金融翻訳者の日記

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「ロシア経済はこれからどうなるか」を考える上でのヒント

以下は、たまたま今朝読んだ書籍からの引用です。今、ロシア経済が置かれている状況はこの時よりもはるかに厳しいのではないでしょうか。だってソ連崩壊後の数年間は、とりあえず「平和」だったのに対し、今のロシアは戦争状態にあるのですから。

今後を考える上で非常に参考になると思う。

(引用ここから)

 ドイツの壁の崩壊と1991年12月のソ連解体により、ロシアは縮小し、孤立した。1918年にレーニンが調印した、ブレスト=リトフスク条約による破滅的な講和以来、これほどの屈辱はなかった。エリツィンの政権下では西側とは友好関係にあった。だが、ロシア経済は壊滅的状態だった。ジョージ・ソロスは、ロシアを「中央が打ち負かされた中央計画経済」と評した。いわゆる過渡期における景気後退によってインフレが急激に進み、ロシアの実質GDPは1989年から1995年のあいだに40%下がった。1994年10月11日の「ブラック・チューズデー」では、為替取引尾狂乱的な一度のセッションで、ルーブルはドルに対する価値を4分の1以上失った。ロシア経済が安定したのは1995年になってからだ。外国資本の大量輸入が刺激となり、徐々に息を吹き返した。しかし、1997年の通貨危機で再び不安定に陥った。ロシア中央銀行は為替レートを安定させるために為替管理を導入し、IMFに緊急融資を要請した。1998年8月、エリツィン政権の支持率が急落した。8月17日、モスクワは通貨切り下げに踏み切り、ロシアの銀行が負う対外債務の支払いに対して90日間の支払い猶予(モラトリアム)を宣言した。……8月19日、ロシア政府は、ルーブル建ての国内債務についてデフォルトを宣言した。

……

 新しく独立したウクライナを例外とすれば、ソ連崩壊後の国々のなかでロシアは最大の経済的ダメージを受けた。だが、1990年代はかつての東側諸国全域が厳しい状況にあった。計画という制度的構造がなくなり、東欧の国々と旧ソビエト連邦は経済面でのトラウマを経験した。1989-94年、生産高は年平均30%以上縮小した。インフレ、失業、社会的不均衡は急速に拡大し、実質賃金が落ち込み、共産主義時代の福祉制度は崩壊した。……

 これが、NATOEUが東側へ拡大し、差し迫った危機を安定させ、未来の方向を示し、地政学の地図を恒久的に描き直そうと決めた背景だった。
(アダム・トゥーズ著『暴落――金融危機は世界をどう変えたのか (上)』江口泰子、月沢李歌子訳、みすず書房、pp138-140)

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