昨日も午後から翻訳勉強会の準備を始め勉強会に参加。
で、昨日司会をしていて(といっても文字通りの進行役なのですが)、この勉強会のスタイルができあがったのだな、と思った。僕以外の皆さんには。
実は、僕のスタンスは金子靖先生の教室に通っている時からまったく変わっていない。締め切り直前に課題文に取り組み始め、「とにかく出す」ことを目標に、無理矢理にでも答案をでっち上げて提出。授業(あるいは勉強会)に出て皆さんの訳を初めて知り、自分の無知を恥じて復習する、というスタイルだ。
ところが、今の10-12期の私以外の皆さんは違う。全員、他の人の答案と先生の試訳、講義録を読み込んで参加しているのだ。
だから、1段落終わると、「私はこの点は〇〇さんの訳が一番素晴らしかったと思う。理由は・・・。それに対して私はこの部分に気ががつかなくて・・・」「講義録のこの部分の意味は・・・」という具合で進んでいく。他の皆さんの答案をその時初めて見る私はそこで初めてコピーしてきた紙をひっくり返して確認する、といった調子で目を白黒する。今までもそうだったとは思うのだが、昨日司会をやってそのことをハッキリと自覚した。たぶん8-9期の勉強会もそうなんだが、僕のスタンスがスタンスなんで気がつかなかったんですね。
出発点が違ったのだ、僕だけ。要するに課題の宿題を何とかやって提出した落第生(つまり僕)一人と、課題は当然やり、周りの答案も吟味し、模範解答も講義録も13期の皆さんの感想文もぜーんぶ、しかもしっかりと読んだ上で授業に参加しているその他の優等生という図式だったわけだ。昨日飲み会でYoshiさんから言われたが「チャーリーさん、あなた他の人の答案あんまり見ていないと思うけど、このクラスの参加者の皆さん、一つ一つ検討していくと相当レベル高いよ」。僕もそう思う。
これは何とかせにゃならん。マジで翻訳ストレッチの中身を見直そう。
それと、午前中仕事をしながら思ったんですが、8-9期もそうなんですが、10-12期の勉強会も「ほんわかと暖かい」雰囲気なんだよなあ。「安心して恥をかける」って言うのかしら。けれども甘えはない。こればっかりは集まった人たちの醸し出すケミストリーとしかいいようがない。・・・と突き詰めていくと、結局は大元の金子先生の人徳(?)(ま、ヨイショになりそうなので止めておきます)。
(後記)
この5年間も全然変わっていない。いつもギリギリ。
しかもこの3年ほどは欠席も多く・・・反省しなければならないこと多し。(2021年9月1日記)