金融翻訳者の日記

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「人生は何回成功するかじゃない」:出会った言葉(昨年~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(77)

(1)昨年の今日
佐藤優「翻訳の中には、必ず解釈が入ってきます。この解釈が重要なのです。ただし、解釈は人によって違う。ですから本当のことを言うと、基本的な書物、重要な書物に関しては、複数の翻訳が存在することが望ましいのです」
松岡正剛佐藤優『読む力―現代の羅針盤となる150冊』(中公新書ラクレ)p174)
*ある翻訳が信頼できるのか、ではなく翻訳者によって翻訳が違うのが当たり前なので、むしろ同時に複数の翻訳が存在したほうがよいという(翻訳者以外の方の)意見を初めて見た。示唆が多いと思う。

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(2)2年前の今日
本来、学校は、子どもたちが安心して何度でも間違うことができる場所でなければいけません。間違うことは恥ずかしいことではない、と保証されることこそ、学校が学校であることの意義なのです。間違う経験は買ってでもするべきです。間違うから後概念を修正できるのですから。
(『AIに負けない子どもに育てる』pp180-181 新井紀子著、東洋経済新報社
*新井先生のこのご意見には全面的に賛成するのだが、この文章の入った節の小見出し「『みんなちがって、みんないい』は罪作り」は、読者の注意を惹こうという狙いがあったとしても、ミスリーディングだと思った。

引用文の直前に「多様な考え方があるのは良いことですが、それも科学では困ります」とおっしゃっていて、

①(分野にかかわらず)考えるプロセスは多様であってよい(むしろあるべきだ。以下同じ)
②科学以外ではさまざまな見方や結論があってよい。
③科学においては真理は一つなのだから、結論部分についてはは「間違い」「正しい」という白黒をはっきり付けるべし。
④ただし、安心して間違える環境づくりを、ということをおっしゃりたいのだろう。

いずれも大きな問題だが、基礎的読解力をつけるために必要な要素として③の重要性を強調しすぎるあまり、①②があまり重要ではないという誤解を読者に与えかねないと思った。僕が編集者なら(と他人事だから言えるんだけど)小見出しはせめて「『みんなちがって、みんないい』はミスリーディング?」ぐらいにしてほしかった、かも。

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(3)3年前の今日
 人生は何回成功するかじゃない。何回はい上がれるかだ。
三浦知良「サッカー人として」2018年9月28日付日本経済新聞より)