金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

手数料の自由化に襲われた証券業界と機械翻訳に襲われつつある産業翻訳業界

今ふと思ったんだが、機械翻訳の進出を恐れている翻訳者集団は、手数料自由化を恐れていたかつての証券業界と似ている。取引手数料の自由化によって証券ブローカーの本当の付加価値は何かが改めて問われ、淘汰が進んだのだったなあ。

(以下は僕がN証券にいた20数年前の理解)
ブローカーは装置産業。だから安さと効率性(顧客から見たら便利に、安く)が最も重要。だから「装置部分」に特化すると、薄利多売にしないと商売にならん(儲からん)・・・これが基本観。
で、そうした時に池の中のクジラ証券はどうすべきか、という議論は前々からあった。
(1)もちろんそこに「おまけ」をつけてブローカーの客を引きつける作戦はあり。そのオマケが「対面営業」で、だから値下げはしない。同じ買うのでも「あの人から買いたい」と思わせる。仲介手数料にはその部分が含まれている。だから手数料が自由化になってもウチは下げない!
(2)仲介手数料以外のサービスとして対面を考える。装置部分は他の業者に任せる。あるいは自社でやるなら徹底的に効率化を図って手数料もどんどん下げる。そうして元々の「オマケ」だった付加価値を高めて別の商売にする→コンサルティング業。

当時は(1)を取っていったん(2)をいったんは捨てたはず。その後どうなったかというと、結局装置産業は効率化、低費用化に向かって中途半端な装置化しかしなかった会社や、中途半端な営業力に頼った会社は淘汰された(事の是非は置く)。そうした中でどうすべきかを今でも悩んでいるのではないかな(現場の方、20年以上前に現役だった人間の無責任な、勝手な観測でスミマセン)。
それと機械翻訳と翻訳者の関係に引き比べて考えてみようと思ったワケだ、ついさっきね。

(後記)2年前の本日、フェイスブックに書き込んだ内容です。分野によると断った上で(1)と(2)を一個人翻訳者に当てはめて考えると、

(1)は徹底的に機械翻訳に抵抗して廃業の道を選ぶか、全面的に受け入れてポストエディットに活路を見出す、あるいはもっと積極的にポストエディット界で新たな職人道を切り開いていく(ところで、機械が翻訳して人間がポストエディットした時に問題が生じた時の損害賠償問題って片がついているのだろうか)。

(2)は著者の主観や主張を述べる分野で道を切り開いていく。例えば文芸翻訳がそうだろうし、あるいは専門家(リンギスト)として、たとえば日本企業の外国人投資家向けのホームページ作成のコンサルティングをする(前から何度か書いていますように、日本企業の英文ホームページは、外国人投資家向け)。

何しろ、この30年で証券業界の勢力図がどう変わってきたかを振り返ると機械翻訳対翻訳業界の先を見るヒントになるかも、と思った次第です(2021年5月26日記)