金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

勉強するなら良書を繰り返し学べ⑧:クジラの公式:山崎竜成著『入試問題が教えてくれた言語事実47―知られざる英語の「素顔」』

まず、次の英文を読んで、時間の余裕のある方は全部。ない方はせめて最後の一文を自分で訳してみてください。

People seeking money are quick to make use of the latest discovery and remote them to the desperate-for- a-cure market, regardless of how remote the connection between the discovery and any likely health benefits might be. Exposing yourself to radiation in the hope of feeling better was no more ridiculous than, say, drinking what amounts to a few teaspoons of lain water as medicine, which is called homeopathy and is extremely popular today.。

(訳文)「金儲けをもくろむ人は最新の知見にすぐ手を出し、治療法を心待ちにする市場に売り出す。その発見と期待される健康上の効果の関係がどれだけ希薄でも関係ないのだ。気分がよくなることを期待して放射線を浴びるのはばかげていたが、ただの水をスプーン数杯分、薬と称して飲むことだってばかげている。これはホメオパシーと呼ばれ、現在では非常に人気が高い」(原文、訳文ともに山崎竜成著『入試問題が教えてくれた言語事実47―知られざる英語の「素顔」』p234-235)

この文章は同書の32章「くじらではまずい」。つまり、いわゆる「クジラの公式」をそのまま当てはめると間違える、という内容です。

さて。以上を踏まえ、僕はChat-GPTにこの公式について質問をしてみた。以下はそのやり取りの抜粋である。(問1)では上の原文の「no more」を「no less」に変えて質問している点に注意してほしい。

(問1)
People seeking money are quick to make use of the latest discovery and remote them to the desperate-for- a-cure market, regardless of how remote the connection between the discovery and any likely health benefits might be. Exposing yourself to radiation in the hope of feeling better was no less ridiculous than, say, drinking what amounts to a few teaspoons of lain water as medicine, which is called homeopathy and is extremely popular today.  という英文のうち、Exposing yourself to radiation in the hope of feeling better was no less ridiculous than, say, drinking what amounts to a few teaspoons of lain water as medicine, which is called homeopathy and is extremely popular today. の文法構造を明らかにした上で訳せ。

(回答1)
まず、与えられた文の文法構造を分析しましょう。

"Exposing yourself to radiation in the hope of feeling better" は、放射線を浴びて気分を良くしようとすることについて述べています。
"was no less ridiculous than" は、何かが他のものと同じくらいばかげていることを示しています。
"drinking what amounts to a few teaspoons of plain water as medicine" は、薬として何ティースプーンかの水を飲むことを指しています。
"which is called homeopathy" は前述の「何ティースプーンかの水を飲むこと」をホメオパシーと呼ぶことを示しています。
"and is extremely popular today" は、ホメオパシーが今日非常に人気があることを示しています。
これらを踏まえた上で、日本語に訳すと:

「気分を良くしようと放射線を浴びることは、薬として数ティースプーンの水を飲むこと、つまり今日非常に人気のあるホメオパシーと同じくらいばかげている。」

となります。(回答ここまで)

そこで、今度はno more とno lessの違いを尋ねることにした。

(問2)
では、次の文とはどう意味がちがうか?Exposing yourself to radiation in the hope of feeling better was no more ridiculous than, say, drinking what amounts to a few teaspoons of lain water as medicine, which is called homeopathy and is extremely popular today. 

(回答2)
与えられた文には一つの重要な変更点があります:「no less ridiculous than」が「no more ridiculous than」に変わっています。これにより、文の意味が微妙に変わります。

「no more ridiculous than」という表現は、「~よりも馬鹿げているわけではない」という意味です。すなわち、二つの行為(この場合、放射線を浴びることとホメオパシーの取り組み)は同じくらい馬鹿げている、または一方が他方よりも馬鹿げているわけではない、という意味合いが含まれます。

日本語訳は以下の通りです。

「気分を良くしようと放射線を浴びることは、例えば数ティースプーンの水を薬として飲むこと(これはホメオパシーと呼ばれ、今日非常に人気がある)よりも馬鹿げているわけではない。」

この訳は、放射線を浴びることとホメオパシーの行為が同じくらい馬鹿げている、または放射線を浴びる行為がホメオパシーより馬鹿げているわけではないことを示しています。

(回答ここまで)

no better、no lessともに同じ程度と言っているという点を確認するために次の質問をした。

(問3)
放射線を浴びることとホメオパシーの行為が同じくらい馬鹿げている」という意味では二つの文章は同じと考えてよいか。

(回答3)
はい、その通りです。両方の文章で、放射線を浴びることとホメオパシーを実践することの間に馬鹿げた度合いに差がないことが示唆されています。

「no less ridiculous than」の場合、放射線を浴びる行為はホメオパシーよりも馬鹿げていることはないという意味ですが、これは同じくらい馬鹿げていることも意味します。

「no more ridiculous than」の場合、放射線を浴びる行為はホメオパシーよりも馬鹿げているわけではないという意味ですが、これも同じくらい馬鹿げていることを意味します。

したがって、両方の文は「放射線を浴びることとホメオパシーの行為が同じくらい馬鹿げている」という意味で一致しています。

(回答ここまで)

そこで、当然のことながら「違い」を尋ねることにした。

(問4)
では違いは何か?ニュアンス?意味の重さ?
(回答4)
「no less ridiculous than」と「no more ridiculous than」の違いは微妙ですが、ニュアンスと意味の強調の点で異なります。

no less ridiculous than:

この表現は「少なくとも同じくらい馬鹿げている」という意味を持ちます。
放射線を浴びる行為はホメオパシーよりも馬鹿げていることはない、だがホメオパシーと同じくらい馬鹿げている可能性がある、というニュアンスが含まれます。
この表現は、放射線を浴びる行為の馬鹿げた度合いを強調することができます。
no more ridiculous than:

この表現は「それ以上馬鹿げているわけではない」という意味を持ちます。
放射線を浴びる行為とホメオパシーの行為の馬鹿げた度合いに差はない、というニュアンスが含まれます。
この表現は、放射線を浴びる行為とホメオパシーの行為の間の差異を縮小するニュアンスを持っている可能性があります。
要するに、これらの違いは細かいニュアンスに関連しており、特定の文脈や話者の意図によって解釈が変わることがあります。(回答ここまで)

なお、本書山崎竜成著『入試問題が教えてくれた言語事実47―知られざる英語の「素顔」』は、着眼点が素晴らしく翻訳もうまいので、僕は1日置きに紙とペンを持って勉強している。

ただし本書には四つの課題を指摘しておきたい。
受験英語では間違いとみなされる「例外事項」を多く扱っている。今回取り上げた例のように、公式や文法規則を無批判に鵜吞みにせずに学ぼうという姿勢は評価できる。ただし英語をしっかり勉強した人でないと、本書を読んでかえって混乱する可能性があると思う。

②取り扱われている文章が必ずしも受験生=若者が学ぶ内容のものではない。ここは評価の分かれるところかも。多くの受験参考書は、人生訓や道徳、哲学など、英文を読み解いた後でその内容から学ばせようとする姿勢が目立つ。本書はそういう傾向がみられず、科学的な解説書や実務的な文章が多い。若者の興味をつなぎ留めておく点から内容のさらなる吟味が必要かも(想定読者が受験生でなければ無視できる。ただしその際は、マーケティング対象を実務者に置く点を明確にした方がよいと思う)。高校生というよりも大人、受験生というよりも実務者向きではないか、というのがここまで学んでの印象である。

③原文を読む際に知っておくべき注や補足情報が訳文の提示された後に配置されている文章がいくつかある。紙とペンを持って訳すときに必要な情報が原文を読む「前に」与えられていないのはいかにも不便である。だから僕が本書で勉強する時には、原文を見た後、訳文を見る前に、何か補足情報がないかと訳文の周辺でチェックすることにしている。これは独習用教材としては厳しいと思う(なおこの点についてはすでに著者に指摘済みである)。

④索引がない。英語の参考書なのだからこれはどうしても必要だ。(a)単語、熟語ごと、(b)日本語の訳語ごと、(c)文法事項事ごとに分かれていることが望ましいが、大変であれば総合索引でもよいかも(余談になるが、索引をつくる作業はかなり大変で、編集者は避けたがるというのが僕の印象だ。そんなこともあってか「本書には索引が絶対必要です!」と言ってしまった責任を取って(?)僕は今、原著の索引を基にした訳書索引作成のためのデータ作成作業をしています)。

以上のような課題はあるものの、文法の盲点を突いてくれる本書には、それを補って余りあるほど価値があると思う。著者の意欲も大いに買います。