Friendship is to people what sunshine is to flowers.
(友情の人間に対する関係は日光の花に対する関係と同じである)
(綿貫陽、マーク・ピーターセン共著『表現のための実践ロイヤル英文法』(旺文社)P273)
と言う文章があり、これは「129 C what を含む重要慣用表現」として紹介され、その付録である『実践のための実践ロイヤル英文法』の暗唱文182として挙げられている(私は3日に一度この本を暗唱しており、現在7、8周目ぐらいかな)。
A is to B what C is to D.またはWhat C is to D A is to B.
は多くの文法書では「慣用句なので覚えておきなさい」というスタンスだ。下の①~④ではただ「慣用句」として紹介してあるだけで、文法説明は一切ない。参考までにそれぞれの本とページ数、および例文を挙げておく(どういう例文を使っているのかを比較してみるのも面白い)。
① 江川泰一郎著『改訂新版(64版)英文法解説』(金子書房)p76
What the blueprint is to the builder the outline is to the writer.(作家にとっての話の大筋は、建築家にとっての青写真のようなものである)。
② 安井稔著『改訂版 英文法総覧』(開拓社)p256
Reading to the mind what food is to the body.(心にとって読書というものは、ちょうど体にとって食物がもっているような関係のものである)
③ 石原昭博監修『総合英語Forest 第5版』(桐原書店)p297
Reading to the mind what exercising is to the body.(読書と知性の関係は、運動と身体の関係と同じだ)
④ 杉山忠一著『英文法詳解』(学研)P185
An unreliable man is to society what a bit of rotten timber is to a house.(信頼できぬ男の社会に対する関係は、くさった木の家に対する関係と同じである)。
手元の英文法書の中で唯一、文法らしい説明をしていたのが次の⑤で、例文も2つという親切さである。
⑤ 宮川、綿貫、須貝、高松共著『ロイヤル英文法』(旺文社)p578
Reading to the mind what food is to the body.(読書の精神に対する関係は食物の身体に対する関係に同じである)
Children are to the world what the leaves are to the forest.(子どもの世界に対する関係は木の葉の森林に対する関係に同じである)
でも説明は「whatの導く節は補語である」の一文だけ。もちろん、この説明だけではピンと来ない。
この項目に関して最も丁寧な説明をしていたのは今回も文法書ではなく、翻訳用参考書だった。
⑥ 中原道喜著『誤訳の構造』では、以下の例文を元に概ね以下の説明をしている(引用と私の補足がごっちゃになっているので注意)。
Air is to us what water is to the fish.
ここで、Air is to usが主節、what water is to the fishが従節。このwhat-Clauseは名詞節で主節の補語の働きをし、
「Air (←主語)is (←動詞)what water is to the fish(←名詞節全体が補語)to us.」
という関係を示している。つまり、「空気は我々にとって[水が魚に対するようなもの]である」意味関係を示している。言い換えれば
「空気と我々の関係」が主題なのであって、それを「水と魚の関係」という誰にでもわかる身近な例を引き合いに出して述べたものである。この構文をwhat-clauseを前に出して
What water is to the fish the air is to us.
となっても、主節(air is to us)と従節(補語の役割:what water is to the fish)の関係は変わらない。(中原道喜著『誤訳の構造』(聖文新社)pp226-227
『誤訳の構造』は、すべての文法事項にこういう説明を施しているわけではない。むしろ英外的だが、わかりにくい構文で他の文法書では「慣用句」とされている箇所を丁寧に説明していたので、自分のメモも兼ねて紹介しておく。
なお、以上の文法書を見るとそれぞれの本の特徴というか親切さも何となくわかる。文法事項を説明するならなるべく分かりやすい例文が望ましい。その点④はどうなの?と思った次第。