首相は「そもそも」の意味を引く前に・・・
首相は「そもそも」の意味を引く暇があったら、まず「李下に冠を正さず」の意味を辞書で引くべきだった。
安倍さんは、そもそも特区ができた時点で「誠に申し訳ないが、私の首相在任期間中、加計学園は特区には申請できない」と理事長に頭を下げてあきらめてもらうか、加計学園が特区に申請してきたら、自分が理事長の親友であり、萩生田さんが利害関係者であることを発表した上で議長を降り、萩生田さんを担当から外していればこんなことにならなかった。
昔には通ったかもしれない政治家の利権など今は通用しないんだ。
そんなことすらわからない世間知らずのお坊ちゃん。自分のことしか考えてない。国のことなんかなーんにも考えていない。
この国にとって本当に、本当に不幸だ。
前川前文科省事務次官の記者会見の雑感(2)
前川さんが彼らに与えた最大の打撃
前川前文部科学省次官、記者会見で最も重要なこと
ことが明らかになった点ではないだろうか。
2時間、100人近く(?)のマスコミ人の前にさらされ続けるということは、能力と人間性が隠しようもなくさらけ出されてしまうと思います。おそらく、あの記者会見場にいたほとんどの記者(産経も読売も含めて)が、程度の差はあれ感動し、「この人は信用できる」と思ったのではないか?そうでなければ、受賞記念とかお祝いではなく、どちらかというと事件性のありそうなあの手の記者会見の終了時に拍手が沸き起こるということはなかったのではないかな(僕は記者会見を全部見たのは初めてなので、その辺はよくわかりませんが)。
すでに報道されている部分以外で気がついた点。
・「(国家戦略特区会議の決定に反対しなかった)結果として文科省(つまり自分)は加担した、と言われてもやむを得ない」
「在職中に声を上げられなかったことは誤りだった(とはいえ、声を上げていても最後は政治判断だったので結果は変わらなかったと思う、という見立ても質疑応答の中で示しています)」
「(総理のご意向文書を流したのか?という質問に対して)その問題にはコメントできない」といった自らの非や反省点を認めながら、すべての質問に誠実に答えていた。言い逃れようとか、ごまかそうといったソブリは一切見えなかった。信念を語っていると思った。
・松木文部大臣、義家副大臣に対して「本当にご苦労されている。その中で(ああいう対応が)精いっぱいだったと思う」といたわりの言葉を述べていた。
・萩牛田官房副長官のメモを書いた課長補佐について、「おそらく私がよく知っている人物で、非常に優秀で信頼できる。その彼(彼女?)が聞き間違いや、勘違いをするはずがない」とどこかの大臣とは全然ちがって、きちんと評価していた。あの課長補佐は一生前川さんを尊敬すると思う。
・マスコミ全員を前に「第4の権力であるはずのメディアが危機的状況にあるのではないか?」と読売だけでなくNHKも名指しして苦言を呈した。
・司会者もうまかった。「時間が来たので質問の機会をここまでにしたい。今ご質問のある方は手を上げて下さい。全員お立ち下さい」と言って全員に質問させた(個人会員もいたのにはビックリ)。
・すべての質疑応答が終わった後で、司会者から最後の言葉をうながされ、「個人の尊厳」「国民主権」という自らの書いた色紙(?)を掲げて、役人であるからこそ個人の尊厳を持って仕事をしてほしい。役人も主権者の一人である、という姿勢を忘れないでほしい、と言った前川さんの発言を見て泣いた文科省職員は多かったのではないか?
是非皆さんもご覧下さい。
最初から最後までの視聴を強く、強くお勧めします。
For Disclosure:『李下に冠』以前の問題
僕が理解できないのは、
首相直轄の国家戦略特区の対象として加計学園が申請してきたら、首相、閣僚および内閣府の職員は「自分はここの理事長とこういう関係にある」という情報開示を審査や検討に入る「前に」明確に宣言して、あるいは文書にして発表するのが当然だと思うのだが、なぜそれをしなかったのか?という点だ(森友学園の件であれば「首相は知らなかった」はあったかもしれない)。
その上で、首相あるいは閣僚であれば、「自分はこの会の議長である。しかしながらこの申請者の理事長とこういう親密な関係にあるので、本件に限って私は一切かかわらず、代わりに〇〇副首相に全面的に権限委譲する。情報も受けない」と宣言するはずなのだ。
こんなことは上場企業の役員だったら当然だし、例えば欧米の雑誌などを読むと、記者だって、たしかFor disclosureという前書きをつけて、「自分は〇〇年から〇〇年までこの会社から報酬を受けていたことがある」と書くのが常識だと思う。
内閣およびその周辺には上場企業の広報もいるし、外国留学帰りもいるから、当然そんなことを知っているはず。もっとハッキリ言おう。
小学生でもわかる理屈である。
それがなされていないのだとしたら(国会で後になってから追及されているということは、どうもそういうものはないらしい)、文書保存の問題と同じで、職務と利益相反、情報開示に関するルールが内閣にない、ということになり、これはこれでかなり重大かつ深刻な問題だと思う。
さらに次の点を指摘しておきたい。
①今回の国会で明らかになった森友学園、加計学園、TBS元記者不逮捕問題の発覚とその後の経緯を見ていると、これらは、普通の常識ある人間が眺めたら、どこからどう見ても「依怙贔屓」に見える。
②安倍政権が「依怙贔屓ではない」、「公正だ」、「一点の曇りもない」と主張するのであれば、正々堂々と、第三者機関に調査させて野党の言い分が「言いがかりだ」と反証すればよい。それをしない以上、非常に怪しい。
野党がなぜ国会で首相に「李下に冠を正さず」の意味を(「そもそも」のついでに)辞書で調べよと言わなかったのか、僕は不思議である。
③ そして、そういう公私混同政権が、治安維持法を連想させるような法律を、そういう恐れが「ない」のならないという丁寧な説明をすることもなく、能力がなく、努力もしない無責任な法務大臣に担当させて、運用面の縛りもほとんどかけずに強行採決で通してしまったことに僕は心から怒りを覚えている。
「どうせバレな(い)」ければいいのか(2017年6月)
「最近 盛んに報道されているので、加計孝太郎氏と安倍首相の関係は承知している」(萩生田官房副長官)
昔の政治家にも国民をバカにした奴はいたはず。そしてそういう奴は淘汰されていた(と信じたい)。
ただ、昔はそれ(国民をバカにしているの)が国民から見えなかった。
今は見えちゃう。ウソもすぐばれちゃう。
縦横斜め、過去から現在まで、あなたが言ったこと、したこと、あんた方が今していることがよ~く見えるようになった。
政治家は国家国民のために、やむを得ずウソをつかなけれならないこともあるだろう。世間にはそれを批判しつつも理解し、受け入れる度量はあると思う。
でも、自分の保身や自分のお友だちを利するためにウソをついちゃおしまいだ。政治家として、そして人として。
そして、「どうせバレない」と高をくくっている。
国民をバカにしている。本当は自分がバカなのに。
無能な人間が、私利私欲に基づいて国を動かし、国民を馬鹿にしている。
だから許せないんだ。
そして人はだれでも、自分がバカにされたことを忘れないものだ。
そのことを彼らは、たぶんわかっていない。
(後記)5年前の投稿ですが、甘かったな。彼らは「バレても平気だ」と思っている。そして「国民はそのうち忘れる」と。
馬鹿にしてると思います(2022年6月17日)。