金融翻訳者の日記

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

教科としての国語=「文学」なのか(2020年1月)

出会った言葉:
アメリカには「英語は母語なのだから、自然に身につく」という先入観がない。
(「新井紀子のメディア私評」2020年1月10日付朝日新聞

 本日の言葉は、OECD経済協力開発機構)の実施する「PISA」という試験で日本の読解力が落ちたという記事を受けて、いつか新井先生が書かれるのではないかと思っていたら今日見つけた。

特に新井先生が注目したのは、日本の順位がついに移民大国のアメリカ以下に落ちた、という点。そして引用句に続く。日本では、日本語はできて当たり前という前提で国語教育が組み立てられているが、本当にそれでよいのか?という問題提示だ。

「記述式試験の答え合わせをする」とか、「口答の指示をメモする」といった(それ以外にも製品の取扱説明書などを読むことなど)「当たり前のこと」もできないのに、国語=文学と考えて、国語科から文学が消えると騒いでていいの?と彼女は言いたいのだろう。僕はお役所は嫌いだけれども、国語の選択科目を「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探求」に再編成するという今回の国語教育改革は正しい方向だと思う。

数カ月前の文芸誌は一斉にこれを批判し、日本経済新聞にも昨年「国語も「トリセツ」重視? 文章の海は豊かなのに」(2019年10月20日)という記事が載った。この記事は「たしかに読解力不足は深刻だが、いささか前のめりではないか。批判が噴出しているのも当然だろう」という一文で結ばれるが、僕はこの見方に反対だ。読解力不足は本当に深刻なのだ。文学と「国語」は違うのだ。きちんと日本語を読み書きできる教育に目を充て、日本文学を音楽や美術、工芸と同じ位置に置く時代が来たのだ、と捉えるべきだと思う。