昨日の勉強会後の飲み会でのこと。
勉強会のテーマが「1968年」だったからかな、その流れで中等教育の目的てな話題になった。飲みながらこんな話になった、というか酔っ払った勢いでこんな話をぶった。
「『将来のリーダーを育てる』を教育目標にしている学校は進学校を中心に多いし、教育雑誌などを読むと校長先生や理事長の挨拶にもよく見かける。
しかし、
①ほとんどの生徒たちはリーダーにならないはずなのだから、そのための教育をする必要ってあるのか?そんなことをする暇があったら、相手の気持ちを思いやる教育、友達や仲間の存在を認め合いながら仲良くしていく教育の方がずっと意味があるのではないか?(これはかつて読んだ内田樹さんからの受け売り)
②「リーダーになるための教育」って、一定集団がすでにあることが前提になっている。すでにある企業に「就職する」「入る」ことが前提になっている。もっといえば、その集団の「上」に乗っかった時の教育だ。
でも、今世界でイノベーションを起こしている企業は、ほとんど一人、または2,3人からはじまっているのでは?
少人数で起業して大きくなっていくために必要な教育の第一は「リーダーシップ教育ではない」はずではないか。将来人数が増えてくれば「リーダー」は必要になる「かも」しれないが、それは組織が大きくなっていく中で必要な資質が養われていくはずで、学校教育であらかじめ仕込む内容とは違うのではないか?
③そもそも今後の組織にいわゆるexplicitな「リーダー」は必要なのか?(ここは『ティール組織』を念頭に置いている:6月の月例会は僕が発表することになっている)」
そうしたら、勉強会メンバーのNさん(超大手企業の人事部で研修等を御担当)が、
「あ~確かに。でもそれって大企業における人事研修制度を根本から見直せってことですよね。あ~どうすりゃいいんだろう?」
ちょっと問題提起になったかも。