金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

立花隆さんの追悼番組を見て思ったこと

NHK立花隆さん追悼番組2つを見、『週刊文春立花隆さん追悼特集を読んで、思った事二つ。

(1)あれだけの旺盛な好奇心で、臨死体験の取材と本を執筆し、自分が癌になってから改めて取材、自分の手術の模様まで見た上で「あのテープもらえないかな」と言っていた人だ。

最後の晩は夕食を取って就寝し、その後亡くなったという。おそらく死の直前まで意識はしっかりしていたのではないか。だとすると、その時に最も関心のあることばかりを考えに考え続けていたのかもしれない。それは何か?

「自分自身の死」ということではないだろうか?

死に近づいている自分が何を感じ、何を考えているのか?臨死体験に近い夢をみているのか?どこまで「意識」はあるのか?意識がなくなりそうな時はどうなるのか、そしてどのように意識は消えていくのか?といったことを知りたくて知りたくてしかたなかったのではないか。記録しておきたかったのではないか。

自分で書けるウチは書いただろう。自分の心境や夢の内容をギリギリまでメモに残していた可能性がある。だれかが病室を整理し、メモかノートを探し、出版してくれたら大変貴重な資料になると思った(あるいはそれを託している人がいるかもしれない)。あるいは意識はあるけれども自分は書けない事態を想定して、信頼できる誰かに自分(立花さん)自身を記録してほしいと依頼していたかも知れない。書き物なのか、ビデオなのか、音声なのかわからないけれども。

何年後かはわからないが、そうしたものを整理した何か「立花隆 死への好奇心」みたいな形で何かが発刊されるかもしれない。

(2)未知なる物への旺盛な好奇心の対象の一つが「女体」あるいはエロスにあったことはかなり知られている。確か『立花隆秘書日記 』には、立花さんの資料やパソコンから数々のエロ写真や絵が出て来て困ったと書いてあったと思う(確かこの本だったと思う)。『週刊文春』の記事にもそれを匂わせる記述があった。

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普通のおっさんなら「単なるエロオヤジ」で苦笑して終わるところだが、何しろあの立花隆だ。女体への好奇心が臨死体験や宇宙への体験と同じ水準だったとしても不思議ではない。社会風俗家か社会学者かはわからないが、「立花隆セクシャリティー」というテーマをどなたかが書いてくれないだろうか?