金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

英文を通じて教養を身につけ、学習意欲を高められる本:『英文読解のナビゲーター』(翻訳ストレッチの教材から)

奥井潔著『英文読解のナビゲーター』(研究社)の本領は、語句、文法、構文解説、訳文の後(または合間)に発揮される。たとえば第10章のテーマは「独創性とは?」で、英語の原文の前に、著者の「前説」がある。

(引用ここから)
この本の「はじめに」の中で、私は行間に隠れている意味にも時には立ち入って考えてみようと申しました。そのためにも一行一行の文構造をもつかめないようではそれは論外のことだとも付言しました。次の英文は行間に隠れている意味を読まねばならない好例であります。(引用ここまで)(奥井潔著『英文読解のナビゲーター』(研究社)p87)

そして、次の英文が続く。

I claim no originality for them, or even for the words in which I have put them((my thouthts). I am like a tramp who has rigged himself up as best he could with a pair of trousers from a charitable farmer’s wife, a coat off a scarecrow, odd boots out of a dustbin, and a hat that he has found in the road. They are just shreds and patches, but he has fitted himself in to them pretty comfortably and, uncomely as they may be, he finds that they suit him well enough. When he passes a gentleman in a smart blue suit, a new hat and well-polished shoes, he thinks he looks very grand, but he is not so sure that in that neat and respectable attire he would be nearly so much at his ease as in his own rags and tatters.

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その後、一文ごとに語句や構文の解説が続いて[全訳]で本章が終わるわけだが、[全訳]の前に奥井さんによる次のような解説が入る。

(引用ここから)
自分の思想も文体も何ら独創性などないと謙遜して、自分の思想も文章も全部、他人からのもらいもの、借り物であることを乞食にたとえ、その乞食の服装にことよせて説明してるこの文章が、実は自分の思想と文体の独創性を言外に誇示している文章であることが読み取れたでしょうか。文章の要は、この乞食(筆者である作家)が、すべてもらい物であるズボンに、上着に、靴に、帽子に自分の身体をぴったりと合わせて、いかにも乞食らしく着こなしてしまった、そしてこれが自分にはいちばんお似合いだと信じていると言い切っていることにあります。もらいものをすべて自分のものとなしおわせて、この服装が自分にはいちばんよい、これ以外の服装は考えられない、と豪語していることにあります。

こと思想・文芸の世界においては真の独創性などは皆無に等しいと言ってもよいのです。天の下に新しい言葉などは見出しようはなく、いかなる思想も既に、先人によって考えられ表現されていると言ってよい。私たちはただ乞食のように先人たちから思想や言葉を借り、もらうことができるだけなのですが、しかしその数多くの借り物を、自分の身体に合わせて自分らしく着こなして使うことはできる。自分らしい言葉の組合せや思想の組合せを作り出してこれを表現することはできましょう。もはやそれらがもらいもの、借り物とは見えなくなるほどの、いかにも自分らしい組合わせを作り出すことはできましょう。思想・文芸の世界では、これをなしとげることをoriginalityと呼んでいるのです。……これは借り物だ、ここはもらいものだとはっきりわかるような下手な着方や表現の仕方を恐らく模倣とか剽窃とか呼んでいるのであります。

これはサマセット・モームの文章ですが、この作家が自分の文体と思想の独自性に対して持っている自負心が一見謙遜を装っているこの文章の行間に隠れているのであります。(引用ここまで)(奥井潔著『英文読解のナビゲーター』(研究社)p91)

英文解釈の参考書で、本文の言わんとするところをここまでかみ砕いてくれる本は他にないと思います。奥井さんが「サマセット・モームの文章」と書いてくれたので検索したところ、この文章はThe Summing Up(要約すると)と第66章の最終段落であることがわかりました(日本語訳は本書、または行方昭夫訳『サミング・アップ』(岩波文庫)p298を参照ください)。

本書にはすべての英文に、短いもので数行、長いもので1ページ以上におよぶこの手の解説がついている。英文を読みながらこういう教養を学べるのがこの本の独創というか特徴だと思う。僕が駿台予備校に通っていた頃、奥井さんの授業に必ず入る「解説」(僕らは「雑談」と呼んでいた)が聞きたくてカセットレコーダーを持ち込んで授業に参加し、雑談部分だけを録音して編集したものです。

伊藤和夫さん的な構文分析はありません。恐らく英文も奥井さんが一流を言われる大学の入試問題から個人的に気に入ったもの、学生(10代後半)の人生に役に立ちそうだと判断した文章を選び、内容からテーマごとに分類・編集した本と推測します。出所も恐らく調べていない。この文章をモームだと断言したのは、奥井さんがこの文章をたまたまご存知だったから(実際、駿台予備校ではモームの作品を中心とする「choice」というテキストを長年担当されていました)だと思われる。

したがって、本書はこれ1冊を読み上げたからこういう文法事項が身についたとか、こういう構文の理解が進む、という体系的な組立には鳴っていない。ただ「英語を通して教養を身につけよう」とか「英語を深く学ぼう!」という気を起こさせてくれる良書だと思います。

往年の奥井ファンには、当時の教室を彷彿とさせる、痺れるような本です。よろしければどうぞ。

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(後記)英語講師のMichiさんという方がYoutubeで奥井先生の講演を公開しておられます。僕が受講したころより10年以上後の声ですが、ググッと想い出しますね。第5回まであるうち、第3回のテーマはWork とLabor。Michiさんのご指摘通り、本書の最終章の内容を紹介しています。それは仕事の内容/質ではなく、それに携わる人の気持ちで決まる、と奥井さんは言う。
PlayerとWorkerとLaborer。
WorkerとLaborerにとってのLeisureの意味合いについての語り。
我々にとっての仕事とは何かを改めて考えさせてくれる名講義です(他の回もどうぞ)。

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