金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「人は意味もなく他人を不愉快にする権利はない」:出会った言葉(2年前~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(82)

(1)2年前の今日
「人は意味もなく他人を不愉快にする権利はない」という一節に出会った。この言葉に深く感動し、今に至るまで人をイヤな気持ちにする言動はしない、といのが私の行動規範になった。
(鈴木幸一 私の履歴書「楽しい集団生活 音楽に関心 革命歌も歌う 本を乱読、行動規範に出合う」2019年10月4日付日本経済新聞
*本日の言葉、私には(けっこう、キツく)刺さった。

僕は必要があると思って他人の耳に痛いと思うことを意識的に言うことがある。我が身を振り返るとずっとそうだった。自分が正しいと信じたことをそのまま伝えるのがよいこと、という考え方でずっと来たけど、そのあまりに自分の気がつかないところで他人に嫌な思いをさせているのだろうなあと考えるようにもなりはじめた。時たま他人から(主に妻から)指摘されてもきた。以前なら「何言ってやがる!」と反発していたが、ああそういう意味だったのかと、自分なりにわかったような気もしてきた。年をとったからだろうか。

同じことを言うにしても、もっと言い方を考えないと。50を過ぎると(というか60が近いと)なかなか自分を変えられないと言いますが、ここは変えたい。反省しなければならないと思う日々です。 

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(2)3年前の今日
私は、人間社会の深いところに「正義」の観念はあると思うが、それを振りかざすことは嫌悪する。それはたちまち不寛容になり、それでは議論も何も成り立たなくなる。
佐伯啓思「 新潮45」問題と休刊 せめて論議の場は寛容に 「新潮45」問題と休刊 せめて論議の場は寛容に 「異論のススメ」2018年10月5日付朝日新聞

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(3)4年前の今日
好きなことに限りなく近いところで暮らすということは、抵抗しまくることだ。山下陽光
(2017年10月5日付朝日新聞「折々のことば」より)