金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「多くの人々は過去30年・・・の「惨めな時代」がいずれは悪夢のように終わり、そして物事は以前のような状態に戻ると信じている」8月13日に出会った言葉

(1)2020年8月13日 
今日ですら、多くの人々は過去30年(まもなく35年か40年になろうとしている)の「惨めな時代」がいずれは悪夢のように終わり、そして物事は以前のような状態に戻ると信じている。
(『21世紀の資本』トマ・ピケティ著、山形浩生他訳(みすず書房)p102)

*引用文はどこの国のことだと思いますか?日本?違います。
この前の3文を引用します。「大陸ヨーロッパ、特にフランスは、『栄光の30年』なるもの、つまり1940年代末から1970年代末の30年間について、かなりのノスタルジーを抱いてきた。この30年は、経済成長が異様に高かった。1970年代末から、かくも低い成長率という呪いをかけたのがどんな悪霊なのやら、人々はいまだに理解しかねている。今日ですら・・・」(同書p102。冒頭の引用文の直前)。上の文章と冒頭の文を次のように書き換えてみよう。
「日本は、『栄光の30年』なるもの、つまり1950年代半ばから1980年代半ばの30年間について、かなりのノスタルジーを抱いてきた。この30年は、経済成長が異様に高かった。1980年代末から、かくも低い成長率という呪いをかけたのがどんな悪霊なのやら、人々はいまだに理解しかねている。多くの人々は過去30年(まもなく35年か40年になろうとしている)の「惨めな時代」がいずれは悪夢のように終わり、そして物事は以前のような状態に戻ると信じている。」
このことの意味を僕たちは真剣に考えるべきじゃないかな。歴史を学ぼうよ。

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(2)2019年8月13日
翻訳というのはとても根気のいる仕事だ。時間も手間もかかる。集中力も必要だ。そして特殊な場合を除いて、それほど多くの収入が見込めるわけでもない。あくまで裏方の手仕事なので、脚光を浴びるような機会も希だ。言い換えれば、翻訳という作業自体がもともと好きでなければ、長く続けられる仕事ではない。
(『本当の翻訳の話をしよう』p283 村上春樹柴田元幸著 スイッチ・パブリッシング
*今日の言葉:村上春樹さんの「あとがき」から。
翻訳がそもそも生活を支える仕事たり得るのか?というのはこの17年間常に考え続けていたことで、このテーマになると思い出すエピソードが3つある。
「翻訳通信100号記念講演会」で故山岡洋一さんが「もし皆さんが今、他の仕事に就いているならば、それを辞めてまで出版翻訳者になることはお勧めしません」という趣旨の話をされたこと。
二つ目は、この本の著者のひとりである柴田元幸さんがJTFの講演会で「翻訳は『趣味』です。私は東大教授の給与をもらえたからこの趣味をずっと楽しむことができた」とおっしゃったこと。
もう一つは、私が独立した後、酒井邦秀先生(私が大学時代に圧倒的な影響を受けた多読による英語教育の提唱者。山岡洋一さんの終生のライバルのお一人)に再会した際に、「今、金融翻訳をしています」とご報告したところ、最初の一言が「食べていける?」と言われたことだろうか。
僕はたまたま運が良かったので、好きなことを仕事にして17年間食えてしまったが、これは運を含めた色々な要素が絡んだ結果にすぎないくらいの自覚はある。
自分が食えたからといってこの職業が経済的に恵まれる職業だというつもりはないし他人にも勧めない。だから、自営業者として独立したいというご相談を(ほんの時たま)受ける時には、「慎重の上にも慎重に」と答えてきたし、機会があればそう書いてきたし、今後もそうすると思う。以前ある勉強会で、出版翻訳者になるには「一に(自分の)給料、二に配偶者(の給料)、三、四がなくて五に資産」(が必要)と申し上げたのは、実はフリーランス翻訳者全般に当てはまるのではないかな、と思っています。
だから僕は「あなたも翻訳者になれる!」「あなたもこれだけ稼げる!!」といった類の、一見歯の浮いた翻訳学校の宣伝文句を見ると、「あなたもお花の先生になれる」「あなたも俳句(書道)の名人になれる」と同じ事を言っているにすぎないとしらけてしまう。
結論めいた話ではないが、昨日『本当の翻訳の話をしよう』を読み終わる直前に村上さんの「あとがき」を読んで思った感想を書いた次第。

(3)2018年8月13日
 はじめてお目にかかったときは、とても美しい人、という印象で、それに座談も巧かったから、いかにも「才女」という匂いがあった。「才女」は四十すぎないとむりで、しかも四十すぎて美しいというひとはなおあり難(にく)いものだから、この世に「才女」は少ないのである。向田さんはその数少い才女の一人だった。
田辺聖子「向田さんのこと」『向田邦子を読む』p94)

(4)2017年8月13日
偽りのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし  よみ人知らず
古今集』巻十四恋四。・・・偽りというものが男女間になかったら、どんなにあなたのお約束も嬉しいものでしょうという。男の心変わりに疑いを持ち始めた女の歌だが、「世」や「人」の語を現代風に読んでも通じるのは面白い。
(『続 折々のうた大岡信 p97)