金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

日本語にしやすい英語、しにくい英語(最近の翻訳ストレッチから)

最近の翻訳ストレッチから。
 (原文1)When first I was brought into contact with the West what most immediately impressed me was the character and range of your intelligence.
(原文2)The arts by which primitive folk commemorated and transmitted their customs and institutions, arts that were communal, are the sources out of which all fine arts have developed.
 (原文1の訳)私が初めて西洋に接した時に、最もじかに感銘を受けたのは、あなたがた西洋人の思考力の性質とその広さでありました(原仙作著、中原道喜改定『英文標準問題精講』旺文社、p76)。
(原文2の訳)未開人は、部族の習俗や慣行を共に祝うことによって記憶をあらたにし、事態へと受け継いでゆくにあたって美術を用いた。こうした共同体的な美術こそが、その後のあらゆる美術の起源となったのである。(安西徹雄著『英文翻訳術』ちくま文芸文庫、p116)。

どちらの訳文も自然な日本語だと思う。違いは翻訳の巧拙ではなく、原文の構造だと思うのです。(原文1)と(原文2)はどちらも英語として読むとそれほど複雑ではなく、意味が取れると感じるが、(原文1)は読んだとおりに日本語にできるのに対して、(原文2)はそうならない。日本語に非常にしやすい英語と非常にしにくい英語の代表選手みたいなもので、我々が接する英文の多くは、どちらかというと1に寄っているのではないかという気がする。
ちなみに『英文標準問題精講』は、ほとんどいう英文、つまり英語は難しすぎず、日本語にしやすいしやすい英文のオンパレードなので、辞書さえ引ければそれほど苦労せずに訳せる。逆に言うと、本書に出てくる単語や熟語は、ほとんど「知っている筈」なのに、辞書を引かなければ的確な訳にたどり着かない単語や熟語ばかり。自分に「バカバカ」と言いながら確認していくわけですが、間違った思い込みや勘違いも見つかり、勉強になります。
なお模範解答の日本語訳は、大学受験生用としてそこまで気を遣わなくてもよいのでは?と思うほどわかりやすく、端正な日本語。模範解答なのでそうならざるを得ないのは当然としても、大学受験生はここまでの日本語を書ける必要がない、という意味で、レベルがちょっと高すぎ、というか宝の持ち腐れとなってしまうような訳文で、むしろ翻訳者の勉強としてちょうどよいのではという気がする。あと、この日本語を題材として英作文の勉強にする(原文は元々超一流の書き手による比較的わかりやすい英文)にもちょうどいいかも。
ついでに言っておくと、英文の構造という観点からは、『英文解釈教室』の方が『英標』よりも1段階ぐらい複雑で、『思考訓練としての英文解釈(1)』は、そこからさらに1段階上。『英文解釈考』は英文の構造という意味では様々で、人生訓を学ぶための本だと思っております。
以上、数日前、「翻訳文から原文が透けて見えないような、ある種意訳的な訳文を美しいと感じる感性がある」というある翻訳者の方のツイートを読んで、最初は「その通りだ!」と納得していたんですが、日がたつうちに「訳文から原文が透けて見えるような気がするのは、原文の構造にも原因があるのでは?」と思ったことがきっかけの文章でした(その方には概ね上の趣旨の返信をしました)。感謝です。