翻訳家 村井章子さんの日本語を読んでいると、極めて堅い論文の中に
(以下は『大暴落1929』と『資本主義と自由』から(うろ覚えで書いているので正確ではないかもしれません))
「お店」
「・・・と思しめす」
「・・・なるものを」
「まずお目にかかれない」
「さしもの〇〇も・・・」
「だがそんなことは学者の先生が考えればよろしい」
「引きも切らずに」
「濡れ手で粟をもくろむ」
「向こう三軒両隣」
といった、経済論文というよりもむしろ向田邦子のエッセイにでも出てきそうな表現がサラッと入っていて何の違和感もないどころか、文章に味わいを追加している。
これ、凡人が形だけ真似しようとすると「嫌み」以外の何者でもありません。何度も何度も何度も何度も意識的に読んだり書いたりしないと身につかん。
こういうのを英語とセットで読むと、技術とは感性=「技は心」と思ってしまいます。