(1)2020年6月26日
今までの日本の社会は、心の傷を隠すことを美徳にしてきた。……悲しみや苦しみを表現することははしたないこととされた。まして、傷ついた人に対する「心のケア」を考えることなど思いもよらないことであった。だが、阪神大震災や地下鉄サリン事件をきっかけに社会も変わりつつあるのかもしれない。
(「自著を語るー『心の傷を癒やすということ』(1996年4月25日発表)」安克昌著『新増補版 心の傷を癒やすと言うこと』作品社(2020年1月)所従(P284))
*引用文はNHKのドラマを見て感動して購入した原作の書籍から。数日に一回、少しずつかみしめるように読んでいます。心の傷は見えないので我慢していると外からは分かりにくい。「無理に我慢しなくていいんだよ」という時代になったのだろうと思います。
(2)2019年6月26日
(A) ……芸人が奔放さで売った世は過ぎ、昨今のタレントはモラルの担い手であることを求められる。(「春秋」2019年6月26日付日本経済新聞)
(B) 人の感情は優しくて残酷。グロテスクなものだと漫才師(爆笑問題・太田光)は言う。芸能は音楽と同じく……人を救いもするが傷つけもする。芸能は教科書にあるような「単純な綺麗事(きれいごと)」をはみ出る部分を引き受ける。そこに蓋をしたら終わりだと。(「折々のことば」 2019年5月13日付朝日新聞)
*太田さんは、芸人の反社会的行動はオーケーだと言っているのではない。「綺麗事をはみ出た」人々のどす黒い感情や気持ちに触れて、芸事として表現せよと言っているのではないかな?品行方正になったり、道徳を語ったりするのは俺たちの仕事じゃないだろう、と。
(3)2019年6月26日
政治には計算がつきものであるが、つきあいに計算はいらぬ。渡辺京二
(「折々のことば」より 2018年6月24日付朝日新聞)
(4)2017年6月26日
「負けました」と言って頭を下げられない子は、強くなれません。
(谷川浩司元名人の講演会で。日本経済新聞教育欄「挑む」(日付不詳))