金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

長寿銭

昨日は、先週亡くなった妻の祖母の葬儀だった。

介護施設に入って4年。享年105歳の大往生だったので、参集者は(妻の母を含む)娘たち4姉妹と親族のみ30名ほど。ひ孫は、妻と妻の妹の子どもたちだけが参列した。

悲しみの中にもどこかホッとした、落ち着いた雰囲気の漂う中で式は滞りなく、静かに進行した。葬儀その他の儀式がすべて終わり、解散直前になった頃、義母(妻の母親)がうちの子たち(一番下が大学3年の、全員いい大人です)を呼び集めて、「はいこれ。ひいおばあちゃんから」と言って何やら封筒を手渡している。見ると「長寿銭 〇子」の字。しかもひ孫一人一人に「〇〇様」と宛名まで書いてある。筆ペンではないかな。

「ひいおばあちゃんがね、『私はここまで長生きできました。みんなもいつまでも元気でいてね』ってお小遣いを残してくれたんだよ」と言っている。

その封筒の字を見た妻が「あ、これおばあちゃんの字だ」と言った。

亡くなった祖母夫妻(祖父は30年前に他界)は二世代住宅で義父母と一緒に暮らしており、妻と義妹はいわゆるおばあちゃん子だった。しかも色鉛筆とペンで書いた直筆の絵入り年賀状も送ってくれていたので、妻は祖母の仕草も字もよ~く知っているのだ。

「そうよ。おばあちゃん、施設に入ってしばらくして自分でこの封筒を用意して、お金を入れてしまっていたそうなの」と義母。「自分の気がしっかりしているうちにと思って書いたんだろうねえ」。

もう危ないとの連絡があり妻が義妹と介護施設に駆けつけたのが先々週のはじめぐらい。ところが、誰もが予想する「危篤状態」とはちがって、介護施設の食堂の椅子にきちんと腰掛けて、職員の方と一緒に待っていてくれたらしい。一瞬拍子抜けしたものの安心もし、それでも認知症も進んで目はうつろで、妻が手をさすって「おばあちゃん」と呼びかけると「〇〇ちゃん(妻のこと)」と返してくれたのが、どうも最期の一言だった模様である。家族と祖母で撮った記念写真を持って帰ってきた。危篤状態の人とはとても思えないしっかりしたお婆さんがそこにはいた。

帰宅してから「ああ、おばあちゃんに『じゃあね、また来るね』じゃなくて、『今までありがとうね』と言うべきだったわ」と泣きそうになる妻に、「まだ生きているのに『今までありがとう』はないだろう。『じゃあね、また来るね』が正解だったんだよ」と言ったら納得していた。そうして1週間後にその時が来た。

僕は結婚してから年に1度か2度は妻の実家に行っていたので、施設に入る直前まで自分の食事はもちろん、祖母夫婦の部屋の掃除、二世代分の洗濯をしっかりこなし、お盆と正月の家族揃っての食事会でも、介護施設に入った年の正月にも顔を出して日本酒を軽くたしなんでいた祖母のことをよく覚えている。とは言え何年たっても妻の実家での僕は「お客様」扱いで、僕から見た祖母の距離感はそれほど近くなく、あくまでも「妻のおばあちゃん」。そういう気持ちがずっと続いていたからだろうか、祖母の逝去も葬儀も冷静に「親戚の目」で見ていたが、この「長寿銭」の文字に妻が気づいた時は、さすがにグッと来た。