金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

「人に何かを差しあげるときは」:出会った言葉(2年間~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(86)

(1)昨年の今日
よごれて洗って。いい感じになりなさい。これは大人としての若者に対するメッセージというか。よごれたら洗えばいいんじゃないみたいな。
ヨシタケシンスケ著『思わず考えちゃう』(新潮社)p79)
*著者は有名な絵本作家だそうです。自分の子ども(まだ1~2歳?)を見ながら面白いと思ったことを絵に描いて文章にした。それを講演で紹介していたらたまたま参加していた新潮社の編集者から「本にしませんか?」と言われて書籍化した、と確か日本経済新聞に出ていた(朝日だったかな?)。ホッとする文章と絵が並んでいます。
よい1日を!

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(2)2年前の今日
……もし、1989年にベルリンの壁が崩壊せず、91年にソ連が踏みとどまり、……現在のインターネットよりも中央集権的なネットワークを設計し、あらゆるものにセンサーをつけ情報をAIが理解できる形式で合理的に集め、21世紀初頭からデータサイエンスを高度化していたら、どうなっていただろうと。……その結果、ソ連を中心とした東側諸国は、経済的に西側諸国を圧倒していたかもしれない。なにしろ、ソ連では西側と違って「人の配置の最適化」も厭(いと)わない。……
加えて、ソ連には、科学リテラシーに欠ける人物が、単に人気取りで大統領や首相に就くリスクがある民主的な選挙は、ない。ソ連だけでなく究極的には世界中の人々を、平等に「幸せ」にするために、データサイエンスを、計画に基づき、段階的に正しく使いこなすことができる最も有能な人物が党大会で選出されるのである。
(「(新井紀子のメディア私評)「もしも」から考える ソ連がAIを駆使したなら」本日付朝日新聞
*今日のメディア私評、新井先生が「過去」のこととして書いているソ連の崩壊、仮定法現在のような形で書いている東側諸国による支配を、今の中華人民共和国に置き換えて読めば、ここで彼女が恐れている内容は決して「もしも」のことでないことがわかる。

過去のことだから彼女は書けた。しかし今は?香港デモを支援する書き込みをきっかけに中国でNBAに対する抗議が殺到した、という記事が出ている昨今だ(本日の朝日新聞に「ファンら謝罪要求」の記事が出ている。でも中国国内では香港関連の記事は読めないはずなのに、彼らがどうして抗議できるの?とは思うけど)。

今の中国を批判的に書くのは、外国であっても勇気がいる時代なのかもしれない。そういう時代が来てしまったのかも知れない。新井先生が本当に言いたかったことは、「香港から目を離すな」「香港デモを支援せよ」ということだったのではないか?……そう考えるのはひねくれすぎ?

ちなみに、日本ではほとんど報道されていないが、ウクライナ問題(ウクライナ大統領との正式な電話会談の場で、バイデン氏の捜査をして欲しいと依頼して権力の乱用が弾劾手続きに進んだ権)で窮地に陥ったトランプ大統領が、記者会見の場で今度は「バイデン前副大統領の不正について、中国に捜査してもらう」と発言し、さすがに共和党からも批判が出始めて大騒ぎになっているのも、何とも皮肉な感じもする。

(3)3年前の今日
 「人に何かを差しあげるときは、あとで、惜しかったな、シマッタなとおもうようなものでなければ差しあげない」
というのが先生(高橋義孝:ドイツ文学者)の主義だった。
(『山口瞳 江分利満氏 ふたたび読本』p129)

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(4)4年前の今日
戦時は平時と違い、人間の命が序列化されるんです。 田坂正康さん
(「歴史は私たちがつくる」2017年10月11日付朝日新聞 文芸面)

 



「私の履歴書」雑感

日本経済新聞の最終面に毎日連載されている「私の履歴書」って、そこに書けるだけで既に大変な名誉なのね。世の中で人もうらやむような大成功を収めた人の自叙伝なわけですよ。

だったら己の失敗談や学んだことをどんどん書いた方が読んでいる人の参考になると思う。先月の山本耀司さんや吉野彰さんのように。吉野さんなんか、ここまでの話を読む限り、旭化成に入ってからの8年間は失敗しかしていないものね。でもそこで落ち込んだ時に会社がどう対応してくれたとか、自分は何を考えどう対処したのか、が読む者に感動を呼ぶのだと思う。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」。野村克也監督が有名にした言葉はやはり真理で、極端な話、ある人の「私の履歴書」がすべて「私の失敗史」だったら、そうだとしても、いやそうであればこそ 読者の圧倒的支持を受けるのではないかな。

ところが、そういうことがわからず晩節を台無しにする、というか最後の最後に正体を見せて赤っ恥をかくバカがいるんだなこれが。大体その手の人に共通するのは①有名大学の出身、②官民を問わずサラリーマンである、③仕事の中での大失敗や恥をかいたエピソードがほとんど出てこない、④後半になるほど有名人との記念写真(国会議員候補予定者による握手写真のような類いの写真)が多くなる、という点。

こういう方々はきっと、何かの間違いで私の履歴書を書く運命になったことを自らの実力とド勘違いされているのだろう。もちろん、「運も実力のうち」だが、読者は執筆者の運の良さからは何も得るものはない。

自分の人生から何も学んでこなかったに違いない。

政治家に期待できる最高の美徳はおそらく「偽善」:10月10日に出会った言葉

(1)2019年10月10日  
……目に見えない犠牲者については、心理学者が頻繁に取り上げて分析してきた。それによると、人間は顔の見える犠牲者の方に感情移入することが分かっている。これに対して、顔の見えない犠牲者、言い換えれば「統計上の犠牲者」にはあまり同情しない。たとえば、テレビに取り上げられた犠牲者たちには多額の寄付や義援金が集まる。しかし、もっと困窮している人でも、メディアに取り上げられないと誰も注意を払わない。
(『良き社会のための経済学』p286 ジャン・ティロール著、村井章子訳、日本経済新聞出版社
*昔に比べるとマスメディアの影響は減っている。けれどもその分だけ、自分の好みに合う情報を見る頻度が多くなりその影響の影響を受けやすくなっているのも事実。

自分で積極的に情報を取りに行けばバランスの取れた見方を簡単に取れる時代になっているが人は怠け者なのでつい「好きなニュース」「読みたいニュース」に目が行ってしまう。それを防ぐためにプロの編集者の目に頼るとそれはそれで問題で・・・だから社会が分断されやすくなっているのかも。そんなことを思いました。

良き社会のための経済学 | ジャン・ティロール, 村井 章子 |本 | 通販 | Amazon

(2)2018年10月10日  
 死にゆく姿が生の一部なら、生きる姿も死の一部。時折耳にする言葉だが、樹木(希林)さんの人生にピタリ。
(折々の言葉 2018年10月10日日付朝日新聞

(3)2017年10月10日  
政治家に期待できる最高の美徳はおそらく「偽善」だろう 加藤周一
(2017年10月1日付け朝日新聞天声人語」)

「借りを返せば、恩が返せるわけじゃない」:出会った言葉(昨年~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(84)

(1)昨年の今日
考えるとは、あれこれと思い量ること。見たいものを見たいように見ることではなく、ものと交わり、ものに促されつつおのれの視力を矯正しつづけること。
鷲田清一「折々のことば」2020年10月8日付朝日新聞
*本日の言葉、見たいものを見、読みたい物を読んだものだけを元に自分に都合の良いように考えがちな僕にはズシンと来た。

折々のことば:1958 鷲田清一:朝日新聞デジタル

(2)2年前の今日
例えばキャッチャーフライになりそうな打球が上がる。金田さんは安堵するどころか、捕手に「捕るな!」と声をかけたというのだ。三振の記録を伸ばすため、フライでアウトにしたくない。これが金田だ……
(「天声人語」 2019年10月8日付朝日新聞
*プロ根性のあり方、強烈な自負心に感動。ただ、こういうエピソードに痺れるのは僕たちが最後の世代かも(天声人語子も恐らく僕の世代)。若い人たちには押しつけられない・・・。

(3)3年前の今日
 借りを返せば、恩が返せるわけじゃない 柚月裕子
(「折々のことば」 2018年10月5日付朝日新聞

(4)4年前の今日
出る杭も出過ぎると打たれないんです。
(鈴木豊之さん 2017年10月7日付朝日新聞Be)

「学ぶ人は、変えてゆく人だ」:出会った言葉(昨年~3年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(83)

(1)昨年の今日
「学ぶ人は、変えてゆく人だ」 
(『英文標準問題精講』(旺文社)の栞)

(2)2年前の今日
今だけ、ここだけ、自分だけ
ツイッターより)
*いつ見たか忘れてしまったのですが、政権批判のツイートの言葉が忘れられない。「ああならないために」覚えておきたいと思いまして。

(3)3年前の今日
「(ソフトの)活用は一つ間違えれば、思考そのものをソフトに委ねて、自ら考えるのを放棄することになりかねない」
(大志 藤井聡太のいる時代 2018年10月7日付朝日新聞
*将棋に限らずソフトに何かの仕事をやらせるということは、それがどんなに小さなことであれ、たとえ繰り返しの作業であったとしても、その仕事に関する自分の能力が落ちるということ。そのことを忘れてはいけないのだと肝に銘じた。

(大志 藤井聡太のいる時代)修業編:13 「序盤が上達しない」、AIに活路:朝日新聞デジタル

「人は意味もなく他人を不愉快にする権利はない」:出会った言葉(2年前~4年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(82)

(1)2年前の今日
「人は意味もなく他人を不愉快にする権利はない」という一節に出会った。この言葉に深く感動し、今に至るまで人をイヤな気持ちにする言動はしない、といのが私の行動規範になった。
(鈴木幸一 私の履歴書「楽しい集団生活 音楽に関心 革命歌も歌う 本を乱読、行動規範に出合う」2019年10月4日付日本経済新聞
*本日の言葉、私には(けっこう、キツく)刺さった。

僕は必要があると思って他人の耳に痛いと思うことを意識的に言うことがある。我が身を振り返るとずっとそうだった。自分が正しいと信じたことをそのまま伝えるのがよいこと、という考え方でずっと来たけど、そのあまりに自分の気がつかないところで他人に嫌な思いをさせているのだろうなあと考えるようにもなりはじめた。時たま他人から(主に妻から)指摘されてもきた。以前なら「何言ってやがる!」と反発していたが、ああそういう意味だったのかと、自分なりにわかったような気もしてきた。年をとったからだろうか。

同じことを言うにしても、もっと言い方を考えないと。50を過ぎると(というか60が近いと)なかなか自分を変えられないと言いますが、ここは変えたい。反省しなければならないと思う日々です。 

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(2)3年前の今日
私は、人間社会の深いところに「正義」の観念はあると思うが、それを振りかざすことは嫌悪する。それはたちまち不寛容になり、それでは議論も何も成り立たなくなる。
佐伯啓思「 新潮45」問題と休刊 せめて論議の場は寛容に 「新潮45」問題と休刊 せめて論議の場は寛容に 「異論のススメ」2018年10月5日付朝日新聞

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(3)4年前の今日
好きなことに限りなく近いところで暮らすということは、抵抗しまくることだ。山下陽光
(2017年10月5日付朝日新聞「折々のことば」より)

「男は過去を語りたがり、女は未来をしゃべりたがる」:出会った言葉(昨年~7年前の今日、FBお友だち限り投稿への書き込みより)(81)

(1)2年前の今日
「できるはず、なのに、結構難しい」課題が生徒の能力を一番伸ばす、というのが、私がかねてから持っている仮説です。
(『AIに負けない子どもに育てる』p216、新井紀子著、東洋経済新報社
*新井先生の仮説は正しいと思う。そしてこれは学校教育だけの問題ではない。

とても難しい問題を与えてウンウン考えさせるという教育方法はありだが、生徒の側にかなりのやる気と自信がないと脱落する人が増えるような気がする。難しすぎる問題は、解決のためのステップが複雑に絡み合っているので、生徒の側からすると「教わるポイント」にたどり着けない可能性が高いと思うのだ。したがって、教育カリキュラムにおける(そのクラスのレベルから見た)超難問クラスの割合は小さくてよいのではないか。

ただし新井先生の仮説に従った教育を続けるには教師の側にかなりの力量が求められるだろう。「できるはず、なのに、結構難しい」問題を出すには、生徒たちの力を正確に把握し、それよりも「ちょっと上」の教材を提供する能力と選択眼が必要だと思うから。

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(2)3年前の今日
 重要なのは、「聞く」という営みかもしれない。それは難しいことだけれども。
(「春秋」2018年10月4日付日本経済新聞

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(3)4年前の今日
あるとき、書き上げて2階のリビングに行ったんだ。「飯食いたい」って。そしたらおふくろがいる。あれ?いつの間に来たんだ、と思ったんだよ・・・おお、おふくろ、久しぶりだなって言ったんだよ。なんでいるのかって言ったら、元日でやんの。大晦日も正月も知らなかったんだよ。(「人生の贈り物」浅田次郎 2017年10月2日付け朝日新聞

(4)7年前の今日
さっき見た先週の「サワコの朝」から
①「男は過去を語りたがり、女は未来をしゃべりたがる」
実はこれにはいくつかの修飾語が省略されていまして・・・
男=年配の男
女=若い女の子
過去=自慢話、武勇伝、説教
未来=「自分の」輝かしい未来
したがって若い女の子にもてるコツは、女の子の夢を語らせてそれに耳を傾けることだそうです。

②「人は的確な批評、批判よりも見え透いたおべっかを好む」
チャーチルの言葉とのこと。
ゲスト?
石田純一