金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

TOEICって、とどのつまりは英語版「リーディングスキルテスト」②

僕は日本語(国語)に新井紀子先生が提唱されている「リーディングスキル・テスト」が必要なのと同様に、英語にはTOEICが必要だと思う。TOEICって、文章の鑑賞とか文章を味わうとか教養をつけるためではなく、情報を正確に取るための試験と考えれば面白くなくて当たり前―そう割り切れば意味がある。

新井紀子先生は、日本の「国語科」は徒に「文学」に行き過ぎて、逆に基礎的な「読む力」が養われていないと批判する(と僕は理解している)。TOEICも同じだ。英語の基礎力(簡単な英文の正確な聞き読みテスト)なのだから多くの時間を割くのは無駄だと思うけれど、大いに意味があると思う。日本の「国語」のように文学鑑賞にまで行ってしまうのではなく、その一歩手前なのがよい。

茂木氏のご意見は、TOEIC信奉しすぎる社会的風潮への警告として受け取るのがちょうどよいのかも。

茂木健一郎氏、英語能力テストに私見「興味がありません。この世からTOEICが消えたらいいと思う」 : スポーツ報知

 

(補記)2021年7月14日(水)の日本経済新聞に次の記事があった。
(以下引用)
「論理力に求められるのは芸術的な文章ではなく、『普段着の日本語』なのです。国語の先生方にも英語教師が構文を教えるように語学としての日本語を教えてほしいと願っています」野矢茂樹さん
(「「普段着の日本語」学ぼう 哲学者が説く論理力の鍛え方言葉の断片化、とても危ない」2021年7月14日付日本経済新聞)*有料記事です。

「普段着の日本語」学ぼう 哲学者が説く論理力の鍛え方: 日本経済新聞

野矢さんの言葉は、新井紀子先生の「リーディングスキル・テスト」で低床している読解力と同じだ。僕も完全に同意する。世の中の一部は新井さんの主張を誤解しているのではないかな。新井さんは文学を学ぶことを否定していない。これまでの国語科では、基本的な読みの力がないがしろにされてきたと主張しているにすぎない。僕も全くその通りだと思う(2021年7月15日記)。 

TOEICって、とどのつまりは英語版「リーディングスキルテスト」 - 金融翻訳者の日記