金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

寝て居ても団扇のうごく親心 :7月9日に出会った言葉

(1)2020年7月9日  
その時点で話題になっていることを「ネタ」にするにしても、ビートたけしは必ずそれを自分の「視点」を通して表現する。本当に面白いのは彼の「視点」で「ネタ」ではない。ここに「芸」の正体がある。「ネタ」は真似できても、「芸」は真似できない。
(楠木健著『室内生活 スローで過剰な読書論』晶文社p292)
*本日の言葉:逆説的ですが、そこに(明示的には)説明されていないことを学び取るには真似しかないのかもしれないと思いました。僕たちの世界で言えば、ひたすら書き写すと言うことかなと。 

(2)2019年7月9日  
「始末」とは、文字通り「始まり」と「終わり」のことである。それは物の始まりと終わりに自分で責任を持つことだ。 堀畑裕之
(「折々のことば」 本日付朝日新聞
*「責任」というと「責任を取る」という言葉と結びつきがちで、何か事が起こったときにその罪を償う的なニュアンスで使われることが多いと思う。
それも「責任」の一つだけれど、今日の折々のことばを読んで、責任とはむしろ「始末をつける」、日常生活の中で、約束したことを最後までやりきるという意味合いの方が強いよなあ、と思った。「人の振り見て我が振り直せ」と思う今日この頃。

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(3)2018年7月9日  
是枝は、山田(太一)の「思い出づくり。」が「大学時代に観たドラマでいちばん好き」と語る・・・(中略)・・・
山田が描くのは「家族だからわかりあえる」ではなく「家族だからわからない」だった。是枝は『映画を撮りながら考えたこと』でそう分析する。そしてこう続ける。「『かけがえがないけど、やっかいだ』。その両面を描くことが、ホームドラマに追ってはとても重要だと考えています」
(石飛徳樹「ひもとく 是枝映画の源流 「複雑な現実を複雑なまま」」昨日付朝日新聞読書欄より)

(4)2017年7月9日
(『第四 折々のうた大岡信 岩波新書 p80)
「お腹いっぱいになった?」アタマを撫でられるような、懐かしいこの響き クミコ
(「折々のことば」7月4日付朝日新聞

日本経済新聞「春秋」にも見つかりました。

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