金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「過酷な状況では普段にも増して技術が身を助ける」:6月23日に出会った言葉

(1)2023年6月23日
上のレベルの選手ほど、マンネリ的な作業をマンネリで終わらせない意識を持ち合わせている。(中略)明けても暮れても何かに打ち込めるのは強さであり、「それはマンネリかも」というのなら、マンネリは最高の娯楽です。
(「サッカー人として 三浦知良『こなす』に慣れる危険」2023年6月23日付日本経済新聞

(2)2019年6月23日  
……と、他人事のように書いたが、僕だってアイデアを人からほめられればうれしいし、けなされれば落ち込む。それは当然のことだ。
 それでも僕がプロトタイピングの道を選ぶのは、ギリギリまで頭ばかりを動かし、最終的にイマイチなアウトプットをするほうが、より「恥ずかしい」と感じるからだ。そんな「大ケガ」をするくらいなら、より早い段階で「ツッコミどころ満載なアウトプット」を自らさらしてしまい、「小さなケガ」を何度かする方が、はるかに増しではないか……「自尊心を守りたい人」「本当はとても臆病な人」にこそ、プロタイピングをおすすめしたいと思う。
(『直感と論理をつなぐ方法』p227 佐宗邦威著、ダイヤモンド社
*僕は書籍の場合、全部終わってからではなくて、章ごとに編集者の方にお見せしてフィードバックをもらいながら修正していく方法を採っている。これがよいのかな、と少しホッとした。

https://www.amazon.co.jp/dp/4478102856/

(3)2018年6月23日  
 どういう本を読んだらよかろうか、ということは、一般的には決められません。どういう女を口説いたらよかろうか、という、だれにも通用する標準などあるはずがないのと同じことです。口説く相手は、時と場合、その人によって違うでしょう。
・・・中略・・・
 私は、手当たり次第に本を読んで、長い時を過ごしてきました。そういうのを世の中では「乱読」というようです。「乱読」の弊 ― しかし、そんなことを私信じません。「乱読」は私の人生の一宇で、人生の一部は、機械の部品のように不都合だからとりかえるというような簡単なものではない。「乱読」の弊害などというものはなく、ただそのたのしみがあるのです。「手練手管」の公開、すなわち、わがたのしみの公開というこどでしょうか。
1962年9月30日 カナダのブリティッシュ・コロンビア大学にて  加藤周一
加藤周一『読書術』まえがきより。同時代ライブラリー、岩波書店
*この本、「高校生向きの読書論」(同書あとがきより)として書かれた本の前書きです。しかもカナダで。
「口説く」、「手練手管」、挙句の果てに「乱読」とは・・・う~む。今の時代、意味がわからない高校生少なくないかも。
今の時代にはあり得ない(許されない)古文書のような文章で思わず笑いました(ちなみに書籍の裏のメモによると、僕がこれを僕が読んだのは1994年6月5日とありますから、情けないながら、これを初めて読んだ当時の僕(34歳)は何の疑問も感じなかったかもしれません)

https://www.amazon.co.jp/dp/4002601390

(4)2017年6月23日 
過酷な状況では普段にも増して技術が身を助ける。
(「サッカー人として」三浦知良 本日付日経新聞 スポーツ面)

「『頭』よりも『手』を動かすことに時間をかけた方が、表現の質は高まりやすい」:出会った言葉:3年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(224)

(1)3年前の今日
「時間をかければかけるほど、よいものができる」というのは、ある一面では真理かもしれない。しかし、できることなら、「頭」よりも「手」を動かすことに時間をかけた方が、表現の質は高まりやすいと言うことは、ぜひとも覚えておいてほしい。
(『直感と論理をつなぐ方法』p222 佐宗邦威著、ダイヤモンド社

https://www.amazon.co.jp/dp/4478102856

*「『速さ』こそが『質』を高める」という節の中の一言。筆者は、じっくり考えるよりもとにかく手を動かしながら早く仮の完成形をつくろうとし、その過程で何度も失敗した方が完成度が高まる、とプロトタイピングの有効性を説く。翻訳にも全く同じ事が言えると共感。*今日の言葉:「『速さ』こそが『質』を高める」という節の中の一言。筆者は、じっくり考えるよりもとにかく手を動かしながら早く仮の完成形をつくろうとし、その過程で何度も失敗した方が完成度が高まる、とプロトタイピングの有効性を説く。翻訳にも全く同じ事が言えると共感。

特別ルートなんてなかった(斎須政雄さん):6月21日に出会った言葉:2年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(223)

(1)2020年6月21日 
ぼくが見習いでまだ何もできずにいる頃、……「シェフになる人には、ぼくとは別ルートがあって、苦もなく何でもやってのける特別な人なんだろうなぁ」と感じていました。
だけど、フランスで出会った最高の人たちは、ふつうの人でした。
((斎須政雄著『調理場という戦場 斎須政雄』(朝日出版社)p261)
*本書の最後に読者を元気づけてくれる一言。いい本を再読できました。

www.asahipress.com



訳者あとがき

「あ、それから」と打ち合わせの席で僕は言った。

「僕は『訳者あとがき』は書きません」「え」

「僕が仮に英文学の専門家で、専門に研究している分野あるいは作家の翻訳をしたのなら、『訳者あとがき』はありだと思います。いやむしろ入れるべきだと思います。でも僕はこの分野の専門家ではなく、単なる無名の翻訳者にすぎません。そんな人間が表にしゃしゃり出て『さあさあ、これがあとがきでござ~い』なんて恥ずかしくてできません」
「なるほど」

「『訳者あとがき』に割くスペースがあるのだったら、是非この道の専門家、プロフェッショナルに解説をお願いした方が何百倍もプラスのはずです」

・・・とまあ、こういう理屈で、僕はこれまで4冊の訳書に4人の「解説者」を推薦してきた。全員その道のプロ中のプロ。そしてうち3人が私の知り合いだったので、自分で打診した(そして、幸いなことに引き受けてもらってきた)。

「訳者あとがき」は、頼まれることも、頼まれないこともある。今回だってわからなかったのだが、訳しているうちに「解説」が、しかも本物の本物による解説があったらこの本の価値がググッーと高まるという気持ちが強まっていった。

原稿を提出して編集御担当とやりとりしているうちに、その気持ちが一段と強くなり、しかも解説の方の顔が、僕には次第にクッキリと思い浮かぶようになっていた。知り合ってそろそろ30年。この分野に関する知識、識見はもちろん、人格的にも申し分のない、当時からず~っと尊敬していて、私よりも3つ年下だが「さん」づけで呼び、敬語で接してきた素晴らしい人物だ(当時、縦社会の権化のようだったN証券で、自分より年次が下の人と敬語で話す事例はほとんどなかったと思う。もちろん今は時代が違いますので、誤解なきよう)。ず~っと知り合いでつかず離れず。時たま仕事をくれたり、雑談したり、食事をしたりという関係が続いてきた。

いよいよ彼の出番なのだ!

そういう気持ちが僕の中ではかなり早い段階で固まっていたものの、こうした事柄はプロセスとタイミングが大事である。僕はずっと様子を窺い、ついに先日、編集担当者の方に「僕の『訳者あとがき』ではなく『解説』をこの人で」という提案をしたのである。

もちろん、解説をどうするか、帯の推薦文をどうするかというのは編集者(出版社)の役割である。マーケティング上誰に解説や推薦文をお願いするかは、戦略的な判断が必要であって、へっぽこ訳者の出る幕ではない。それは重々わかった上での提案だ。

「わかりました、鈴木さん」と僕の提案を引き取ってくれた上で編集担当のKさんはこう言った。

「ただ、実は私は『訳者あとがき』には意味があると思っているんです。訳者として大きな仕事がおわり、翻訳で苦労した部分、翻訳書が出されるに至った経緯、著者とのやりとりなど、訳者でしか書けないこともあると思うのです」

確かにそういう面はあるかも、と感心したのだが、その一方で、よほど特別なエピソードでもない限り「翻訳の裏話」を書いて読者が興味を抱くとすれば、それはよほど高名な翻訳者に限られるのではないか、と思ったりもする。

いずれにせよ、それから数日後、その方にお願いすることが決まったという連絡を受けた時は合格電話(電報)を受けたような心境になりました。出版はまだ数カ月先なのに「これは行ける!!!」と心の底から思った次第でござる。

え、それってどんな本?解説者って誰?

ちょっと待ってね。秋に出版予定です。

tbest.hatenablog.com

「乱世ほど地道なやり方しか通用しなくなる」:出会った/もらった言葉:3年前~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(222)

(1)3年前の今日
乱世ほど地道なやり方しか通用しなくなる  新井紀子さん(国立情報学研究所教授)
(「AI時代の生き残り術――自ら考える努力 継続を/意味捉える力を磨け」本日付日経新聞
*今日の言葉。記事、地道なやり方とはどういうことか。新井さんのアドバイスは「読解力を身につけよ」。「……知識量を求める前に、新聞の一つ一つの記事を一字一句読む。どういう意味か考えながら、じっくり文字を追う。ノートに要約を書くのもいい」と。翻訳ストレッチを支持されたようで嬉しかった。
よい1日を!

(2)4年前の今日
 自分や他の人間と違っているのか。なぜ目の前にいる連中と距離があるのか。なぜ意見や行動が違うのか。俺だって自分が悪いのかなあなんて迷うこともあったんです。でも高2でピカソ展の「泣く女」を見たとき、フッと楽になった。・・・(中略)・・・決して美しく描かれてはいないけれど、ピカソは自分に見えたままの真実を描いたんだと思い、「ああ、何でもありだ」っていう気がしたんです。大切なのは自分に引き寄せて真実を見ることなんだと。
太田光が語る仕事「俺らしく、真実を考える」①「仕事力」より 2018年6月17日付朝日新聞

info.asahi.com

「トイレ毎日ピカピカだよ。あなた真似できる?」:出会った/もらった言葉:4年前~5年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(241)

(1)4年前の今日
よく、「取材とは何か」と尋ねられます。「材料を取ること」と言う人がいますが、僕は違和感がありますね。
  材料を取るために人に会うのではないのです。人に会うことによって、その触れ合いの中で自分にはないものが形成されたり新しい視点を教えてくれたりする。そういうことを積み上げていく過程こそが取材だと考えています。
鎌田慧(さとし)「人生の贈り物」より 2018年6月15日日付朝日新聞

www.asahi.com

(2)5年前の今日
昨日の夕食時、身長はすでに僕より7cm高く、卓球ははるかに強く、数学のレベルは高校時代に抜き(今や私は彼の使っている用語の意味さえわからない)、いよいよ英語の優位性も風前の灯火になったねえ、と得意がる次男に向けて妻が放った一言。
「でもね、お父さんの方が力は強いわよ」
「え、力は僕の方が・・・」
「買い物に行くと、お父さん、いつもたくさん荷物を持ってくれるんだよ」「あ、・・・それは」
「毎日ゴミ捨てにも行ってくれるよ」「・・・」
「それとね、トイレ毎日ピカピカだよ。あなた真似できる?」
え~うれしかったです。

「20円」(翻訳単価の話ではありません、念のため)(2022年6月13日)

昨晩母から電話あり。

「あんたね、〇〇信金は今夏のキャンペーンやってて、定期の金利が15倍とか20倍になってるわよ。あたし昨日気がついて預け替えたのよ」「あ~そうですか」
「5年ぐらい前に、あんたにあそこを紹介してキャンペーン預金したわよね」「あ~そういえばそうだったかも」
「ちゃんと確認しなさいよ。超低金利なんだから」「は~い」

数年前に母に紹介されてその信金の定期預金に金を預けてそのままになっていたのだった。確か満期になっていたはず。
で、電話してみました。

「スミマセン。口座番号〇〇〇の鈴木立哉ですけれど。僕の定期満期になっています?」
「いつもお世話になっております、鈴木様(こっちは5年ぶりのコンタクト)。・・・はい、昨年の9月に満期になっております」
「で、その僕の定期はどうなっているのですか?」
「自動継続で定期に入っております」
「で、その金利は?」
「はい・・・。0.002%でございます」「え?」
「0.002%でございます」
「電卓お持ちです?仮にそれが100万円だと、利息はいくらになりますかね?」
「はい。・・・20円でございます」
「え、もう一度お願いします」
「(いくぶん大きな声で)『にじゅうえん』でございます」

なるほど~。低金利はわかっていたがそこまで来ていたかー。

「で、知り合いから聞いたんですが(さすがに「母」とは言えなかった)、現在キャンペーン期間中ですよね」
「はい、そうでございます」
「で金利は?」
「1年で03%、3年で0.6%でございます」
(「金利が20倍、30倍」ってこのことかー)
「な~るほど。100万円だったらそのままだと20円が、今乗り換えると1年なら年300円。3年なら年600円になるわけですね」
「そうでございます」
「ありがとうございました」

と言って電話を切った。

ここから先は独り言。
(もちろんいくら預けるかによって違ってくるわけでして。ペイオフいっぱいまで預けても、200円が6000円になるかどうかというレベルの話である)。

「・・・家から〇〇信金まで歩いて10分。手続きに10分。待たずに帰宅して10分。仕事して午後に行く・・・コスト考えても合わないないよな。・・・待てよ、元々毎日散歩しているんだから、行き帰りの時間はコストとみないことにすれば~」

な~んてブツブツ言ってたら、妻から一喝された。

「行ってきなさいよ。せっかくお母さんが電話くれたんだから・・・」
「でも母はどうせ暇だから半日かけて切り替えてもコストかからんけど、俺にはコストが・・・」
「な~に偉そうなこと言ってんの!すぐに出る!!そういう時はお母さんの顔を立てるの!!!」
「は、はい」

というわけでその信金に5年ぶりに出向き、定期預金の切り替えをして記念品のマグカップをもらって帰りましたとさ。

おしまい。