今日の「翻訳ストレッチ」で『父の詫び状』(向田邦子)を読み終えた。
多分3回目だと思うが、その「あとがき」を読んでいて彼女は3年にわたったこの連載エッセイの少なくとも最初の方は、左手で書いていたことを思いだした。
雑誌のエッセイなのでタイトルや長さは決まっていたのだろうが、エッセイにしては息が長い、とか、子どもの頃の思い出、家族(特に父親)との思い出が多い人だなあ、などという感想を持ったのもそういう事情があったのかしら、などと3回目なのに感心してしまった。
先日ある先輩(某社の監査役を退いて3ヵ月)と会ったおり、「これからはどんどん色々な本を読むぞ~」と言っていたが(元々読書好きで有名だった)、私の場合は、どちらかと言うとこれから新しい本をどんどん読むと言うよりも、同じ本を何度も読む方向に行くような気がする。
その意味で、これからも本棚をどんどん縮小していくつもりです。
そうそう、もう一つ気がついたこと。
この本の解説は沢木耕太郎さんなのだが、私の音読は向田さんの「あとがき」につづけてそのまま「解説」に移ったのだけれど(タイマーをつけておいて5分で切ります)、沢木さんの文章も向田さんの文章と調子や読後感が変わらないのが面白いと思った。
その本文と解説が同じ調子だと思ったのは山本夏彦さんのエッセイ集の時もそうで、解説の人は違えど文体は山本さんみたいになっていた。
解説書くために何度も読むんで、やっぱり相当影響されるんだなあ、と。
もっとも私もそれを期待して毎日音読をつづけているのだけれど。
あ、タイマー(10分)なったのでこの辺で止めておきます。
皆様今日もよい一日を!
(後記)このあと2回読み終えています(2021年10月2日記)