たちから生き方を教わりたいと思っています。

岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 | ほぼ日刊イトイ新聞, ほぼ日刊イトイ新聞, 100%ORANGE |本 | 通販 | Amazon

(2)2018年9月24日 
 ピンチの時こそ笑える余裕をもて  岩出雅之帝京大学ラグビー部監督)
……笑うとは自分に距離を置くこと、状況を俯瞰する冷静さを持つこと。
(2019年9月24日付朝日新聞「折々のことば」より)

折々のことば:1237 鷲田清一:朝日新聞デジタル

(3)2017年9月24日 
作文が好きだったんだよ。得意だった。ところが僕の作文は本当に「作」文で、盛っちゃうんだよ。はっきり覚えているのは夏休みの作文。先生から「おじいさんが亡くなったの知らなかった」と言われたんだ。(浅田次郎「君は嘘つきだから小説家に」人生の贈りもの 2017年9月20日朝日新聞

(語る 人生の贈りもの)浅田次郎:3 「君はうそつきだから小説家に」:朝日新聞デジタル



データサイエンティストは売り手市場なのか(2019年9月)

最近「ハッカソン」というプログラマーのコンテストによく参加している息子(大4、数学科)が、昨日帰宅して言っていた話が面白かった。

・参加者20名。対象は学生。参加費は無料。1日または2日。
・自分と同じテーブルに座った他の4名は、全員関西だった。関西では(というか東京以外では)ハッカソンがあまり開催されないのでわざわざ上京してくるのだという。
・全員が独学。そしてデータサイエンス系の勉強をしている人(趣味を同じくする人)も自分の周囲にほとんどいないという点も共通していた。最近こそ大学にデータサイエンス学部をつくるという記事が出ているが、今の大学には教育体制が全く整っていないらしい(注1)。つまり教育方法がスタンダード化されておらず、これまで学んできた方法が人により全く異なるので、彼らと雑談していてもかなり勉強になったとのこと。データ・サイエンス業界は、まだ半分アングラの「オタク集団」の活動なのだ。
・参加費無料なのに、かなり豪勢なランチ(お弁当)が出るし、終わると懇親会があって、これも無料。どこに行っても広々とした、しかも綺麗なスペースで自由に交流できそうな、高級な雰囲気が漂っている。
・優勝賞金(とは言ってもアマゾンギフト券)が5万円と(学生にしては)高額。
要するに、現場は人材不足で、それを学んでいる学生を巡る環境はある意味「バブって」(バブルになって)いる(僕の印象)(注2)。

(注1)たとえば大学の数学科情報数理系で学ぶのはあくまで理論で、ハッカソンで扱われるような実データの解析は「全くやっていない」。したがって大学の授業だけでハッカソンに参加しても「手も足も出ないはず」とのこと。
(注2)息子が某社から内定をもらった後、アルバイトで受けたインタビューには、各社の人事担当者が数名同席し、「どういう勉強をしてきたか?」「どういう採用プロセスだったのか」「面接はどう進み、何を聞かれたか?」を根掘り葉掘り尋ねられたとのこと。しかも時給は、一度目が1万円ほど。「またお願いします」で行ったら内容はほぼ同じで(ただし同席者は違う会社だった)、時給は2万円近くに上がった(ただし、すべてアマゾンギフト券)。

この分野の学生をどう採用するのかには各社も頭を悩ませている模様(何しろデータサイエンス学部がないのだから)。もちろん、インタビューは非公開。内定をもらった会社名は言わなくてよい。なお息子が内定をもらった会社の人事部にはそういう内容のインタビューを受けることを事前報告し、社名を出さないことを条件に了承を得ている。

(後記)2年前の記事ですのでご注意を。今はどうなっているのだろうか(2021年9月23日記す)

「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」:9月23日に出会った言葉

(1)2020年9月23日 
知識は世界をある程度予測可能な物にすることで人々の不安を振り払ってくれる。……知恵とは……世界に飛び込み、それと語らう中で「道」を探すこと。
鷲田清一「折々のことば」2020年9月22日付朝日新聞
*読書や学びの場で身につけたこと(知識)を実践に適用しながらそれを生かす道(知恵)を探れと言っている。当たり前だが大事なこと。

www.asahi.com

(2)2020年9月23日 
「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」ということが武道のめざすところです。
……
流れに任せて、ご縁をたどって生きていたら、気がついたら「いるべきところ」にいて、適切な機会に過たず「なすべきこと」を果たしている。
そのことに事後的に気がつく。
武道をしっかり修行していると、そのような順逆の転倒が起きる。
必要なものは、探さなくても目の前にある。
……
そういうことが人生の節目節目で起こる。それが「武運」というものであって、それに恵まれるようになるために武道の修行をするのだ、と多田(宏)先生に教わりました。
内田樹著『そのうちなんとかなるだろう』Kindle No.923 -950、マガジンハウス、2019年)*今月(2019年9月)の日本経済新聞私の履歴書」の著者野中郁次郎先生は、ビジネス界では知る人のいないほどの業績を残された大変な学者だが、その連載の第1回で、自分はもともとシャイな性格で、人前で話すのが苦手。ただ少数ながらじっくり話すことが好きだ、と述べた上で、次のように語っている。

「そんな相手とどうやって出会ったのか、と問われると自分にもよく分からない。自然体で過ごしていると、私に気を留め、世話を焼く人がどこからともなく現れ、ときに表舞台に引っ張り出す。学生の頃、社会人になったとき、さらには学者としての道を歩み始めたとき、節目節目で思わぬ人から声をかけられ、よい方向に導かれた」。

今日の内田さんの一節を読んで、ああ野中先生には「武運」を呼び寄せる生活態度があったのだろうと感じた。僕は武道のことはよくわからないし、凡人が変に期待するのもどうかと思うけれども、人間、誠実に自分が正しいと思う生活を送っていれば、武運が訪れることもあるのではないか。お二人の文章を読みながらそう思いました。

(3)2018年9月23日 
無言の風景との対話の中に、静かに自己の存在をたしかめながら、こつこつと歩いてゆく。東山魁夷
(2018年9月23日付日本経済新聞「春秋」より)

www.nikkei.com

(4)2017年9月23日 
「月々の雑誌など読まないで、古今東西の名篇大作に親しみ、そこの生活とあなた自身から真実を見る一方になさい。・・・先ずドストエフスキイトルストイ、ゲエテなど読み、文壇小説は読まぬこと」。
(1935年、当時35歳の川端康成が21歳の北条民雄に送った書簡。2017年9月23日付日経新聞「傍らにいた人」堀江敏幸より

「『わかりやすい』とは、自分で考えなくていいということです」:9月22日 に出会った言葉

(1)2022年9月22日 
「わかりやすい」とは、自分で考えなくていいということです。
(武田砂鉄著『100分de名著 ル・ボン「群集心理」』p35)

(2)2019年9月22日 
笑い飛ばすには「どん底の経験を思いだせばいい」(松倉久幸さん:浅草演芸ホール・東洋館会長)。そして過去の情けない自分を、からかい、突き放すのだと。
(「折々のことば」昨日付朝日新聞
*半月ほど前に、なんで「こんなミスをしたんだろう?」と思うようなミスを連発しまして、仕事相手(納品先)から呆れられた。
僕が相手の立場になっても「こいつとはもう仕事をしたくないなあ」と思うような痛恨の、とても他人様には言えないような恥ずかしいミス(の連発)。こちらはひたすら平謝り。

実は自分でも「なんで??」と思うようなミスをすることが数年に1度あります。手を抜いたつもりは全くないんだが、ミスという事実は眼前にある。そのたびに「何かが緩んでいたんだろう?」と仕事の手順を見直しています。

今回もそうとう落ち込んだものの、(気分的な)どん底からは取りあえず脱しました。「(その直近の)失敗を早く笑い飛ばしたいなあ」と、なおヒリヒリした痛みを感じながら昨日の言葉を読んだ。気を引き締めよう。

 

www.asahi.com

(2)2018年9月22日 
 他人が一生懸命になっていることを斜めに見てはいけない
(「ナナメの夕暮れ」 若林正恭氏―― 年齢重ねて気づく伸びしろ 2018年9月22日付日経新聞読書欄 あとがきのあと)