金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

僕が和英翻訳をあきらめた理由①「文法的には合っているけど(この文脈では)絶対言わない」ことを見分ける難しさ(2012年10月25日)

「文法的には合っているけど(この文脈では)絶対言わない」っていう文章。今、それをネイティブ担当者と直す仕事(というかコンペの準備)をしています。

コンペとは言えそれは私にとってのコンペ(トライアル)なのであって、担当してくれるネイティブ翻訳者には通常レートで報酬を払っているので完全な持ち出しなんだけど(私自身が「トライアルなので安くして!」とか言われるのは嫌いなので自分が発注する場合は絶対そういう思いをして欲しくないとおもっている)。

コンペの内容は2つあり、一つは(1)和文英訳、もう一つは(2)ネイティブチェック後の英文の校正である。

私は基本的に和文英訳を自分ではやらない。上場会社とか金融機関から英訳の仕事を請け負った場合には、まずネイティブ担当者に訳してもらってそのQA(金融の英文和訳の翻訳者としての立場からの品質管理)とお客様への「翻訳係」(何故そういう英文になったのかの説明係)のみをやっています。

元々は私が英語にしたものをその担当者にネイティブ・チェックしてもらっていたのだけれど、あるとき(5年くらい前)にあまりに大量な物が来たので最初にその担当者にやってもらって私がQAをしたら仕上がりが全然違うことに気がついたのだ。

私が訳した英文をネイティブチェックした英文 と
ネイティブ翻訳した英文を私が英和翻訳者として品質管理した英文
では後者の方が断然よいことに気がついたからだ。

ポイントは
「文法的には合っているけど(この文脈では)絶対言わない」
なんだけども、これには2つの意味がある。
(1)この英文は文法的には合っているけど(この文脈では)こういう言い方をしない
(2)この英文は文法的には合っているけどネイティブはそもそもこの文脈でこんなメッセージを発しない(そもそも訳すべきではない、あるいは別の場所に持っていくべき)。

(2)が私の能力を超えるのだ。今の私ではできない、ということ。

(1)は英語能力の問題で、これもこれで大変難しく僕が1年ほど前まで感じていた点だが、たまたまある仕事を昨年受けた時に(2)の点に気付いてしまって以来僕には書き起こしの英文は作ることをあきらめた。

(2)は言語の問題ではなく文化の問題なので、理屈だけで言えば、原文である日本語を見た時に日本語だけでできるはずんだんだ。

ところがこの問題は、日本人が日本人のために日本語で書いた文章を、英語のネイティブスピーカーがアメリカ人の読者に向けて自然の(英語らしい英語)にしようとたときに初めて認識できる類いのものなのだ。・・・英和で考えるとスッとわかるでしょ

「このシチュエーションあるいは文脈で日本人はこういう意味の発言をしない」ということ。対処の仕方としては、そもそも言わない(訳さない)か、別の場所に持っていくしかないのだ。ここがネイティブの真骨頂であり、かなり英語の勉強をしてきた僕の今の限界。だからやらないんです、和英翻訳を。

で、私の仕事は金融の専門家として出来上がった英文の表現について日本語のメッセージとの整合性をチェックするとともに、(2)についてネイティブ担当者と徹底的に議論し、何故ここで訳さなかったのか、何故この英文を別の場所に持っていくのか、の説明をお客様にする役割を負うようになったわけです。

で、今そのコンペに参加しようとして、(恐らく日本人が訳し)、ネイティブ・チェックが終わり、堂々と公開されている英文の校正の最終チェックと解説文を書いているわけです。

ちなみに今回はコンペなので、40文ほどのすべての英文に、何故ここをこう直したかの説明を施しています。

(後記)
9年前に書いた文章ですが、実はこの4年後(つまり今から5年前)に次の書き込みもしています。基本スタンスは変わっていません(2021年10月25日記)

tbest.hatenablog.com