金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「日の名残り」(翻訳ストレッチの教材から)

昨日昼は、元の勤め先の上司Uさんと会食(要するにごちそうしてもらったわけです)。この方に前回お会いしたのは2年前。その間に発行された2冊の本を持っていく。20年前に私が課長だった時に取締役で今は引退されている。体育会系が圧倒的多数だった某社の、その中でも特に厳しかった営業集団の中で、紳士を貫いて(営業店の中だけで出世して)取締役に(最後は常務)なった希有な人だった。今もその品の良さは全く変わらない。

どうしても「あの人はどうなった」「この人はどうなった」という話になり、少なからぬ話題が、(私より4~5歳上から、Uさんの年齢ぐらいまでの先輩方の)誰それが病気になってもう危ないとか、大きな手術をしたとか、そんな話が多かった。僕より11歳上ということもあってしきりに「鈴木、健康だけは気をつけろ」と何度もくり替えした挙げ句に「まあ、僕も今日限りでタバコを止める」とおっしゃったのには笑った。そういう話が多くなるのは、Uさんが既に引退されているからなのだろう。同じ世代でも現役でいらっしゃる方々は今の話が中心になるもの。

たまたま昨日朝『日の名残り』を読了。3回目。1回目は日本語だけを読書として読んだが、あと2回は原文と日本語の音読。2回目が終わったのが2012年の9月7日、3回目が昨日。

Uさんと前回お会いしたのが2012年の8月だったから、その後に『日の名残り』の3回目を読み始め、読み終わったところで再会したことになる。あの人、この人、家族、ご自分のお話を伺っているうちに、『日の名残り』の最後の数ページのシーンとシンクロしてしまった。「今年の10月にもう1冊、来年の春頃に出たらまた連絡します」と言って別れたが、せっかくなので『日の名残り』の4回目が読み終わったらお訪ねしようかなとも思う。
(以下引用)
; for a great many people, the evening is the most enjoyable part of the day. ・・・たしかに、多くの人々にとりまして、夕方は一日でいちばん楽しめる時間なのかもしれません。 Perhaps, then, there is something to his advice that I should cease looking back so much, that I should adopt a more positive outlook and try to make the best of what remains of my day. では、後ろを振り向いてばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された時間を最大限楽しめるという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。
After all, what can we ever gain in forever looking back and blaming ourselves if your lives have not turned out quite as we might have wished? 人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみてもそれは詮無いことです。 The hard reality is, surely, that for the likes of you and I, there is little choice other than to leave our fate, ultimately, in the hands of those great gentlemen at the hub of this world who employ our services. 私どものような卑小な人間にとりまして、最終的には運命をご主人様の-この世界の中心におられる偉大な紳士淑女の-手に委ねる以外、あまり選択の余地があるとは思われません。それが冷厳なる現実というものではありますまいか。What is the point in worrying oneself too much about what one could or could not have done to control the course one's life took? あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれない-そう思うことはありましょう。しかし、それをいつまでも思い悩んでいても意味のないことです。Surely it is enough that the likes of you and I at least try to make our small contribution count for something true and worthy. 私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。 And if some of us are prepared to sacrifice much in life in order to pursue such aspirations, surely that is in itself, whatever the outcome, cause for pride and contentment. そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。
(引用終わりRemains of the day p244、『日の名残り』pp351-352)

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