金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

訳文を暗記する②(使える表現と、使いづらい表現)

翻訳書の中から「参考になりそうだな」と思った訳文を、原文と一緒にメモして残している翻訳者の皆さんは多いと思う。

その作業自体には意味がある。しかしそれをノートにして残しておいても、意外と役に立たないのではないか、というのが僕の実感である。

その理由の一番大きな理由は、その訳語、または訳文が周辺の1,2文で収まりきらない文脈によって定まっているので、部分だけ切り取っても後で振り返った時にポイントがつかみにくくなっている、という点にある。

「鋭い訳」「美しい訳」は、前後関係があるからこそ光っているのであって、前後関係がないと、あとで振り返った時に非常にわかりにくくなることが多い。逆に言うと、文脈を無視してその表現だけを真似しようとしても、暗記用文書としてはあまり使えない。以前「マッチ率はナンセンス」(下記参照)で「翻訳メモリ」の限界として説明したのとまさに同じ理屈がここに当てはまるのだ。

そういう点からすると、大学入試問題や英文解釈の参考書で「抜き出されている」英文は、比較的少ない段落でまとまった主張なりストーリーであることが多い(稀にその文章の背景が説明された上で引用される英文もあるが、ここでは無視する)。したがって前後関係がなくても引用カ所だけで内容が分かるものが選ばれているので英文解釈や翻訳の練習になるし、そこに使えそうな表現が見つかれば(もちろんその一文だけではなく)、そこに抜き出された文章をそのまま抜き出す限りでは、かなり使いやすいのだ。

冒頭で、訳書等で見つけた訳文は使いづらいと書いたけれども、例外はある。例えば僕は『絶望を希望に変える経済学』の原文と訳文を、1ページ目からずっとノートに書き写し続けている。1年半かかって現在は(訳書の)97/497ページまで来た。その中で、「将来どこかで使えそうだな」「自分では思いつかないな」と思った表現は「抜き書き」するのではなく、原文と日本語の周りを赤線で囲んでいる(ノートの余白には目立つように、その表現を抜き書きする、といった工夫はしている)。実はこれが結構役に立っているのだ。仕事で英文を訳していて「あれ?」と思った時にノートをめくると、その「シャレた表現」を文脈の中で確認できる。その表現がどういう場合に使えて、使いづらいかもわかりやすい。

ただ書き写していれば何かが身につくだろうと思い、それ以上の期待を抱かずに始めた作業ではあるけれども、100枚(200ページ)の大学ノート2冊めまで続けてきて、実はその蓄積が他の翻訳に生きるのではないか、と感じ始めている。

それが実感です。

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