金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

Concealing One's True Feelings: A Part of the Paycheck (Sep. 22, 2017)

The other day, while having drinks with an executive from a major corporation, the conversation turned to politics. Knowing he was someone who could speak freely, I casually asked him, "Don't you think there's something off about the Abe administration? They do lie, right?" The reply was, "Personally, I do think so." I should mention that this person is a highly respectable and sincere businessman.

"Personally..."

Such a nostalgic phrase! I first thought about how many years it's been since I last used it. (Truth be told, I rarely made that distinction even during my salaried days). It dawned on me once again that these people have to speak from a "position", and that's a part of their pay.

「『知らぬが仏』のTOEIC」(初TOEIC受験記)

「お~い、どうだった?」

「最後まで行かなかったよ~」

「ヘッヘッヘ。こっちは10分余ったぞ。関正夫先生の作戦だな」

「え、どういう作戦?」

「セクション7をDPとTPからやって、最後にSPにしたんだ。セクション5と6が終わって16分。あと59分のところでセクション7。DPとTPが終わったところであと28分ぐらいだったかな。でSPに取りかかったら簡単に見えちゃってさー、終わったらあと10分ぐらい余っていたから余裕で見直ししちゃったよ」「すごいね~お父さん」

「問題用紙に怪しいところを丸つけておいて、そこを見直していったら間違いが見つかったし、何しろ一問ごとにマークするんじゃなくて、パセッジごとに答えを問題用紙に書いて、その後写す作戦にしたから時間も短縮できたんだ」

「え、お父さん、問題用紙に書き込みしたの?」

「お前、何言ってんだ。常識だろそんなこと・・・(ふ、不安)」

「駄目だよ。TOEICは問題用紙に書き込みしちゃいけないんだよ。しおりにも書いてあるし、試験監督の人も言わなかった?」

「監督の人は『しおりをよくお読みください』としか言わなかったぞ・・・え、そ、そんな~。誰でも重要な箇所に下線を書いたり、丸つけたりするだろ。それが常識だろ。何も書いちゃいけないなんて、ええ~・・・・?」

と言っているうちに次男がしおりを取り出す。「ほら、ここに書いてあるじゃん」

 

(以下引用)

下記の「注意事項」に違反された場合は、次の対応をおこなうことがあります。試験官による注意/警告。退室いただく。手荷物の確認。採点をしない。受験資格のはく奪。スコアの無効化。

 

注意事項

撮影、録画、・・・問題用紙/解答用紙の持ち出し・・・カンニング行為・・解答用紙の所定欄以外への書き込み(問題用紙へのマークを含む)・・・・(引用終わり)

 

「ほ、ほんとだー」

「お父さん、注意されなかった?」

「ぜーんぜん」

「警告どころか、試験官は何度も僕の横を通ったけどなーんにも言われなかったよ」

なんて話をしながら次男はインターネットで調べる。

「ほら、問題用紙に書き込みは禁止って書いてある。」

 

ほーんとだ。

 

「じゃあ、失格かなあ。しよーがねーやな。知らなかったんだから」

「でもね、お父さん、警告も何もなくて解答用紙回収されたら『受け入れられた』ってことみたいだね」

 

翻訳ストレッチの時間を20分ぐらい追加して勉強してきた。点数を上げるということではなくてこの試験勉強は英語力を上げるとも思った。まあ、別に僕は何かに提出するために受けたわけじゃないんだけど、何となくズルした感じが残る。それに、もし何もメモができなければ時間が余ることはなかったような気もする。

 

というわけで仕切り直しますわ。

初めてのTOEIC(950点)の結果が紙で来た。 - 金融翻訳者の日記

「前川さん、大いに語る」2017年8月14日まで公開されています。

(今日までです!拡散=シェアを強く、強く希望します!!)
 
特別公開は今日までです。
 
1時間15分の講演もさることながら、その後の質疑応答が実に興味深い。前川さんのいろいろな本音が聞けます(1時間以上の講演と、その後1時間以上の質疑応答を見ると、人間性がかなり出ます)。
 
例えば、現役の国家公務員の時に、「一個人として」安保関連法案反対のデモに参加して若者たちに混じって声を上げた時、
 
「もしばれてたら事務次官にはなれなかったでしょうね・・・だからここだけの、内緒の話ですから」(笑)なんてスピーチも。
 
時間のある方はじっくりと、時間のない方は「ながら」でも聴く価値が大いに、大いにあり。
 
(以下は、明日以降は読めなくなる「特別公開中」の文章の引用)
 
「国民が国を縛るという立憲主義の前提が、解釈改憲で踏みにじられてしまう。平和憲法の下、個別的自衛権専守防衛なら認めてもいい、という国民のコンセンサスを、解釈改憲は崩すものでもある。よって、集団的自衛権を認めることは憲法違反である」
 
 9月18日の夜、1回きりだが、反対の声を上げに行ったのは、「もう、他に機会がないと考えたからだ」と前川氏は言う(安保関連法案は9月19日未明に成立)。皮肉にもこの日は、1931年に満州事変が起きた日と重なる。それは、日本が軍国主義へと突っ走っていくひとつの転換点であった。「そうした過去の過ちに対する痛切な反省の下に平和憲法が成り立っているのだから、それを土足で踏みにじる行為は問題だと思った」と付け加えた。
 
 そして、「事務次官退任後、改めて加計学園の件を考えた。やはり国民主権という憲法の原理からも、このように間違った行政が行なわれていることは、国民に知らせるべきだと思った」と振り返った。
 
心の中は無政府主義者!? 前川氏が「学校に行かなくてもよい」と思ったきっかけ
 学ぶ権利に関連し、学校に行かなくてもよいと考えるようになったきっかけを問われると、前川氏は、「自分自身が一時期、不登校であった経験による」と切り出した。
 
 小学校3年生の1学期に、親の都合で奈良から東京へ転校した際、言葉遣いの違いを他の生徒から笑われたことや、担任の教師が優しくなかったことなど、嫌なことが立て続けに起きたため、登校する時間になるとに頭痛や吐き気が起きたという。
 
 翌年、都内で再度転校した後は、子ども心に「今度はうまくやってやる」と考え、また、周りの環境にも恵まれていたことから、再び学校に通い始めるようになったという。
 
 そして、「職員に教員の子が多い文部科学省の中で、(不登校を経験した)自分は学校教育を相対的、客観的に見ることができる。そうした立ち位置から学校教育に携わろうとした」と述べた。
 
 また、前川氏は自らの思想的な立ち位置を、「世俗の権威や権力を重視しない無政府主義者」と表現した上で、入省後、早くから人間の規格化を進める「学校」という制度に問題意識を持っていたと話す。さらに、大阪府の大空小学校の取り組みを事例に挙げ、子どもたち一人ひとりの個性を尊重するインクルーシブ教育(※)についても言及した。
 
※インクルーシブ教育
 障害のある子どもを含めた、すべての子ども一人ひとりのニーズに合わせた教育を、通常の普通学級で行なう取り組み。前川氏によれば、大空小学校の元校長である木村泰子氏は、「子ども一人ひとりをスーツケースのようにひとつの形に抑え込むのではなく、どんな子どもが来ても包み込めるような大風呂敷にしたい」と語ったという。
「あったことを、なかったことにはできない」いじめと子どもの自殺――教育の場に人権意識を
 最後に、いじめを原因とする子どもの自殺の問題について質問があり、前川氏は次のように答えた。
 
 「いじめ対策基本法にあるように、第三者の組織が調査し、対策を考えることがまず必要である。担任や学校、もしくは教育委員会が問題を内部で抱え込み、あったことを、なかったことにする態度は問題だ。真相追及のために広く情報共有される必要がある。一方で、個人情報については、遺族への影響が大きいことから扱いに注意しなければならない」
 
 また、日本の教育制度の根本的な課題として、日頃から、一人ひとりを大切にする教育、人権意識を根付かせる必要があることも、前川氏は強調した。元来、日本の学校制度は、明治時代から軍隊の制度を模してつくられており、遠足は行軍、制服は軍服と重複する要素がいくつもあるという。
 
 「そうした、個性を殺す同調圧力が存在するため、子どもたち一人ひとりの個性を伸ばす教育が阻まれている。加えて、体育会系の部活動に残る暴力的な体質も是正しなければならない」と前川氏は述べた。
 
 講演会に集った多くの人々を前に、前川氏の語り口は軽妙であったが、加計問題に限らず、個々の課題に対しては深い問題意識を持って取り組んでいることが伝わる講演会であった。
 
 多様な意見や個性があるということを、表立って言うこともままならない雰囲気に向かいつつある日本社会。そのような中でも、教育や学校制度の在り方を批判的に見つめながら、すべての人に教育の権利を保障しようと試みる前川氏の姿勢。私たち国民一人ひとりが、何かを「学ぶ」機会になったのではないだろうか。
 
(引用終わり)
 
是非ご覧あれ。あと1日です。拡散を強く希望します。
 

TOEIC:日本語を介さないで英語を読み聴きしないと

ヒョンなことからTOEICを受験することになりまして。

「他のどんな参考書、問題集よりも公式問題集をシャブリ尽くせ」という子どものアドバイスに従い2カ月前から準備するはずが、先週から公式問題集を一通りやってみた。

といっても「通し」(リスニングからリーディングまで試験時間通りに一気に)ではなく、リスニングは全部。リーディングはパート5、6、7をバラバラに、ただし時間を計って取り組んだ。

時間に追われながらリーディングをやってつくづく分かったのは、いかに普段自分が日本語を介在して英語に接しているか、ということだった。そういうクセをなくすために「翻訳ストレッチ」では英語だけを5~10分読むという努力もしているし、ウォーキングしながら英語のラジオ放送を毎日1時間は聴いてるのだが(これは3月以降なのでもう4カ月以上になる)、やっぱり漠然としているんだなあ、と。

英語のまま読んで(あるいは聴いて)その中身についての質問をされてポイントをつかみ取るという読み方(聴き方)を普段していないことがよ~く分かった。で、このための試験勉強をすることは自分の英語力(ひいては翻訳力)を高めることも分かった。

現段階で、リスニングで10問、リーディングで11問間違い。だいたい9割。あと1カ月でこの20問分は果たして埋まるのか?

「お父さん、『通し』でやんなきゃ意味ないよ。リーディングの最後の10分はフラフラになるんだよ」と言われておりまして、あと1カ月あるので、何度かチャレンジしてみよう。

最後に一言。

私は試験を受けて「良かったら」ここに公開します。

でも、悪かったら?

私は日本国民として、現在のわが国の道徳観に素直に従った対応をするであろう。

以下は、先日全国の小中学校に、最近になって急遽配本されたと噂される(?)文部科学省検定済み教科書の副読本「嘘つきは泥棒の始まりー 絶対に嘘をつかないために』(文部科学省編、内閣府財務省防衛省監修)にあったロールプレイ集に基づく、かなりありそうな問答である。

K先生「鈴木さん、何点だった?当然990点ですよねぇ」
私「え~、受けた覚えがありません」
Aさん「鈴木さん、あたし、試験会場で見ましたよ。受けたんでしょ?」
私「それが私とは限らないと思います。証拠に基づいたご質問をお願いします。ちなみに受けた覚えはありません・・・」
Kさん「たった1カ月前のことですよ、受けたんでしょ?はっきりしなさいよ!!」
私「え~、私の記憶の及ぶ限り、受けておりません」
Aさん「これは、試験会場にいた鈴木さんの写真よ。間違いないわ」
私「試験会場に『行った』とは言い切れません」
Kさん「試験結果来てるんでしょ!見せなさいよ」
私「業者等からのダイレクトメールは、原則として1日置いて自動的に廃棄しております」

Aさん「でも、この前ご子息にお尋ねしたら『父とは一緒にTOEICを受験しました。先日スコアが送られてきて僕が父に渡しました。間違いありません!』と言っていましたよ。もう言い逃れできませんよ。どうなのよ!!」
私「記憶にありません」
Aさん「じゃ、あなた、息子さんが嘘を言っているっておっしゃるわけ?」
私「そうは申し上げておりません」
Kさん「じゃ、スコア報告書はもらったんですね?」
私「『報告があった』という認識はありません」

Kさん、Aさん「要するに、記憶にも、記録にもないってことですね?」
私「御意」

ということで皆様におかれましても、大人の対応を一つよろしくお願いします。

金子靖翻訳教室(2017年春の公開教室)のノートから

(以下引用)
いつもそうですが、翻訳は基本が大事ですが、どういうわけか実際に翻訳の仕事をしている人たちの中にはそれが自分には間違いなくあると強く思い込んでしまっている上に、この講義でわれわれが膨大な時間を捧げて打ち込んでいるようなトレーニングを積もうとしない、間違いを間違いとして誰かに指摘されることなく、自分もそれを決して認めず、仕事で間違いを繰り返し、結果として仕事を失うということをしてしまっているような気がします。そしてもっとまずいことに、こういったテキストを使って翻訳を基本からみっちり勉強することが無駄であるかのような考え方をし、そうした努力をする人たちをどこかバカにする者もいるようです。(中略)
 自戒を込めて言いますが、勉強会で自分のミスがわかる、指摘されるというのはとってもありがたいことですし、すぐれた友人たちの訳を見ることで、モチベーションが上がるはずです。
金子靖先生 2017年夏の公開教室 1回目 講義ノートpp7-8)
注:本日勉強会があるので、改めて講義ノートを読んでいて書き留めておこうと思った一節です(金子先生、勝手に引用してスミマセン)。

 授業では、個人個人への丁寧な添削とは別に、講義ノートが配布されます。これが個人宛のメッセージを添えて21ページ。しかも授業後に、参加した皆さんの感想文(というか、講義ノートにある先生の質問/疑問に対して参加者の皆さんが自主的に提出された回答集。これがまたスゴいのなんの!)や、その内容について参加者の方と議論された結果「講義ノートの誤りに気づきました!」と修正したものまでお送りいただいています(今回に限りません)。
 先生ご自身のレベルが超高いのに、参加者と一緒に学び続けようという(大変失礼ながら)どこまでも謙虚な姿勢。ヨイショするわけじゃないが、改めてズシリときます。
出会いに感謝です。
頑張ろう。
(後記)金子靖先生のレギュラー翻訳教室は2シリーズ(6回×2=12回)までしか出席できないが、毎年春と秋に開かれる公開教室はOBOGも出席可能なため、募集が始まると数十分で埋まります。(2021年8月7日記)

「表参道のYK屋 激辛担々麺の試し方」(YK氏主催の翻訳教室をラーメン屋にたとえると)

(*ワケの分からない方はどうぞスルーを)

某K究社編集部にお勤めのYK氏の「お教室」について私がここで色々と書くものだから、「行ってみたいけどコワ~い!」と踏み切れない人も多かろう。

そこで不詳この私が、自らの経験に基づいて特別に伝授しよう。

(1)開店したら目をつぶって注文する。
何しろ早い者勝ちである。半年に1度か2度しか開店しないので、そろそろ開店かな、というタイミングが近づいたら常に店の前から目を離さず、常連客からも情報収集し、「開店!」ときたらスケジュールを確認し、すぐに入店し、「激辛担々麺一丁!」と注文すること。

(2)「後悔したのは、君だけじゃない」
注文するとすぐに出てくる。一口食べる前に、見ただけでまずはこう思うはずだ。「注文しなけりゃよかった・・・」。そして次に「僕の好みじゃない」「僕の分野じゃない・・・」「やっぱり時間がない・・・」等々、箸をつけないための自己弁護が始まる。

各ジャンルのグルメという自負のある者ほどそう思うかも知れない。しかしそう思うのは君だけじゃない。恥をしのんで告白しよう。僕だってそうだったんだ。でも、あとで何人もの人から同じ感想を聞いたんだよ。

それを食えないと思うのは、君の好みでも、君のジャンルが違うからでもない。そもそも「味が分かっていないからだ・・・俺は似非グルメだったんだ!」まずはそのことを認めよう。謙虚な姿勢で麺とスープに立ち向かうのだ。

(3)苦しいのも、君だけじゃない
「いただきます」意を決して食べ始めても、噛んでも噛んでも味が分からん。食っても食っても終わらない・・・そんな局面に何度でも出くわすはずだ。しかしそう思うのも君だけではない。常連客も同じなのだ。

店主だって、「仕入れてみたけど・・・さすがにこりゃ分からん」なーんて素材だってある。でもそれは君が食っている時には分からない。食うのは1人だけの作業で、だれも助けてくれない。しかし完食した者だけが健闘を称え合う「補習」という名の「集いの場」に来れば必ず分かる。老いも若きも、アマチュアもプロも、初心者もベテランも、みーんな同じ思いと苦しみを味わっていたと言うことを。だから決してあきらめずに、自分でできる限りの努力をして、とにもかくにも完食して、「ごちそうさま!」とどんぶりを出すこと。

(4)店主は優しい
店主のYK氏はこの道30年、味と素材、そして自分の舌に対してとことんウルサく、しかし謙虚なプロフェッショナルだ。テナントのオーナーの経営危機を助けるべく表参道に開店してほぼ10年。相場の10分の1という超破格の値段も手伝い、常連客も着実に増えている。しかも常連客には他で担々麺店を開いている一流どころのシェフも多い玄人好みの店なのだ。

順番さえ守ってもらえれば一見さんもハッピーウェルカム。完食し、丼さえ出せばたっぷり2時間、補習も含めれば4時間ぐらいは担々麺道を聞かせてくれる。もちろん懇切丁寧な個人指導と、素材とスープ、味、常連客の上質コメントも満載の分厚い資料集も手渡してくれる。しかも酒好き。

もちろん、癖になるか、ならないかは君の好みだろう。

完食するかどうか、常連客の道を追うか、一見さんで終わるかは君のオウンリスクだ。

アマもプロも、是非一度お試しあれ。

・・・仕事せねば。

TOEIC申し込みを押し切られる

昨日仕事をしている私の後ろから声をかけられた。

「お父さん、TOEIC申し込めるよ」

「え、あ、そうだった?・・・で、いつ?」

「9月10日」

「え、あ、仕事が・・・・・・あ、いや月末じゃねえか」

「約束だよ」「わかった。申し込んでおこう」

「今、申し込んでよ」「い、いま?」

「そう、約束。僕の分も。一緒に受ける時には払ってくれる約束」

「そ、そうだったな」

「・・・もう逃げられないよ」

「う・・・ッ」

「お父さん」「な、何よ」

「負けないよ」

 

で、ダン。

 

あ~これで逃げられなくなった。実に、実にヤバイ。

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