金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

山口香さんの姿勢を支持します:東京オリンピックの開催に反対。ただし参加した選手たちには喝采を送りたい②

山口さんの立場とご意見に共感し、賛同します。

科学者の大半が否定的な意見の中で合理的な説明なしに開催された東京オリンピックは開催されるべきではなかった。しかし頑張った参加選手達を応援し讃えるのは当然だと思います。

以下はあくまでも空想の話。

今はXXXX年の1月で、3月に受験シーズンが迫っている。ここに一人の大学受験生がいたとする。中学受験、高校受験を経て昨年不合格となって、予備校で1年間頑張ってきた。

1月といえばもう、コンディションを整える時期で、本番に向けて集中力を高めている頃だろう。

新型ウイルスによって「大学受験中止論」が巻き起こる。今年は大学受験を中止する代わりに、全受験生をくじ引きにすべきだという有力な案が出される。受験生が大量移動すれば人流が増え、感染者が拡大するかもしれないからだ。そして政界、文部科学省、教育界、受験産業界、PTA団体等喧喧がくがくの議論が出される。科学者の専門家集団が「普通なら、やらない」と国会で発言する。

にもかかわらず首相は、自分の受験時代の思い出だけを根拠に、合理的な理由を何も提示せず、「受験生が可哀相だ」というお涙頂戴だけの理由で強引に今年の大学受験を強行した、とする。

さて、ここで問題だ。

あなたは、その受験生に向かって、「君は一人の受験生である前に、一人の市民として今年の大学受験実施に反対すべきだ(った)」「反対の声を上げるべきだった」
あるいは、

「一人の受験生である前に、一人の市民として、せめて君は受験を棄権すべきだ」。

と言えるだろうか。

あるいは、試験日の当日、試験会場に向かう受験生に向かって
「このような状況下で強行される試験を受けようという君は一人の市民としての義務を果たしていない」

と批判できるのだろうか。

ここでオリンピックに話を戻す。

僕は東京オリンピックの開催に反対だったし今も反対だ。にもかかわらず、日本国民の過半数の意見を無視する形で東京オリンピックは強行されてしまった。

そうした時に、本番の1~2年前ならともかく(そもそもこれは現実的ではないが)、1,2カ月直前でコンディション調整をしている当事者たる選手に向かって、東京オリンピック開催の是非についての判断を問うたり、参加した選手を非難することは酷すぎる。

僕はこういう環境下で大会に向けて準備をし、参加し闘った選手たちを応援する(した)し、その頑張りには精いっぱいの拍手を送りたいと思う。

彼らの頑張りは「不幸中の幸い」だったのだから。

news.yahoo.co.jp

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