出会った言葉:
人から居場所を奪うことは簡単である。だが、失われた居場所は決して人から与えられて得られるわけではない。いかに理不尽に居場所を奪われた人であっても、その居場所は自分の手で取り戻さなくてはならないのである。
(「阪神大震災は人々の心をどう変えたか」『心の傷を癒やすということ』p322、安克昌著、作品社)
安さんは空間的な居場所と心理的居場所の話をしており、引用文は心理的な居場所についてのコメント。その直前(同じページ)に
「心理的な居場所とは、他者から受け入れられ、しかも他者から侵害されず、そこにいることが安全に感じられるような環境である。安全な対人関係があって、ある集団や地域社会(コミュニティ)の中で自分の位置が確保されているということである。
と言っている。安さんは、詰まるところ他人による「心のケア」には限界があって、あるところから先は本人の努力に任せるしかないと(他の箇所で)言っている。周囲はその環境をある程度つくることができるが、そこに自分の場所を確保するのはあくまでも本人なのだ、と。
実に、実に難しい問題なのだけれど、被災地にコミュニティを復興していく際には、この居場所の問題を「考えていかなければならない」と安さんは主張する。あきらめてはいけないのだ、と。