金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

浦和高校合唱部事始め

今は、高校の男声合唱団はほとんどないのではないか。

僕が高校時代(1976年4月~1979年3月)は、崇徳高校という100名強の軍団が毎年全国大会の常連だった。関東以北の県立高にはまだ別学が残っていて、確か福島高校や会津高校も当時は男声合唱で全国に出ていたはず(例年福島勢は男女を問わずレベルが高い)。埼玉県内では川越高校が強かった。

当時、混声合唱の指導をされていたM先生(今もご健在です)がW高校(県で銀賞レベル)から転任されてきて他の部からの強烈な引き抜きで(音楽の授業が終わると目を付けた生徒を音楽準備室に呼び込んで「もちろん、他の部との掛け持ちでかまわんよ~」とか「合唱部に入ったら音楽の成績は気にせんでいいからな」とかとか言いくるめて)30名ぐらい生徒を集めて、初めてまともな合唱部ができたのが1976年の4月。部員のほとんどはサッカー部や陸上部、山岳部、ワンダーフォーゲル部、卓球部等ほかの部とのかけもちだった。M先生の戦略(?)はみごと成功し、多くの生徒がそのうちに合唱部一本になっていった(最初卓球部に入っていた僕もその一人)。最初の目標はステージに立つこと。次の目標は「川越高校に追いつき追い越せ」だったっけ。

当時すでに全国常連(金賞取りまくり)の浦和一女音楽部の皆さんには、完全に馬鹿にされまくってました(仕草や表情でわかりますがね)。その後40年近くたって、朝日コンクールで全国1位を獲るなんて、夢にも思いませんでした。