金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

『受験英語と日本人 ――入試問題と参考書からみる英語学習』【7日間ブックカバーチャレンジ】(番外編)

(以下は、フェイスブックで7日間行った【7日間ブックカバーチャレンジ】の番外編である)。
 
 江利川 春雄著『受験英語と日本人 ――入試問題と参考書からみる英語学習』(研究社)
*普通に買えます。
本編では一般の人にもお勧めできる本をご紹介しましたが、今日から数回は、やや私の仕事寄りの書籍を。
最近は、コミュニカティブ・イングリッシュ、小学校への英語導入の動きに反対する意見も結構根強く(僕もそうですが)、その流れの中で、「受験英語懐古」的なご意見を見聞きすることも多くなりました。かつて名著と呼ばれた受験参考書の復刊も出るようになりました。
本書はプロローグで「受験英語」の代表選手としての伊藤和夫さんを取り上げ、第1章からは明治まで遡って現在に至るまでの日本の英語教育および受験英語、そして受験英語用参考書を時代順に振り返っていきます。
興味深いのは、日本における英語(受験)教育の勃興期には、コミュニカティブな英語がかなり重視されていたという事実です。ディクテーションや面接まであったとのこと。ただ、当時はまだ高等教育の多くが英語でなされていたという事情があったからと思われます。
その後いわゆる読解重視→文脈無視で単語・熟語重視の超難解な単文羅列→段落を読んで一文を訳す→全体を読んで部分を訳す→大意を把握して要約を書く→長文→長文を読んで部分の理解を問うと変遷しつつ、出題される英文の内容は軟化していき、ついにはそれまでの「哲学的/文学的/思索的文章」→「日常的に読み聴く英語」へと英文の内容(というかジャンル)そのものが大きく舵を切って、英文の構造や語彙の点からは一気に易化するきっかけになったのが共通一次試験(今のセンター試験)であったことが、それぞれの時代の参考書と執筆者を紹介しながら語られていきます。
私が受験生の頃は、よく「中学から大学まで10年も英語を勉強して、外国人と話せないのは英語教育が悪い」「大学受験の英文を外国人に読ませてもわからない(のだから英語教育には意味がない)」的な批判があったものです。
そういうピント外れな批判や論争を懐かしく思い出しながら、共通一次初年度受験生の僕はとっても楽しく読み進めることができました。
なお私は、日本人が国際舞台で堂々と英語を話し聴くことができないのは、単に「出る杭は打たれる」「周囲を忖度する」「沈黙は金を旨とする」といった日本人の性格に由来しているのであって、英語教育とは何の関係もない。また、大学受験の英文を読めないといった外人は単に教養がなかったから、と個人的には思っています。
ご関心のある方は是非。

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