金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

千里の道も一歩から(「金融翻訳者とは?」:2013年の記事原稿)

以下は、2013年の年末に某翻訳者向け雑誌に書いた金融翻訳者を紹介する記事。ただしこれは僕が出版社に提出した原稿で、その後編集されたはずです(残念だが手元に雑誌が残っていない)。8年経っているという点を割り引いてお読みいただければ、まだ参考になる箇所はあるかも。

(以下引用)

1.金融翻訳にはどんなジャンルがあるか
「金融」の対象範囲は幅広く、銀行、証券、保険会社等の取り扱う社内外の情報、平たく言えば「日本経済新聞」から政治/社会/文化/スポーツ面を除いた範囲と言った方がわかりやすいかも。速報性の高い文書が多いため納期は比較的短め。高い専門知識と「今起きていること」に対する感度が必要。読者も業界内のプロ向けから一般読者向けまで様々なので、読者層に応じた用語や言い回しの選択が求められる。

文書の例:年次報告書、市場レポート、学術論文、目論見書、商品説明書、財務諸表、投資家向け説明資料、社内マニュアル、各種プレスリリースなどの開示資料等々。 

2 実務翻訳の仕事の流れを教えてください
① クライアントから翻訳会社が受注
② 翻訳者の選定・発注
ソースクライアントの場合、この①の段階でお客様が翻訳者を選んでいることになる。翻訳の内容、予算、納期等を確認の上、翻訳者からクライアントに見積もりを提出、発注、受注確認で翻訳作業の開始となる。
・年度替わり(12月、3月)などに翌年度の予算や計画が策定される。その中で自分が(あるいは他の翻訳会社や翻訳者が)どの役割を果たすのかが決まるので、おおよそ翌年の大きなスケジュールを把握できる。
・上記の定常業務以外にも臨時の仕事が入る場合も少なくない。ソースクライアントが個人翻訳者に発注する、ということはお客様の期待が翻訳会社に対するものとは異なる。つまり「顔の見える」翻訳者を信頼して、指名してくれるわけだ。しかも多くの翻訳者リストを持っているわけではないので、自分(個人)が断るとお客様に迷惑をかける可能性が高くなる(翻訳会社に注文を出すことになるが、翻訳者の顔が見えないのでお客様が不安になる)。翻訳者の立場からすると、したがってソースクライアントからの仕事は断りにくい。ソースクライアントの単価は翻訳会社の2倍程度だが、だからと言ってソースクライアントばかりが増えると自分の首を絞めることになり、結果としてお客様にも迷惑をかける可能性が高まるので要注意。
③ 翻訳作業
翻訳者からクライアント/翻訳会社に疑問点や不足資料を問い合わせながら翻訳作業を進める。
④ 翻訳者から翻訳会社へ納品
⑤ チェック、編集作業
相手がソースクライアントの場合、この④と⑤を翻訳者自身が行うことになる。完成品をイメージしたやり取りとなるので、必然的にソースクライアントとのコミュニケーションが蜜になる。
*原稿の執筆者や商品の担当者とのコミュニケーションを通じて翻訳を仕上げることもある。コミュニケーションの結果原文が変わることもある。
⑥ クライアントへ納品

3 先輩翻訳者から志望者へのメッセージ
翻訳者になるまで(自己紹介)
1984年から証券会社に勤務していました。転職を経て2002年に体調を崩したため勤めていた会社を辞めて少し「休憩」することに。元々独立志向が強く、英語関連の仕事を専門にしたいと思っていたので、この退職を、以前から憧れていたものの踏ん切れなかった「翻訳」に取り組む良い機会ではないかと思い、「1~2年でダメだったらサラリーマンに戻る」という期間限定で勉強を始めたのが、「この道」に入ったきっかけです。

契約書の翻訳の勉強から始め半年は勉強だけ。その後翻訳会社のトライアルを受け始めました。最初は全然ダメでしたが少しずつ合格率も上がり、独立して1年ほどたった頃から2社から継続的にオファーが来るようになりました。分野は元々契約書が稼げると思って勉強していました。ところが3年たってみたらほとんど金融関連の仕事になっていました。様々な仕事が私を通過していく中でいつの間にか金融だけが残っていた、というのが実感です。

自信がつくまでは自ら知り合いに紹介をお願いしないと決めていたのですが、「鈴木が翻訳をしているらしい」という情報(噂話?)は知人の間に徐々に浸透していったようで、知人の紹介等の形でソースクライアントのお客様も少しずつ増えていきました。また金融機関は社員の転職が頻繁で、転職された某社の担当者が移った先でお客様になるという例もありました。今が12年目です。

レート(単価)について
翻訳会社のレートは分野によって大きく変わるというよりも、翻訳者の能力によって大きく変わるのではないでしょうか?翻訳会社のレートは12円~20円ぐらいまで。一方ソースクライアント(金融機関)は25円~35円が中心だと思われる。専門性が高いと50円以上になることもある(以上いずれも原文ベース)。

フリー翻訳者には適性がある
実務翻訳を手掛けるからには各分野での専門知識が必要なのは言うまでもありません。が、10年以上この仕事を続けてきて実感するのは、フリーの翻訳者には性格的な「向き」「不向き」があるということです。簡単に言えば、「朝から晩までだれとも会わず、1週間~10日ぐらい寝る、食べる、食事、トイレ、風呂以外はずっと翻訳をしていても平気である」と言い切れるかどうか。ノーであれば他の仕事を探しましょう。最近はSNSの交流会や勉強会が多いので状況が変わってきていると思いますが、5年ほどぐらい前までは、翻訳者の宴会に行くと「家族以外と話すのは2週間ぶり」「そもそも人と会うのが10日ぶり」という会話が普通になされていました。基本はそういう世界だとお考えいただいて間違いないと思います。ここまでをお読みになって「わ~素敵な世界!」と思ったあなた、有望ですぞ!

専門が先?語学が先?
私の知る限り、実務翻訳者のほとんどは、これまでの人生のどこかの段階で「英語オタク」になった時期があるようです。私の場合は大学2年~4年までがそうで、かの松本道弘氏に憧れ、日本に住みながら、しかもなるべく金をかけずに自分を極力英語環境に浸らせるという、ストイックかつある意味ナンセンスな(?)生活を半年ぐらい送ったこともあります。将来何らかの形で英語関連の仕事で食っていきたいと思っていました。

証券会社に入ったのは、海外の、しかも大都市に行ける可能性が高いというセコイ動機でした(総合商社も考えましたが未開の地(?)に飛ばされそうな印象を持っていてしり込みしました(恥))。以来20年近く証券業界に身を投じていましたので、この業界で使われる言葉に「土地勘」はあると思います。もっとも、私は(こと金融に関しては)実務経験があった方が有利だけれども、それがないと無理だとは断定できません。私の最も尊敬するさる翻訳者の方は仏文出身で金融機関にお勤めの経験がゼロにもかかわらず、この道(金融)の専門家にとってすら難解な金融関連書籍をバンバン訳しています。努力に勝る天才なしだと思います。

積極的に自分を売り込む
「何社にトライアルを受けたらよいでしょうか?」という質問を受けることがあります。私の答えは「受けられるだけ受けましょう。受け続けましょう」です。特に新人の翻訳者の場合、いくら自分の技術を磨いても仕事は空から降ってきません。したがって自ら動いて仕事を取りに行くという姿勢がまず大事です。

今まで営業など経験がない?ご心配なく。だれでも最初は初心者です。電話応対、メールのやり取り、トライアル・・・等々最初は思うように行かないかも知れません。失敗すれば嫌な思いもするでしょう。しかし、何事も経験しなければ前に進まないのです。たとえば本誌の巻末をご覧ください。翻訳会社はいくらでもあります。1つや2つ(あるいは10や20!?)上手く行かなくても、「失敗こそが次への糧」だと考え、「当たって砕けろ」の精神でどんどん応募しましょう。

サークルやオフ会に参加する
本書にも紹介されているでしょうが、日本翻訳連盟(JTF)(http://www.jtf.jp/)や日本翻訳者協会(JAT)(http://jat.org/ja/)といった業界団体から、フェイスブックツイッター等々、翻訳者が仲間と高め合う機会は10年前には考えられなかったほど増えています。こうしたサークルのオフ会等で先輩方の意見を聞いて、非会員でも参加できるJTF主催の「翻訳祭」の懇親会に出席して名刺を配りまくりましょう。そういう継続的な努力は必ずいつか実を結ぶと思います。

最後に
翻訳を始めて1年くらいたった頃、ある本で偶然出会って衝撃を受け、勇気付けられ、そして今でも私を奮い立たせてくれる昭和の大作家、故松本清張氏の次の言葉をご紹介して本稿を終わることとします。「作家の条件とは、才能ではないんだ。原稿用紙を置いた机の前に、どれくらい長くすわっていられるかというその忍耐力さ」。お互いにがんばりましょう。

「素人さん」「アマチュア」「ひよっこ」「駆け出し」 - 金融翻訳者の日記

金融・証券(『JTFほんやく検定 公式問題集』に寄稿) - 金融翻訳者の日記