金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

FX取引に対する僕の考え

拾った言葉:「パチンコ、パチスロは適度に楽しむ遊びです。のめり込みに注意しましょう」本日の新聞折り込みに入っていたパチスロ店の広告に書いてあった警告文。

これを見てつくづく思ったのは、FX取引に関する広告になぜもっと厳しい制約を課さないのだろう?ということ。

FX取引における「レバレッジ」とは借金のこと。元手10万円で20万円の取引をできるとはつまり、10万円を借金して取引しているのと同じである。そしてドル円の取引は完全にゼロサム=たとえば、ドル円取引では、ドルを持った人も円を持った人も両方儲かることはあり得ない。また為替は長期的には何らかの均衡点に達すると言われているが、何が決め手になるのかの結論は出ていない。短期的には、例えば「なぜ昨日円高ドル安に動いたのか」について後付けの説明はできたとしても、為替が「明日、あるいは来週までどう動くのかはわからない」というのは専門家の多くが認めるとおり。

要するに、為替取引は、短期的には丁半バクチと本質的に変わらない。

したがって、個人がレバレッジの効いたFX取引をするということは、

他人から金を借りて丁半バクチをすることと本質的に同じである。

僕はそう考えている。

10年以上の営業活動(?)の成果

昨日の夕方は某社の編集者の方と食事。

名前の出なかった(翻訳協力者としては出た)最初の訳書を担当していただいて以来、Lさんとの付き合いは12年になる。「付き合い」と書いたが、Lさんの本職は書籍ではなく雑誌だったこともあり、訳書が出る度に私の方から書籍を送りつけたり、年に1~2度はこちらから「近況報告」したりという「一方的な関係」に近かったかも。返事は来ることも来ないこともあったが、こちらは彼を「恩人」だと思っていたので気にせず「経過報告」をし続けた。時に私の訳書を彼の雑誌で簡単に紹介してくれたこともあった。

そのLさんから3年ぶりぐらいかな、「久しぶりにお茶でもいかが?」とメールが入ったのが一昨日。僕が「昼間は都心に出にくいので夕方の方が融通利きやすい」と返事すると、「なら明日(つまり昨日)西葛西で夕飯を」ということになり、急遽私が親しくしているフレンチで会食となった。Lさん某誌の編集長にご出世とのこと。

「ついては翻訳をお願いできますか・・・?」「え?!・・・もちろん、私でよければ」「ああ、よかった・・・そうそう忘れないうちに・・・、もう原稿持ってきているんです・・・これを鈴木さんの無理のないスケジュールでお願いできますでしょうか?データが必要であればあとでPDFお送りします・・・」 

メールが来た時からちょっとは期待していたお話だった。最初はトライアルみたいなものらしいが、喜んでお受けした。ここから先は僕の努力と実力が計られる世界だ。ただ、何とか彼の役に立ちたいという気持ちも同じくらい強い。微力ながら新編集長を支えてご恩に報いたい。

10年以上のやりとりを経た末のご発注。こういう形で少しずつ仕事が広がっていけば、と思います。

 

 

「ちょっと前のアタシ、ナイス!」

「ちょっと前のアタシ、ナイス!」と妻がニコニコしていた。「何ですか、それ?」

「今日ね、朝から洗濯、掃除、ゴミ出し、生協への発注、請求書書きをてきぱき、ほぼ同時に進められたのよ」「ほ~それはそれは」
「でもね、それをしているときは、結構夢中で、しばらく時間がたってから分かるわけ」
「何が・・・?」
「いろいろな用事が終わって出かけるじゃない・・・・で、帰ってきた時に思うわけ。『あ~、いつもなら面倒だと思っていた洗濯も、掃除ももう終わってるんだわ。ちょっと前のアタシ、ナイス!』って」「なるほど」
「そう思えるようになった家事って結構楽しいのよ。マルチタスクなので、いつの間にか色々工夫もしてるし」
「でもそれって家事だけのことじゃないだろう」「そうよね、何でもそうね」
「『ちょっと前のアタシ、ナイス!』いい言葉聞いたな」
「でもこれはお父さんに当てはまらないからね」「え?」
「あなたはもう仕事を止めなきゃいけないんだから、お父さんが『さっきのアタシ、ナイス!』なんて考え始めたらまた自分を追い込んじゃうじゃん」

どうもそうかも。

・・・というわけで、本日も皆さんにとって素晴らしい1日になりますように!

生まれて初めて席を譲られた話

一昨日のこと。叔母の通夜に参列した後だから、午後9時くらいだったかな。

東西線日本橋駅でかなり混み合っている電車に乗り込み、通路の奥まで動いて荷物を棚に乗せようかなと思ってゴソゴソやっていたら「どうぞ」との声。年の頃30ぐらいだろうか、スポーツマンタイプの男性が立ち上がった。

「あれ?」と思って私は自分の隣か後ろに妊婦かご老人でもいないかと周りを見渡しましたよ。でもそれらしい人は見当たらない。あれあれ?と思ってその若者を再び見ると、私の目を見て「どうぞ、お座り下さい」

俺様のことだったんだ――――――――!

一瞬の躊躇の後、「ありがとうございます」と言って座ったんだが、いや~あのときの気持ちは何とも一言では形容できないですねえ。

「そんなことをしてたらしかられますよ」と子どもをたしなめるお母さんから初めて「おじちゃん」と呼ばれたのは大学3年生の時だった。

電話営業でお客様のところに挨拶に行った際、「あら、電話の声より若いじゃない・・・(一瞬喜んだ)・・・40代?」と言われてその夜やけ酒を飲んだのは24歳の時である。

一昨日のショックはそれ以上でした。いつか来る、その来るべき時が僕の想定していたよりも10年早く来た感じ・・・。

その時の私の身なりは、喪服の上にコート、帽子をかぶり、マスクをしていました。ということはこの若者は私の立ち居振る舞いや姿勢を見て僕に席を譲ろうと思ったのだろう。

まず自分を重ねたのは、1997年に試合途中で交代を告げられた時に「え?おれ?おれ?」と答えた三浦知良選手。あ、あのときの三浦さんはこういう気持ちだったんだ!と(不遜にも)思いました。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2542962.html

次に思い出したのは、先日目にした朝日新聞の「声」欄。お年寄りに席を譲ろうとした中学生がそのご老人から怒鳴られて本当につらかったという話が話題になったのだが(その投稿に対する賛否両論が特集されていた)、私は自分が席を譲られて初めて、その時に怒鳴ったご老人の気持ちが少し分かった気がした。ただ、目の前の若者が親切心で席を譲ってくれたのは間違いなく、そう思えばこそ「俺はまだそんな年寄りじゃねーぞ!」という反発心が沸いたとしても、それを彼にぶつけるのは筋違い、失礼だ。僕の心の中では感謝の気持ちの方が強かった。

西葛西駅についてそろそろ降りようとすると、その若者には降りる気配がない。立ち上がりざま「ご親切にありがとうございました」と頭を下げて席を立った。

2日経ってやっと立ち直ったところ。今日から気持ちを新たに頑張ります(何を?)

「ディープでコアな講演会」ー 大森望×山形浩生 「ディストピアSFの系譜」

昨日は夕方まで仕事。5時に納品した後に下北沢へ。数々のラーメン屋の誘惑を振り切りカレー屋に入る。会場は駅からすぐ近くだが細い道を入ったところ。催し物があるとの看板がないと、つい通り過ぎそうな入り口から階段を上った2階にある、目立たない書店。棚は全部手作りか、他の用途で使っている箱。天井の配管がそのまま見える。いかにも「ディープ」な本屋さんでその催しは開かれた。

 

大森望×山形浩生

ディストピアSFの系譜」

『すばらしい新世界』『動物農場』刊行記念

 

開演30分前に店についたらすぐ受付が始まる。飲み物チケットをもらう。「お飲み物はこちらでご注文ください」。前の人の真似をして「生ビール」。書店で生ビールいいのかしら、と思いながら、「本日は満席でご予約のない方は・・・」という店員の方の声を背にしてプラスチック・カップに入った生ビールを抱えて店奥の会場へ。

 

会場は店奥の、普段はバー(飲み物を飲みながら本を読める)として使われる100平米ぐらいのスペースに丸いすがビッシリ。60人分ぐらいかな。前から3列目。始まった時に後ろを振り返ったら会場は「立錐の余地がない」と形容できるぐらいビッシリで「途中でトイレに行きたくなったらどうしよう?」と余計なことが心配になった。

 

女性が数えるほど(3~4人?)しかいなかったのも、登壇者が二人の翻訳者である会にしては珍しいと思った。

 

トランプ大統領当選とその後のAlternative factsからの話の大枠は知っていた。またその関連で『1984』が売れたことはは承知しており、『1984』も大昔に読んでいたから何とかついていけものの、そもそも参加しようと思った動機は内容ではなく登壇者に対する興味だけで事前勉強ゼロだったこともあり、それ以外の、例えば「伊藤ケイカクが・・・」「ディストピアとエバンゲリオンの・・・」「ライトノベルディストピア・・・」「・・さんの訴訟で・・・」等々、2時間続いた(SF)出版裏話的雑談の半分ぐらいはわかりませんでしたが、お好きな方が聞いたらシビれるような内容だったのではないかしら。

 

参加者の多くはコアのファンらしく、訳知り顔で多くの人たちがうなずいているのを見て「なにこれ?」と最初は思ったものの、途中で山形さんが「え~っとあれ、誰だっけ、++++訳した人・・・名前が出ない」と言ったら間髪空けずに「LLです」と複数の声が上がったのを見て、「ああ、ここに集まった人たちは上のような話の行間をちゃんと読んでわかっているのだ。こりゃ本物だ」と思った。中味にはついていけなかったけれども、全体的な雰囲気は明るい、優しい雰囲気の「雑談会」で、行って良かったと思った(何となく楽しくてあっという間に時間がすぎた。ビール飲んだにもかかわらずトイレにも行きたくならなかったのにはホッとした)。

 

終了後にサイン会。僕は『動物農場』(山形さん訳)と『現代SF観光局』(大森さん著)を店内で購入してサインをもらった。山形さんの奥さんが2年前に訳した本の編集担当者だったので、彼女宛に簡単な手紙と『Q思考』を添えた紙袋を用意し、サインしてもらっているタイミングで「実は不躾なお願いが・・・」と事情を話すと、山形さん、「ああ、わかりました」と受け取ってもらえたのにはホッとした。大森さんには「同じ町内でございます」「それはそれは」「私は1丁目ですが、大森さんは・・・?」「僕は2丁目で、・・・後ろのマンションが仕事場なんです」という会話。

 

山形さんの本は『21世紀の資本』のみ、今翻訳筋トレで読み進めており、大森さんの本は『特盛!SF翻訳講座』しか読んだことがなかったのだが、お二人の人柄に触れた後だろうか、読者としてファンになるかな、と思った。コンサートに行くとその歌手のファンになる心理に似ているかも。

 

とまあ、中味に立ち入った感想が書けず情けない感想文でスミマセン。

「文科省の天下り問題」で思い出したこと(2017年1月)

思い出したこと①
昨日のラジオ番組で高橋洋一さんが「高級官僚はそのままでは民間では使えない」と話した根拠の一つが、「官僚は権限を握って割り振るのが仕事だからどうしても上から目線になる。この姿勢が身についちゃっているので民間に普通に就職しても無理」という話をしていた。

私の友人には高級官僚もいて、人間的に素晴らしい人々もいるので必ずしもそうだとも思わないが、この話を聞いて思い出したことがある。

まだ20代のころ、あるプロジェクトを組織横断的に企画することになって、資金をさまざまな企業から集めようということになった。それぞれが「いったいどうしようか?それぞれの先輩頼ろうか・・・やっぱり総務部に当たって砕けろ?」なーんて話し合っていたら友人のL君が一言、

「それは・・・業界団体に出向いて趣旨を話せばそこが窓口になってバタバタと決まるんじゃないかな」

一同「・・・」

L君以外の全員一瞬唖然とするも、L君には何の悪気もないし、しかもL君は普段からとても腰の低い、しかも心の温かい、何でも率先して汗をかく人だったので、その意見を正面から批判する人はいなかった。

ちょっと気まずい雰囲気もあり、L君も「あれ・・・(何かまずいこと言ったかな?)」という表情になった。

「確かにそれも一案ですが、そのアプローチはちょっと難しい・・・というか、たぶん通らないと思います」で終わった。

L君はいわゆるキャリア官僚だったんだ。

思い出したこと②
文科省があっせんを始めた時、だれもが「いつか絶対バレる」と思ったはずなのね。でも誰かがやらなければいけない。

何かあったときに世間からゴウゴウの非難を浴びてくれる人はだれだ?と人捜しをする中で白羽の矢が立ったんじゃないかな。そしてご本人も「愛する我が社のために、いざとなったら私が泥水をすすりましょう」と始めたのではないか?

文科省人事課OBのSさん、かなりいい人じゃないかな?人望もそうとう厚いのでは?
月2日で年収1千万がけしからん?

外形的にはともかく、年収2~3千万の人の紹介・斡旋を年に何人もやって、しかもいつか時限爆弾が爆発するリスクを自ら背負ってやってたんだから、ある程度当然じゃないかなあ。いや、安いくらいかも。ご本人の立場からすれば、たかが1千万でそんな重い仕事を背負っているんだから

人助け(ボランティア)の気持ちというのは、本心ではないだろうか。

以前にも書いたことあるけど、前に自分が勤めていた会社が大スキャンダルにまみれたとき、部長クラスの方が逮捕されて日経新聞の一面を飾ったのだけれど、その人は能力的にも、人格的にも社内でとっても尊敬されていて、でも役員にはなれなかった。そんな人だったから「泥かぶり」にはちょうどよかったのかも。本人も「会社のために」捕まったのね、多分(結局不起訴になったはずです)。逃げちゃった奴たくさんいたから、当時。

そんなこともあってついSさんに同情してしまう。

すんません。

翻訳の見直し

たった今、『アメリア』の2017年2月号、特集「翻訳スピードは上げられるのか?」をザッと読んだところ。

見直しをどう(効率よく?)しているのか?についてのコメントがなかったのは残念だった。アンケートはそういう趣旨ではなかったのかな?

もちろん、1回目の翻訳をいかに速く、ミスを少なく仕上げるのか?が最も重要なので、「翻訳スピードを上げるには?」と尋ねられれば、まずは1度目の翻訳のスピードを上げるには?と考えるのはわかる。

でもここで「翻訳スピード」を原文を受け取ってから納品するまでの時間、と考えると、(僕の場合)1回目の翻訳が終わるまでが一番時間がかかり、その次に時間がかかるのが見直しです。ソースクライアントの場合は1回目の翻訳の6割ぐらいの時間がかかる。

そういえば、「私はこういう観点から、こういう見直しをしている」という話を読んだことがない。

唯一この観点に一番近いのは、昨年の夏、村井章子さんが講演で話された「自分の歩留率を把握して見直せ」というアドバイスかなあ。