金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「インターネットの普及によって最も盛大に失われたのは「なにもしない」時間だ」2016~2021年2月21日に出会った言葉

(1)2021年の今日
インターネットの普及によって最も盛大に失われたのは「なにもしない」時間だということだよ。
小田嶋隆著、武田砂鉄撰『災間の唄』(株式会社サイゾー

(2)2020年の今日
“No One is above the Law.”
ペロシ下院議長、他)
トランプ大統領の弾劾裁判中、主に民主党の議員の口から何度となく出た言葉。トランプさんはまんまと無罪を勝ち取り、今は好き勝手なことを大っぴらにやり始めました。僕が今日これを引用したのは、アメリカというよりも最近の日本での国会のやり取りを見ていてつくづく絶望したから。日本はもはや法治国家ではない・・・でもあきらめきれんなあ、自分のためというよりも(どうせ還暦だし-)自分の子どもたちや、孫たち(まだいませんけど)のために。

(3)2019年の今日
人々は自分のかわりに働いてくれる道具ではなく、自分とともに働いてくれる新しい道具を必要としている  イヴァン・イリイチ(思想家)
(「折々のことば」 2月18日付朝日新聞

(4)2018年の今日
本来、何かを書くという行為には他人を不快にさせたり、傷づけたりする可能性が含まれている。
(「後藤正文の朝からロック ― 考えたい 表現する責任」本日付朝日新聞より)

(5)2016年の今日
太田さんが教えてくれたのは、字幕翻訳だけではなかった。太田さんは仕事の質と速度に高いプライドを持っており、校正での直しが少なくなるよう、しばしば寝食を削ってでも納得のいくレベルまで突き詰めた。来る仕事は基本的に拒まないため、週休はほぼゼロ。私が「週1日の休みは確保したい」と口走ったとき、「そういう字幕屋がいるのか、私は知らないな。ましてや新人で」と突き放された。
 太田さんにかけられた言葉以上に、私は太田さんの姿勢から、フリーで仕事する者のプロ意識を学んだ。それなしでは、仕事相手からの信頼も得られず、何よりも自信を持てず、孤独な作業に耐えられなくなって、つぶれていくしかなくなるもの。それが自分を律するプロ意識だった。言葉を書く仕事の職業倫理と言い換えてもいい。自由業を営む者は、それを個人的な基準で作らねばらならない。
  この厳しい姿勢は、私が作家となってから命綱となった。おかげで今に至るまで、書き続けていられる。
  私にとって太田さんは真の師匠だった。実際に私は、太田さんを「師匠」と呼ぶようになった。
師匠の教えは、以後も止まらない。(引用終わり)
(「字幕屋の師匠」星野智幸 日本経済新聞2016年2月21日)
ここで「太田さん」とは、字幕翻訳家の太田直子さん。本年1月10日にお亡くなりになったそうです。
今日も頑張ろう。