金融翻訳者の日記

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「言論の自由への制限」:出会った言葉(2,3年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(115)

(1)2年前の今日
①   ジャーナリズムは「範例」であり続けることが重要な存在意義である。
*山腰修三さんは、慶応大学准教授(ジャーナリズム論、政治社会学
(「山腰修三のメディア私評」2019年11月15日付朝日新聞
② 「暴力的な言葉を投げつけるのは、相手の顔を殴るようなもので、どちらも同じ暴力です」
マルクス・ガブリエル(哲学者・ボン大学教授) 
(『未来への大分岐』マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン著、p144)。
*①は本日の朝日新聞から。「批判」や「告発」を誰もが出来る時代になった今、ジャーナリズムには、それを根拠づける説明責任が求められているという趣旨の発言のうちの一言だ。

②は、今のインターネットは交通規則のない高速道路のようなものなのだから、「交通ルールが必要だ」との主張の流れ。そうなると当然「言論の自由」とのバランスをどう取るか、が問題になる。ガブリエルさんは、「アメリカ版の言論の自由には問題があります。言論の自由にも、厳しい制限があってしかるべきなのです」(同書P144)と断言した後で引用文が来る。

言論の自由への制限は、交通ルールほどわかりやすくはない。それは第1に、無法な行為がなされたとしても「事故」や「被害」が我々の目にはっきりとは見えないからであり、第2に、国家権力による言論統制に結びつきかねないからだ。

けれどもインターネット上の表現を、それを見聞きする者たちの自己責任に帰するだけでは問題があると僕は思う。飲食物を食べて食中毒になったら買った人が悪い、というわけにはいかない(だから賞味期限や消費期限の表示など各種の規制がある)のと同じだろう。

ではどういう「規制」があり得るのか?それは今のところわかりません(ガブリエルさんは、プロのジャーナリストが役員会に入るまで、フェイスブックツイッターは閉鎖すべきだと言っている)。でも、「ポスト真実」的な文化がはびこり、「フェイクニュース」が氾濫する今の時代状況をみると、面倒くさいけど何か知恵を出さないと、とんでもないことに発展していくような気がしてならない。

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(2)3年前の今日
「100歳という年齢はなかなか不思議でね。誕生日が来るまでは考えてもみなかったけどね、朝が来て夜が来て、また朝が来る。その繰り返しが人生だと思っていた。そして順番が来たら死んでいく。それで終わり、と。でも、この順番というものの裏側に何か意味があるんじゃないか、と今は思い始めているんだ」―― 橋下忍
(「時代進むほど 庶民に悪い世の中に――橋下忍 脚本の原点」2018年11月15日付朝日新聞 文化・文芸欄)