今朝オバマ大統領の広島演説を音読した際、complacencyをどう訳しているのだろうと思った。最初は日経だったが、ちょっとピンと来なかったので朝日新聞の訳を見てちょっとがっかりし、この原稿を書くために大使館等の該当部分の訳を調べてみました。
以下ご参考まで
(該当部分の原文)
Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.
(在日米国大使館の翻訳)
いつの日か、証人としての被爆者の声を聞くことがかなわなくなる日が来ます。けれども1945年8月6日の朝の記憶が薄れることがあってはなりません。この記憶のおかげで、私たちは現状を変えなければならないという気持ちになり、私たちの倫理的想像力に火がつくのです。そして私たちは変わることができるのです。
http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20160527-02.html
(一言コメント)上が一番慎重の上にも慎重に訳した結果だと解釈し、各紙を見てみよう。
(日経新聞の翻訳)
いつか、証言をしてくれる被爆者の声を聞くことができなくなる日が来る。しかし1945年8月6日朝の記憶は絶対に消えてはならない。この記憶によって我々は独りよがりではいられなくなる。道徳的な想像力がかき立てられ、変わることができるようになる。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM27H6X_X20C16A5FF1000/
(一言コメント)意訳のしすぎ?
(朝日新聞の翻訳)
いつか、証言するヒバクシャ(被爆者)の声が聞けなくなる日がくるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を薄れさせてはなりません。その記憶は、私たちが自己満足と戦うことを可能にします。それは私たちの道徳的な想像力を刺激し、変化を可能にします。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12380530.html
(一言コメント)直訳のしすぎ?
(毎日新聞の翻訳)
いつの日か、証言をする被爆者の声を聞くことができなくなります。しかし、1945年8月6日朝の記憶は決して消してはいけません。その記憶があるからこそ、我々は現状に満足せず、道義的な想像力の向上が促され、変われるのです。
http://mainichi.jp/articles/20160528/k00/00m/040/171000c
(一言コメント)新聞の中ではこれが一番近い?
(読売新聞の翻訳)
いつの日か、証言する「ヒバクシャ」の声は失われていくことだろう。しかし、1945年8月6日のあの朝の記憶は、決して消えることはない。その記憶により、我々は現状に満足してしまうことに対して戦うことが出来る。我々の道徳的な想像力をかき立てる。変化をもたらす。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160528-00050005-yom-pol
(一言コメント)大学受験の答案としてはオーケーだが・・・。
(産経新聞の翻訳)
いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろう。しかし1945年8月6日の朝の記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像力を養い、われわれを変えさせてくれる。
http://www.sankei.com/politi…/…/160527/plt1605270066-n4.html
(一言コメント)難しい英語を飛ばしてしまった?いやいや、何らかの意図があったのか?(そこまで考えてないかな)
実に、実に興味深い比較でした。