金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

隠蔽体質について

最近思わず笑っちゃったテレビコメンテーターのひと言。「東電に事態の改善を期待しても駄目ですよ。あそこはお役人体質が相当残っていますから・・・・もう国が乗り出さないと」。

東日本大震災後の東京電力の「隠蔽体質」を批判する声は多い。私も東京電力が色々と隠していたことが事実ならそれを批判、糾弾すべきだと思う。

しかし。

そもそも組織には「隠蔽体質」=自己防衛本能が備わっていて、危機に陥ると組織を上げて自らの恥を隠そうとするのは、自然あるいは健全なことではないだろうか?

人気番組の「半沢直樹」で金融庁検査を前にして「疎開資料」という言葉が何度も出てくる。今回の物語の中心は、香川照之を中心とする巨悪に堺雅人が挑むという構図なので取り上げられていないが、検査が来るから資料を疎開させるということ事態は(あの物語の中では)容認されている。いやむしろ組織を守るための「当たり前の行為」として描かれている。

だれもこのドラマの、この点を批判する人はいない。

今を去ること16年前、当時勤めていた会社が総会や疑獄で大揺れとなった時に私のいた部署にも地検の査察が入った。その時は我々課長クラスが組織横断的に連絡を取り合って、様々な資料を「疎開」させたものである。自分の勤めている会社のために。私の知っている動機のP君なんかは、地検の捜査員があれこれ探しているわずか数十メートル先で資料をシュレッダーにかけていた。私も当時の専務のメモ帳(予定表)を自分のロッカーにしまっておいた。

もちろんそれらがバレれば社会的な糾弾を受けるべき事だと思う。

しかし隠蔽体質そのものを糾弾しても何も生まれない。それは東京電力だけの問題ではないからだ。マスコミだって自社の社員の不祥事は隠す。

危機に陥った組織は押し並べて本当の事を言わない。一番の恥は隠すという前提で周囲が接するというのが正しい周囲の非難の仕方、接し方ではないかと思う。

「内と外」(組織の危機時に身内からド嫌われる三つのタイプ) - 金融翻訳者の日記