直木賞『ホテルローヤル』(舞台はラブホテルだそうです)の作者桜木紫乃さんのご実家がラブホテルだったという話をテレビで見て、今朝の翻訳ストレッチで音読している『二十歳の火影』(宮本輝著、講談社文庫)とも合わせて、小説家の創造力には2種類あるのかなあと思った。
『苦役列車』(西村賢太著、新潮文庫)もそうだけれども、自分が経験してきたことを整理して書いていく創造力と、宮藤官九郎や宮部みゆきのように妄想力をバンバン膨らませて書いていく創造力と。
ある人が、「小説を書くことは大きい交差点の横断歩道を素っ裸で歩くようなもの」と書いていたけれど、それは前者の創造力かもしれない。人にはできればお墓まで持って行きたい秘密があって、普通はそれを明かさないのだが、敢えてそれを書く、敢えて言えば命を削りながら書く、みたいな。それが前者。「こうしたらオモシレーんじゃないの?こうして、こうしてこうなってさー」というのが後者、かな。
翻訳者(家)は題材があって、所詮他人の人生なのでちょっと違う。作曲家ではなくて演奏者。脚本家ではなくて役者。それはそれなりの創造力でしょうが、前者のような「命を削るような」創造力とは明らかに異なりますよね。
どっちが良いと言うことではなく、タイプという意味で。