金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「機械(ソフトウエア)ができることは機械にさせた」利益は顧客に還元しなくてよいのか?(2018年3月3日)

「機械(ソフトウエア)にできることは機械にさせる」という考え方には僕も反対しない。「てにをは」や誤字脱字のチェック、同じ用語を使わなければならないところにその用語を使う。長い単語の打ち込みを省略する、等々だ。

もちろんそれを機械にさせることで落ちる感覚や能力もあるとは思う。たとえば、本来の校閲で求められていた能力、助詞に対する感覚もそうかもしれない。辞書だって紙で引いたからこそ良い側面はあるはずだ(河野一郎先生なんかはまだそちら派)。

これはもうバランスの問題で、失われる能力よりも得られる利便性の方が高いから、たとえば私も校正ツールを使ったりするわけです。そこにカネをかけてもいる。

ただ昔は、100の仕事のうち5%を機械にさせて省力化していても100%の料金を請求できたけれども、5%が10になり20になり、30へと上がってきたらそんなことを言っていられなくなる。「機械ができなかった分しか払いません」というお客さまが出てくるだろう。

昔々、何かの本だかセミナーで、「これこれこういうソフトを使うとほらご覧、1時間で4000ワードができあがり」なんてのを読んで眉唾だなと思ったが、仮にそれが可能だったとしても、機械でやる分にもお客さまがお金を払っていたから(それは、そういう省力化もノウハウの一部だからという理由でお客さまにそういう方法で翻訳していますと言わないから)成り立っていた話。

僕には縁がないんだけど(すべて断っているから)、マッチ率なんてのはそういう流れではないかな。昔は不問にされていた、あれこれの省力化のノウハウ(のコスト)をお客さまに負担させて良いのか(翻訳者側だけが享受していてよいのか)?なーんて話がでてくるかもしれん。

(後記)これを書いてから5年。ここ1年ほどの機械翻訳の急速な(文字通り加速度的な)発展によって、翻訳の役割分担、料金体系が根本的に変わってくるような気がしている。(2023年3月3日記)