金融翻訳者の日記

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「同化翻訳」と「異化翻訳」

この2週間で同じ方の翻訳論を紹介した文章を二つ目にしたので引用します。

①『浮き世の画家』のオノや『日の名残り』のスティーブンス、『わたしを話さないで』のキャシーは皆、「あなた(たち)」という聞き手に語りかけている。しかし、……邦訳では削除されている。読み易さや、翻訳とは感じられないことを良い翻訳の基準であるとするならば、……削除されるべきあろう。しかし近年では、ローレン・ヴェヌティのように、従来的な翻訳の時民族中心主義的な態度を批判し、安易に異文化の異質性を排除した来、自国の文化に馴致したりせずに、その異質性を保持するように説く批評家も登場している。ヴェヌティ的な観点から見れば、イシグロの小説の聞き手は、それがどんなに日本語に馴染まなくとも、決して削除してはならない要素だと言える。(中嶋彩佳「カズオ・イシグロの小説における翻訳の名残り」『『ユリイカ』2017年12月号特集「カズオ・イシグロの世界」P84)

②現代の英米でスタンダードな、「最初から英米人が書いたかのように読める」翻訳が「同化翻訳」、それに対して、明らかに翻訳であることが分かるように、オリジナルの言語の言い回しや構文が見えるように訳すのが「異化翻訳」です。言うまでもなく、「異化翻訳」こそが目指すべき翻訳法だというのがヴェヌティの主張です。
山本史郎著『翻訳の授業』(朝日新書)P43)

「同化翻訳」「異化翻訳」という言葉は最近まで知りませんでした(恥)。

「直訳か意訳か」という話は翻訳者であれば誰もが悩むか考えるテーマで、僕自身はこの世界で最も尊敬する翻訳家のお一人である村井章子さんが、以前講演の中で「(彼女にとっての翻訳とは)英語で読み取った内容を、自分にとって最も分かりやすい日本語で説明すること」と仰り、僕の手がける金融翻訳や、ノンフィクション翻訳にはあてはまるなと腑に落ちそれを目指しているのだが、これは「同化翻訳」ということになるのだろう。

別宮貞徳さんが『裏返し文章講座』(ちくま学芸文庫)で「日本語が分かっていない」「もはや日本語ではない」「品がない」「頭が悪い」等々と徹底的に批判している(というか罵倒に近い)小宮豊隆、水田洋、都留重人伊藤整等々の翻訳は「異化翻訳」ということになるのだろう。だがこちらにも一理あり、というかこちらが翻訳の目指すべき方向だ、という主張が最近出てきている、というのは驚きとともにある意味新鮮に感じました(自分の不勉強を棚に上げて)。

「同化翻訳」「異化翻訳」についてはこれから勉強していかなければならないとは思う。ただヴェヌティさんのように、翻訳は「異化翻訳」を目指すべきだ!と言われてしまうと直感的にはついて行けない。あるべき翻訳に対するスタンスの違いだとは思いますが。

最後に、

特許翻訳との関連で論じた(というか主観を述べた)エッセイを見つけたので紹介しておきます。特許翻訳の皆様はご興味あるかも。
「われわれは一体何を何に訳しているのか」
NPO法人日本知的財産翻訳協会理事長 奥山尚一

https://www.japio.or.jp/00yearbook/files/2020book/20_a_10.pdf

お疲れ様でした。

(追加後記)

*4年前に読んだ本ですが、同じテーマだったので引用します。少し長いのはご容赦(2021年7月15日記)。

(以下引用)
これら二つのケースと、今日における古典新訳のいくつかの例を合わせて考えると、翻訳研究上、興味深い対照的な傾向が見て取れる。亀山訳のドストエフスキーがより「読みやすく」(readablde)、「読者に親しみやすい」(reader-friendly)方向で翻訳の現代化を目指したのに対して、ビヴィア、ヴォロホンスキーは、すでにガーネット訳によっていったん達成されていた「読みやすさ」に挑戦し、より「よみにくい」けれども原文の味を伝える新しい訳を目指した。『キャッチャー(イン・ザ・ライ)』のロシア語訳の場合もほぼ同じことが言える。

(中略)

 このような、古典を単に読みやすい翻訳で読むのではなく、より原文のコンテクストに忠実な翻訳で読もうとする傾向は、『源氏物語』の主要な英訳の変遷にも見て取れる。

(中略)

 これまで見てきた傾向は、翻訳理論家のローレンス・ヴェヌーティが好んで使う用語を借りて言えば、「馴化、同化」(domestication)と「異化」(foreignization)という用語を使って考えると分かりやすい。「馴化」というのは、外国のものを分かりやすく、翻訳先の言語環境に適応させる方向、「異化」は、外国語のテキストに現れる異国的要素を残して翻訳先言語に盛り込む方向である。どんな翻訳も、百パーセント「同化」であったり、百%「異化」であったりするわけではなく、むしろその二つの方向性の微妙なバランスが問題になるのだが、ドストエフスキーに関して言えば、亀山訳は同化の方向、ビヴィア、ヴォロホンスキーは異化の方向を向いているということになる。(引用ここまで)

(『文芸翻訳入門 言葉を紡ぎ直す人たち、世界を紡ぎ直す言葉たち』藤井光編(フィルムアート社)、pp61-62)

 

 

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村井章子さんの講演会(2016年3月19日)に参加して - 金融翻訳者の日記