金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「発想の違い?」(日英翻訳のPMをしていてふと気がついたこと)(2014年1月)

今、「日本語→英語」(以下「日英」)翻訳のQAをして、いつもの通り質問をネイティブ担当者に投げたところ。

日英はネイティブ担当者が訳し私がQAをする体制。日英の時には単語の選択というよりもそもそも書かれている内容(思想やロジック)を英語でそのまま表現できるのか(してよいのか)?が毎回大きな問題となって、この部分で日本人的発想から抜けきれないことが僕が単独での日英翻訳をあきらめた理由の一つでもある(もちろん、語彙や表現力の貧弱さやスピードの遅さはある)。

ところがだ。

僕が英日の翻訳をしたり、英日のQAをしているときに、「そもそも英語で書かれている内容(思想やロジック)を日本語でそのまま表現できるのか(してよいのか)?」という点を意識したことがない。

もちろん、「こういう言い方を日本語でする、しない」は常についてまわるがそういうことではない。

その理由は何なんだろう・・・?と仕事をしながら気になり始めてしまった。

考えられる理由。
1.日本人は、元々西洋のものを有り難く受け入れてきた歴史があるので、「英語でこういうロジックがあったら」それが元々の日本語にあってもなくてもそのまま受け入れてしまうmindsetになっている。だからいちいち英語で書かれているロジックに反論しない。「あ~そういうものか」と思ってしまう。

2.実はそのロジックの調整を無意識のうちに英日でもやっているのだが、それを意識する必要がなかった。何しろ僕はネイティブではない人が訳した英日翻訳を読んだことがない。もしかしたら日本語の得意なアメリカ人が訳した英和翻訳を読むとそういうロジックの違いを意識するのかもしれない。

3.その他。。。
うーむ。
*ちなみに今請け負っている仕事は取締役会規程に近い内容なので上のような問題は起きていない。揉める(?)のは筆者の主観が入る経済エッセイの類です。
さ、仕事に戻ります。今から英和