金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「後世の歴史家は平成時代をどのように規定するだろうか」白井聡さん: 8月25日に出会った言葉

(1) 2019年8月25日
① 「1ドルでも1億ドルでもお好きなように」 

(「コシノジュンコ 私の履歴書―NY アポ無しでショー売り込み『メトロポリタン』まさかのOK」2019年8月25日付日経新聞

コシノジュンコ(24)NY: 日本経済新聞

② 私はこの本の印税は1円も受け取らないことに決めました

(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』p286 新井紀子東洋経済新報社
*「 1ドルでも1億ドルでも・・・」はコシノジュンコメトロポリタン美術館でファッションショーをした時に問い合わせた賃料への回答。前例がなく、寄付扱いだから明確な基準がなかったらしいとのこと。
「立派だ。どちらの姿勢にも見習いたい」と言いたいところですが、どちらの文章もそれを読んだ時の私の最初の感想は
「俺もそういうセリフを言ってみたい」
かな。ずっと日々食うことに精一杯だった自営業者にはとてもとても・・・(最近は子どもたちが大きくなったから、以前よりは余裕はありますけど)。情けない話ではありますが。
よい1日を!
(2) 2018年8月25日
後世の歴史家は平成時代をどのように規定するだろうか。
残念ながら、筆者自身が大部分の生を過ごしてきたこの時代は「愚かな時代」として規定されるであろう。世に言われる「失われた20年」あるいは「失われた30年」は、そのほぼ全体が平成時代と重なる。つまり、平成時代が丸ごと「失われた時代」であることは、ほとんど常識と化している。
……中略……
……かくて、転換への適応に失敗し、その失敗を直視することもできないまま、コンプレックスとレイシズムにまみれながら「あの頃(=冷戦時代(=高度成長時代:鈴木注))はよかった」という白昼夢にまみれた時代、一言で言えば、それが平成である。
白井聡『国体論 菊と星条旗集英社新書、p42、50)

https://www.amazon.co.jp/dp/4087210286

*今朝の言葉は業界外の勉強会のテキストから。僕はそのうち、「かつて『失われた20年』あるいは『失われた30年』という言葉があったが、今振り返るとその捉え方は幻想であった。すなわち1945年から1990年頃までの45年間が『バブルだったのだ』」と規定される時代が来るのではないかと危惧しています。

(3) 2017年8月25日

物申(ものまう)の声に物着る暑さかな 横井也有
暑い暑いと裸になっているところへ「ごめん」と声。仕方なく身仕舞いを整えて急いで出る。
 (『続 折々のうた大岡信 p87)
ご自愛を!