金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

才能は有限、努力は無限

出会った言葉:

毎日毎日、蓄積していく。毎日つまらない同じことをずっと繰り返していたところに、ゴルファーとしてではなく、すごく、こう、一人の人間としてですね、ああ、一流っていう人はこういう人なんだなって思ってきました。

 ゴルフダイジェスト・オンライン 編集本部 桂川洋一さん

NHKクローズアップ現代松山英樹 メジャー制覇 知られざる舞台裏」2021年4月15日放送)

松山英樹 メジャー制覇 知られざる舞台裏 - NHK クローズアップ現代+

あまりにも感動したので、ビデオを止めて手書きでメモしました。「才能は有限、努力は無限」という言葉は松山さんの座右の銘で、部屋の壁に掲げていつも眺めている層です。見習いたい。

 

 

日経電子版の検索機能

金融/経済翻訳の場合

①日経電子版の検索機能を使うと訳語の「適切さ」とともに「新しさ」(世の中でのなじみ方)を確認できる。

②テレ東の「モーニングサテライト」でも同じ事が言える。書き言葉と話し言葉の違いはあるけれども、ある言葉がどの程度一般サラリーマンの耳に馴染むかがよく分かる。

金融/経済翻訳者の皆様には周知の使い方とは思いますが、念のため。

飛田 茂雄著『翻訳の技法―英文翻訳を志すあなたに』(研究社出版 1997年)

本書は、中嶋彩佳「カズオ・イシグロの小説における翻訳の名残り」『ユリイカ』2017年12月号特集「カズオ・イシグロの世界」所収(P77)の論文の参考文献に載っていた。

図書館で借りて最初の20ページぐらいを読み、買おうと決意した。これから本格的に読み込んで行きますが期待感十分です。なお。本書はその性格上、「買ったけど途中まで読んで挫折した」人が多い模様で、私が買った送料込み351円の中古本は、ほんの少し書き込みがある程度でほとんど新品に近い。

著者の飛田茂雄さんは『浮き世の画家』の翻訳者。私も日々素晴らしい訳文に感動しながら勉強しているが、何とこの翻訳にケチがをつけた(別宮貞徳さんによると「的外れの酷評」)方がいらっしゃったようで、別宮さんは飛田さんの翻訳を高く評価しつつ、返す刀でその論者の翻訳をけちょんけちょんにけなしています(「しどろもどろのアマチュア訳」『裏返し文章読本』)。

ちなみに『浮き世の画家』早川文庫版の編集担当者は金子靖先生(研究社の編集者で青山ブックセンターで文芸翻訳講座をご担当)。「訳者あとがき」の後ろに付記として文章を寄せておられます)。

*なお、この手の本の場合は読み手によって当たり外れがあると思いますので、興味を持たれた方はすぐに購入するのではなく、まず図書館で予約し、手にとって買う、買わないをお決めになることを強くお勧めします。


https://www.amazon.co.jp/dp/4327451223

「コロン(:)」と「セミコロン(;)」(翻訳ストレッチの教材から)(2021年4月)

コロン(:)について、いくつかの著者の説明をまとめてみた。

(1)佐々木高政さん
(a)叙述が読者に「してまたそれは?」と思わせ、その解明を求めて心の首を前に伸ばさせる類いのものであれば、続く(b)との仕切りにcolon(:)を使う。……
したがって次の分のto read a bookの次のcommaはcolonにしてほしかった。

There is only one way to read a book, to give yourself up to it, alone, without instruction as to what you should be finding in it, without necessity of making it into a series of points, but enjoying it, coming to know in personal terms what is in what is in the mind of the writer. (意味:本の読み方は一つしかない。本に入れ揚げることだ。ひとりぼっちで、その中に何を見出して行くべきかについてあらかじめ指図を受けたり、その内容を一連の要点に作り替えるという必要もなう、それを愉しむこと。著者の心のウチにあるものを肌身でさだかに知るに至ることなのである。)
(『英文解釈考』(金子書房)pp47-48)

(2)柴田元幸さん
英語における「:」(コロン)と「;」(セミコロン)の基本的な違いは覚えておいてくださいね。……それ(セミコロン)に対してコロンというのは、「すなわち」「具体的には」というはっきりした意味があります。……の「:」で読み手は一瞬、息を止めるんですね。話の流れが一瞬止まって、「どうなるんだろう」と思う。ドラマチックなことが明かされるような雰囲気がある……。(『翻訳教室』(新書館)pp209-210)

(3)柴田耕太郎さん
既に述べられた事柄を、同格/細目/補足などの意味で以下に述べる(『翻訳力錬成テキストブック』p28など、何度も出てくる)。

(4) 多田正行さん

コロン[:]は理由を表す。
例文:Hariett pointed himeout, else I should never have recognized him: a quiet, shy, modest man, as diferent as one could imagine from the singer I had seen so often passing my farm.(ハリエットが彼だと行って言って私の注意を引いてくれたのだが、もしそうでなかったら、彼だということが私には解らずじまいだったことだろう。その時に見かけたのは内気でつつましい男であって、かつて私の農園を歌いながらあんなにもしばしば通っていくのを見かけていた姿からは、まるで想像もつかぬほどの全くの別人だった。)(『思考訓練としての英文解釈(1)』(育文社)p69)

(5)原仙作(中原道喜)さん

Colon(:)は説明や定義を加える場合の句読点。

例文:The European Traveller in America-at least if I may judge by myself - is struck by two peculiarities: first the extreme similarity of outlook in all parts of the United States, and secondly the passionate desire of each locality to prove that it is peculiar and diferent from every other. (アメリカを旅行するヨーロッパ人は――少なくとも私ひとりで判断してよいとすれば――二つの特異な点に気づく。第一に、アメリカのすべての地方の眺めが極端に類似していることであり、第二に各地方の人たちが、自分たちの地域は特異なものであって、ほかのすべての地域とは異なっていることを証明しようという熱烈な意欲をもっていることである)。(英文標準問題精講(旺文社)pp91-101)

なおセミコロンについては、

「ここからわかるように、セミコロンというのは、カンマとピリオドの間くらいだと思えばいいですね。ちょっと一呼吸空ける感じ」(柴田元幸さん。『翻訳教室』pp209-210)。

「前後の説を等位で結ぶ、比較・対象・敷衍のしるし」(柴田耕太郎さん、『翻訳力錬成テキストブック』(日外アソシエーツ)p28など、何度も出てくる)

セミコロンについて一番分かりにくかったのが佐々木高政さんで、「二つ(以上)の平衡した叙述がperiod(.)で区切るにはあまりにも密接しているし、comma(,)で分けるには重すぎるときには、それを合わせたsemi-colon(;)を使う(『英文解釈考』(金子書房)p47)。ただし佐々木さんの説明は、R.Graves & A. Hodge著のThe Readr over Your Shoulderの定義に従っています。

以上まとめると、セミコロンは比較的簡単で、「カンマとピリオドの間くらいでちょっと一呼吸空ける感じ。意味的には比較・対象・敷衍」てな感じでしょうか。

コロンについては、僕には佐々木さんの「してまたそれは?」と柴田元幸さんの「話の流れが一瞬止まって、『どうなるんだろう』と思う」という説明がストンと腑に落ちました。

(1)または(2)の感覚さえしっかり踏まえておけば、(3)~(5)の機能を覚えなくてもわかると思います。

我が子の才能(2021年4月8日)

渡辺明名人の息子さんも、羽生善治九段のお嬢さんも将棋指しになっていない。

お二人とも息子/娘と将棋を一、二番指して「他の仕事を探したら・・・」となったらしい。

よく「若い頃から始めないと才能が開かない分野もあるから」ということを口実に自分の子どもにいろいろなことをさせる(強制する)親御さんいるじゃないですか。

確かにそういう分野は間違いなくあるはずなんだけど(囲碁や将棋、芸術、一部のスポーツ、一部の学問分野)、でも、若い頃から始めないと才能が開かない分野の才能の「あるなし」って、見る人が見れば「すぐ」わかるんじゃね?

たとえば、5歳の子どもに囲碁将棋をやらせたり音楽をさせて、大人も驚くようなキラリと光るものが「その場で」見えなければ、その子には、少なくともその世界で食っていくだけの才能はない(少なくとも必要条件は整っていない)、と結論づけていいんじゃないかなあ。それなのに、「鍛えれば強くなるはず!」と考えてずーーーーーーっとその訓練を押しつける大人たち。将来才能が開くのかね?な~いない。その分野に関しては才能ないんだから。そういう分野なんだから。でもそこが見極められずに(あきらめられずに)いつまでもねじりはちまきで子どもを追い詰める。そりゃダメだわ。

じゃどうするの?

その子の自我が育って「これをやりたい!!」というまでひたすら待つ。
言い換えれば、この世のほとんどの分野は、子どもの成長と好奇心に合わせて始めれば十分に習得し、その道を究めて行けるってことではないかな。

・・・な~んて偉そうなことを書いている、他ならぬウチ(いや僕)も「もしや・・・?もしかしたら・・・?」と思っていた時期があり、ずいぶんと子どもに辛い思いをさせたちまったなあ、と今頃になって反省しきりの還暦である。

*ちなみに、昨日と今日は将棋名人戦の第一局(僕は典型的な「見る将」です)。AbemaTVを見ながらふと最近読んだ本の内容を思い出したので。

手書き写しの効用②

出会った言葉:
……白川静(1910~2006)は、古代の甲冑文字や金文をひたすら書き写すことで、文字の成り立ちのみならず、底に隠された古代中国の人々の文化や思想まで解明していったという。写経もそうだが、書き写すという作業は、文字と文章、意味と思想を理解する上で不可欠のプロセスなのかもしれない。
(江利川春雄著『受験英語と日本人―入試問題と参考書からみる英語学習史』pp183-184、研究社)

引用文は、終戦直後、紙不足の時代の勉強方法を紹介した章から。渡部昇一さんもほぼ同じ方法で英語の参考書を全文書き写し、それが原因で目を悪くしたという話が出てきます。

ちなみに本書のプロローグは「受験英語の巨星・伊藤和夫」で伊藤先生の生涯をその功績とともに紹介しているのですが、その表紙の写真(50代ぐらいかな)が、忌野清志郎に似ていると思った(僕だけかな?)。

手書き写しの効用 - 金融翻訳者の日記