金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

エライとかエラクナイとかいうことは、他人が決めること―高峰秀子さん:8月23日に出会った言葉

(1)2020年8月23日  
だいたい、エライとかエラクナイとかいうことは、他人が決めることで、自分が決めることではない。私は女優という職業柄、ずいぶん大勢の人間を見てきたけれど、人間は本当に偉くなってしまうと、もろもろの虚飾やゼイ肉が蒸発して、地金だけが底光りしてくる。
高峰秀子著『わたしの渡世日記』(上)(新潮文庫)p176)
*言葉や態度のはしばしに「俺様はエライ」「アタシはすごい」ということをプンプンに匂わせる話や文章って実に気持ち悪いですね。ああそうだ、国会で「この中で一番エライのは私ですから」とおっしゃった頓馬な首相もいましたっけ。「私の履歴書」でもそういう方を、最近はよく見かける気がする。卑近な例では、「自分は大御所である」「自分はベテランである」ということを明示的に書いたり言ったりする人を見かける。ああいう生き方はしたくないなあと見る度読む度に思います、俺様は。

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(2)2019年8月23日  
① 「直感は経験によって変わるもの」「経験とは失敗を繰り返すこと。今はすぐにスマホで調べたりマニュアルに頼ったり。AIに依存している」(篠原幸広/東大大学院教授)。本来は、直感を磨いて良い思考をすることが大事なのに、ないがしろにされていると。「AIに頼って直観を与えてもらい、自分の直感とずれていてもAIが言うのだから正しいという判断になる。それを繰り返せば、自分の直感は変わり、次第にAIと自分の直感が合致していく。
(「ひっぱられる 直感までも」2019年8月23日付朝日新聞文化・文芸欄)

言語化し数値化し測定し数理モデル化するということは、つまり「無理にかたづける」ことなのです。かたづける腕力を持つのと同時に、そこで豊かさが失われることの痛みを知っている人だけが、一流の科学者や、技術者たりうるのだと思います。
(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』p156、新井紀子著 東洋経済新報社

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*平たく言えば、便利になればなるほど失われるものがある。そのことを意識しておこう、ということか。しかし今は、その意識そのものが自分の見ているもの読んでいるものに左右されがちだ、ということも意識しなければならない、ということかな。それを防ぐには、やはりデジタルデドックスしかないかも。

(3)2018年8月23日  
皇居のお庭は、我々の庭に比べればうんと広いけれど、両陛下が自由にいられる場所があそこだけだとしたら、狭いと感じました。
(画家 安藤光男「人生の贈り物」2018年8月23日付朝日新聞

(4)2017年8月23日  
見えるものをそのまま写し取るのはとてもいいことだが、記憶の中に留まったものを描く方がもっといい。エドガー・ドガ
(2017年8月18日付け 朝日新聞「折々のことば」より)
*昨日「すみだ北斎美術館」で北斎のたどった足跡を絵と文章で追いながら、先日メモっておいた言葉を思い出しました。