金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「万引き家族」を大人数では観られない理由

たぶんどこかで読んだのだと思うのだが、人が憧れる「幸せの形」はどの家庭でも結構似ているが、不幸や苦しみは家族や人によって違う。同じ人でも時間とともに変わる。だから「万引き家族」は、大勢では見に行けない、見た人それぞれが内省するのに適した映画だと思う。

gaga.ne.jp

「万引き家族」感想

 

評価:★★★★★

とても心を動かされたし見に行って良かったと心から思います。

素晴らしい映画だったと思う。

しかしもう一度見たいかと言われると逡巡する。
この映画には(少年の未来に対する希望的観測以外には)「救い」がないと思うからです。

自分はこの目で見たことがないけれど、こういう貧困、というか不幸がもしこの日本にあるのなら(ノンフィクションではないから本当のところはわからないし、たぶん現実のデフォルメなのだろうという納得感も得られない。残念ながら僕の人生経験ではこういう不幸な世界があるのかもしれないという想像しか浮かばない)、自分にできることは何だろう?そういうどこか後ろめたさを感じながら、最初から最後まである種の緊張感の中で見終えたというのが正直なところです。その意味では見終わったときの感覚は「誰も知らない」に似ている。ただ、2004年時代ではまだ「自分には無縁だ」「自分たちの住んでいる世界からは遠い」と言い切ることができたような気がする。「万引き家族」の方が今の社会に近い感じがするのはなぜなんだろう?そう思いながら見ていました。

一人、夫婦、またはどんなことでもお互いに言い合える心の友がいたら、その人一人と見ることをおすすめします。家族全員で見る映画ではないし、友達同士連れ立って見る映画でもない。恋人同士でもない。何しろ「救い」がないので、みんなで「あそこよかったね~」って言えるシーンがないのよ。心を動かされるシーンやセリフはひとそれぞれ。しかも悲しい、というかつらい方向なんですわ。

独立翌日(2021年9月2日)の営業日誌

独立した翌日の2002年9月2日からつけている「営業日誌」が51冊目に入りました。
 初日にはこう書いてあります。

(ここから)
本日買うもの
MDの機械
ADSLの申し込み
パソコン(?)秋葉原
職務履歴書
券面封筒
履歴書用写真
13時30分 Deodeo:パソコンの見積書送ってもらうよう依頼
14時半 A社(前の勤め先):保険証切り替え書類もらいに行く。

16時半 B社(たまたま声をかけられた先):面接 
(ここまで)

などの事実だけです。面接はご紹介いただいたので行きましたが「先のことはしばらく時間をおいてから考えたい」と答えた覚えがあります。当時は体調をくずしていたこともあり(会社を辞めた主な理由が体調不良でした)しばらく休みたかった。感想やメモを書くこともあります。次は1カ月後。
10月6日(月)の書き込み
(ここから)
起床5時15分

1日、1日を大切にする。
翻訳トライアル2つは出す。
(ここまで)

9月中に翻訳で食えないかを模索し始めていました。実際には翻訳の勉強も始めてすらおらず(探していた段階)、トライアルは一切出していなかったです。

営業日誌に書くのは基本は事実のみ。休みの日以外は毎日つけてきた。1日分がだいたい半ページ。ノートは厚かったり薄かったり、その時々で余っている大学ノートか、なければ文房具屋さんで買ってくる。1日たってからまとめてつけるのではなく、常に机の周囲のどこかにあって、同時進行で書いていきます。それが無理なく続いたこつかも。僕はあまり休まないので年間ほぼ350日分ぐらいの記録が16年分、これが50冊できあがったわけです。
 先日仕事部屋(つまり本棚、つまり書籍)の断捨離をした折に妻が本棚のあちこちに放置してあったノートを全部集めたら第1巻から49巻まで全部残っていたので5冊ごとにまとめ、表紙をつけてくれました。「営業日誌①~⑤ 02年9月~03年3月」てな具合。
「受注記録」(大学ノートの1行に、納品日、客先、単価、ワード数、受注金額、所要時間を記録したもの)も全部残っていて、これも整理してくれた。今見ると「受注記録①② 03年2月~07年9月」とあるので、私が記録した最初の受注は独立後半年だったことがわかります。
 ちなみに2008年にJTFの講師をやらせていただいたときに、タイトルが「いつまでもアマと思うなよ」つまり翻訳者として独立する、というテーマだったので独立直後の数冊の営業日誌を参加者の皆さまに見てもらいました。
 何かに使うというものでもないし、もう他人にお見せすることもない代物類ですが、「お父さんの歴史だよね」と言いながらきれいに整理してくれた妻に感謝かな。

(後記)現在は58冊目です(2021年7月3日記)

伊藤和夫先生の思い出(1979年頃の駿台予備校)(2018年6月)

出会った言葉:
ある日、伊藤先生の授業が始まった数分後、前の方の空席にすわっていた「もぐり」の生徒を、休憩から戻ってきたその席の正規の生徒がどかせようとしていました。眉をひそめてそれを見ていた伊藤先生は、そこでもぐりではなく、正規のほうの生徒にむかって「おい、きみが出ていけ」と一喝したあと、こうおっしゃいました。

「予備校側は、たしかにきみたちの席を用意している。お金を払ったきみたちには、その席にすわる権利がある。でも、それは授業がはじまるまでだ。始業のベルが鳴った瞬間、その席に着いていない人間の権利は消滅する」
(『文芸翻訳教室』越前敏弥著、研究社、p72より)

僕も1年間伊藤先生の授業を受けていたので、これに似たシーンは何度か目撃しています。当時の駿台(僕が在籍したのは1979~80年)の英語科は、鈴木長十先生(『700選』の著者)から伊藤先生への禅譲期で、伊藤先生以外では奥井潔先生(伊藤先生を駿台に紹介した方)、表三郎先生など学生たちに圧倒的な人気を誇る先生方の群雄割拠の時代だったと思う。

上のエピソード、遅刻した学生に対して先生のおっしゃったことは正しいとして、しかしだからといって「もぐり」の生徒の権利が始業とともに発生するわけではないだろう、という突っ込みはあり得る。ただし当時は正規の学生も自分が他の授業では「もぐり」(非正規)になる場合もあるので、学生間で「もぐり」学生には寛容だったし、いつぞやは奥井潔先生の授業中に学務課の職員が「学生証点検をします!」(こういうのが時たまあった)と「もぐり学生」の追い出しを図ろうとしたときに、奥井先生が「ま、いいじゃないの」。一瞬の静寂後に大拍手。(学務課の職員に対して)「出―てーけ、出ーてーけ!」の大合唱になったこともありました。ちなみに僕は奥井先生の授業を全部録音し、その奥の深い雑談部分だけを編集したテープを作ったのがよい思い出です。

ちなみに当時から今も駿台で講師を務めておられるのが物理の山本義隆先生。Tシャツにジーパン、長髪のお兄ちゃんみたいな方がやや猫背で教壇に向かう。「あの先生、いかにも学生運動っぽいですね」と隣の学生にささやいたら(当時の駿台は座席が決まっていました)「あれ、知らないの?山本先生、東大全共闘の議長だったんですよ」と言われてぶったまげたのが最初の印象。授業はいわゆる「物理公式」ではなく、簡単な数式から黒板一杯に微分積分を駆使して解答を導くという本格的なものでした。

あとは京都駿台から出講されていた表三郎さん。伊藤さんの批判を展開する割には構文主義だったような気がするが、「諸君、大学に入ったら本を読め。僕は3回生の時に、本の重みで下宿の床が抜けた」という話を聞いて痺れていましたっけ。

books.kenkyusha.co.jp

(後記)伊藤和夫さんの声が見つかった。「大人のための英語」より。主催者のMIchiさんに感謝!

大人のための英語 Lesson 72 【特別企画: 伊藤和夫 発言集1】英語の学習法について、など。

下の講演は書籍になっています。
「英語学習法について」たしか、高校英語教師向けの講演だったはず。
プラス、英語学習法に関する授業、ラジオ講座の講義などが入っています。
駿台では、まさにこんな感じで授業をしていました。

日本語を介さずに読解力を早める方法は、英語のテープを聴くことだ、なんて今参考になるアドバイスだと思います。

www.youtube.com

署名本の行く先

(以下引用)
本にサインを求められたときは、表紙を開けると左側にあらわれる見返し(表紙の裏に貼ってある紙の続き)に署名する。

見返しは本文とは別の紙で、この一枚を切り取っても綴(と)じには影響しないから、著者から為書きを添えて謹呈された本でも、カッターで慎重にこの紙だけを切り取れば心置きなく古書店に売り払うことができる。だからここに署名して、そんなに価値のあるサインではありませんよ、嫌ならいつでも切り取ってください、と無言で示すのが著者のたしなみとされてきた。(引用ここまで)
(「本の終活」エッセイスト 玉村豊男、6月23日付日経新聞夕刊)

知りませんでした(恥)。もっともそんな機会めったにございやせんが。

これを読んで思い出したのはある知り合いの翻訳者の方の話。
「あたし何が一番情けなかったって、古本屋であたしの訳した本を見つけたときに(ここまではいいのよ)、その見開きにあたしの書いた『贈呈 ●●様、XXXX』の文字を見つけたとき」。気持ちよ~くわかる。

で、実はこの文章には続きがある。

(以下同じエッセイから引用)
が、もう、誰もそんなことを気にしなくなった。蔵書が売れるかと思って古書店に持ち込んだら、ゴミに出したほうが早いですよ、と諭されてしまう時代である。(引用ここまで)
う~む。

翻訳の添削業(?)ー複数の翻訳者によるマンスリー・プロジェクトの現場から(2018年6月)

「鈴木さん、翻訳の添削やったら?」と、ある方からアドバイスされた。

毎月某社レポートの校閲(まとめ役)を担当している。

複数の翻訳者の方の誤訳やら訳抜け、数字間違い等を随時直していく(優秀な方々なのであまりありません)のだが、普通の校正とちょっと違うのは、レポート全体の表現や言い回し、ロジックと、つまり他の翻訳者の皆さんとの間に矛盾が生じないように調節していくこと、だろうか。「この人のこの翻訳はここでは正しい」のだが、全体との統一感で修正させてもらうこともある。

もう一つ。翻訳者は(僕も含めて)どうしてもその月の、そのレポートの翻訳に集中しがちで、前月または前々月の他のレポートがどうだったかなどすべてチェックできないし、そんな暇もない。また限られた翻訳料で翻訳者にそこまでやってくれというのは酷である(なお発注者は、翻訳者の翻訳料金を固定したままで、1000ワードのレポートを訳すのに1万ワードを超えるレポートのバックナンバーを参考資料として与えてチェックせよなどという要求を暗黙的にでもすべきではない)。一方僕はこの仕事ではメインの校正者として毎月全レポートに目を通すので、この人の今月のこのレポートを、前々月の別の人のレポートを照らし合わせてチェックすることができる。これはすでに能力の問題ではなく役割分担なのね。

で、その修正の過程で、全体との統一感や翌月以降の表現に生かしてもらうために、気がついた点をコメント欄で提案しているわけです。大きく変更した場合には極力その理由を書いています。コメントは1000ワードで5~10カ所ぐらいになるかな(ちなみに僕が翻訳することもあり、その時には他の方に校正をお願いしています)。

その作業が終わると最終仕上げに回すと同時に、修正記録もコメントも全部くっつけて翻訳者の皆さんにも全部返して「鈴木が間違っているかもしれないから遠慮なく再修正してくれ」とのメッセージをつけている。「やっぱりあたしの方がいい!」とか、それ以外に気がついた点があったら言ってくれと。それで、彼または彼女の再修正案が来た場合には、そちらを優先させてホントの最終原稿にするという段取りです。

そうしたら、その翻訳者の方のお一人から、「鈴木さん、これ商売になるんじゃない?値段にもよるけど」と言われた。

プロの皆さん相手に「調整」はしているが「添削をご指導」しているなどとはつゆにも思っていなかったので正直ビックリしたのだが、自分のしていることを客観的にみるとそうとれないこともない。だとすると添削商売もあり?と思い始めた次第。

老後の本業(?)として、ちょっと考えてみよう。

(後記)補足しておくと、このレポートは毎月1万ワードぐらいあって締め切りが1週間なので、実際には校閲を複数の翻訳者で担当しています(僕が校閲する量が一番多いということ)。

つまり翻訳者Aさんの翻訳を翻訳者Bさんが校閲し、Bさんの分をCさんが、Cさんのの分をDさんが校閲し・・・来月は逆、なんてこともしょっちゅうです。そしてその最初の校閲が終わったあと、もう一回全体を見て訳文や表現等を校閲するのが僕のメインの仕事。実はその後に、日本語だけを見て日本語を直してもらう方にもお願いしています(この方も本業は翻訳者。ただし英語は見ないで、日本語の文章だけを見てわかる、わからない、わかりやすい、わかりにくいを判断してほしいとお願いしてある)。その方からいただいたコメントを確認して、さらに直すか直さないかの判断は僕がします(つまり最終責任者は私です)。

ちなみに僕は普段は翻訳をせず「補欠」、つまり翻訳量が通常よりも多かったり、翻訳者のスケジュールの都合でその月に翻訳できる量が少なかったり、あるいは各翻訳者の翻訳が始まってから「お客様からこの部分も追加で訳してほしい」という要望が来ることがあって、そういった場合に翻訳します。「遊軍」といってもいいかも。「量が多すぎ」「人数足りない」「突然追加」は意外とある(数カ月に一度ぐらい)ので、遊軍の翻訳者(=つまり僕)を常に一名確保しておくという仕組みは、かなり有効ではないかと思っています。

僕が訳すときは当然他の翻訳者に校閲してもらいます。当然ギタギタになって(?)返ってきます。同じ月にその人の翻訳を僕が校閲していることもある。お互いに勉強し合うという立場で直していくという感じかな。その結果、「僕、直してあげる人、あなた直される人」という変な(?)上下関係を生まなくなっていると思います。

このプロジェクトがスタートして現在4年目。試行錯誤を重ねながら、少しずつ、すこしずつ僕が頭の中で描いていた理想的な実務翻訳の受注体制に近づいているのではないかな?という自惚れも感じないでもありません。(2021年6月22日記)。

I love you.をどう訳す?

ウチの家族の場合を振り返ってみると・・・

(1)(「行ってきまーす」に対する)「行ってらっしゃーい」
「ただいまー」に対する)「おかえりなさーい」

とか、

(2)「ご飯よー」(妻から私)かな?
では僕から妻は?:
「いただきます」だろうか?
いや、「ごちそうさま」かも。

(後記)タイトル通りの質問をFBに投げた方がいらっしゃいまして、我が家の場合を振り返って答えた内容です。こういうことじゃないかと今でも思っています(2021年6月17日記)